2005年09月27日

じゃ踊りの人形


2005092749b352bf.jpg※29 初恋
高校2年生という学年は、進路を決める大事な時である。
 進学校である私の高校は2年生の夏休みに修学旅行を済ませる。父は、末っ子の私だけは大学にやりたいと、ずっと思っていて、それを楽しみにしていた。修学旅行が終わると、父は私に「勉強しなさい」としきりに言うようになった。
 しかし私は、今の自分の成績では国立大学は無理だろうと、とっくに諦めていた。私立に行ける我が家の経済状態ではないのは、親子の間で暗黙の了解事項だった。
 長姉の京子は私立女子高校卒業時に、併設短大進学を希望していた。当時担任の先生がわざわざ我が家を訪ね、「推薦入学出来ます。ぜひ進学させて下さい」と頭を下げて下さったのだが、「私立短大は、到底やれない」と父は断ったのだ。次姉の妙子は国立看護大学を目指したが、なぜか、2次試験で落ちて、これも大学を断念した経緯があった。
 
 私は、心の中では、既に進学を諦め、就職を希望していたのだが、なかなか父に言い出せずにいた。父が落胆し、悲しむ姿を見るのが忍びなかったのである。
 
 私が大学進学を諦めたのは、なにも学力や経済的なことばかりではない。
 たとえ、国立大学に行けたとしても、18歳から22歳までの1番楽しい時代を、親の扶養に頼らなければならないのは、私にとって、悲惨なことなのだ。
 なぜなら、父は、学費や、最低限の経費は出してくれるだろう。しかし、女性は洋服もいるし、化粧品もいる。友人との交際費など、親に理解してもらえないお金が必要になる。それをいちいち親に頼むのは、私には苦痛という他はない。慎ちゃんが、おばあさんに上履き代など、要求出来なかったことと一緒なのかもしれない。
 
 私が、自分が大学へ行くような立場ではない、と感じるようになったのは、高校生活そのものだった。
 中学の時とはまるで違ったのだ。
 周りは博多の天神の有名商店の子女や社長の御曹司、役所の部長クラスの子女など、お金持ちばかりであった。しかもみな秀才の上、家庭教師、塾通いと、勉強に対する意気込みも違っていた。
 しかも見た目も垢抜けしていた。田舎物で貧乏人の私は、だんだん萎縮していき、成績もどんどん下がったのである。もちろん、私のような田舎出身もいて、そんな状況に負けないで頑張っている人もたくさんいた。
 
 親は学校での私の状況を知るはずはなかった。
 言ったところで、どうなるものでもない。
 私には、もともと、それほど向学心がなかったと言えばそのとおりだった。
 それより、1日も早く親の庇護から脱却して、自立したかったのだ。就職するしかなかった。
 
 それでもその頃、私は毎日受験の補修授業があると言って学校へ行き、図書館でだべっていた。
 家でも部屋にこもりっきりで、勉強するふりをして、たいてい寝ていた。
 そんな毎日だったので、慎ちゃんに会うために、夕方外へ出る事は、さすがに出来なかった。※30へ

(写真は、紙粘土の人形。愛嬌と動きがあって、かわいい。夫がどこからか記念品として貰ったもの)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)
posted by hidamari at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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