2005年10月19日

可愛い西洋の女の子の絵


2005101981dff392.jpg※40 藪椿
 昭和37年4月、慎ちゃんは定時制の福岡工業高校1年生、私は高校3年生になった。
 実際は私たちは1つ違いなのだが、慎ちゃんは高校浪人なので私とは2年違うことになる。しかも夜間なので4年間高校生活を送ることになる。
 慎ちゃんは、農作業を午後4時には切り上げ、バスで博多の北の端まで通学するようになった。
 工業高校は私の通う県立第1高校より、広田名のバス停からは20分もバスに長く乗らないといけない場所にあった。
 慎ちゃんは毎日真面目に登校した。私が帰宅するのとすれ違いだったので、殆んど、通常の日は会うことはなかった。畑にいるのを見ることもない。唯一、日曜日だけは畑にいる姿を見ることが出来た。それと、時々、早朝、いつもの国道でタローと一緒に私を見送ってくれた。
 その頃それで十分だった。

 私は、いよいよ就職希望だということを、父と母に打ち明け、本格的に就職試験の準備をしなければならなかった。3年に進級すると同時に、私は既に就職コースの授業を受けていた。
 新学期が始まってしばらくすると、親を交えた担任との面談が行われた。その場に出席した母は、私が既に就職コースを選んでいることにショックだったのか、あまり話すこともなく早々に帰っていった。
 その夜、事情を知った父は「おまえは俺の希望だったのに」と、がっくりと肩を落とし、「女の子はつまらんなあ」といつまでも寂しそうに、酒を飲んでいたのである。

 私は、「ごめんなさい」と言うしかなかった。身の細る思いだった。父は私に何を望んだのだろうか?父が果たせなかった夢って何なの?私は女だよ!と叫びたかった。でも、その日の、父のがっくりした後姿は、今でも忘れることが出来ない。

 私は、案外すんなりと、就職の内定をもらうことが出来た。それも本社が東京にある一流企業の東都商事会社である。オフィスは、博多中央のオフィス街にある高層ビルの6階にあった。私にとっては、ラッキーとしかいえない、夢のようなことだった。
 そんな訳で高校3年の1年間は、休み毎に、アルバイトをしたり、博多の京子を訪ねたりして、あっという間に過ぎ去っていった。
 慎ちゃんとの間も付かず離れずの、単なる近所付き合い程度だったので、父も母もすっかり安心して、私を変な疑いの目で見ることも、なくなっていたのだった。※41へ

(写真は、ある大学の今は亡き美術教授の絵。私が初めて買った絵)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)
posted by hidamari at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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