2005年10月29日

夫婦湯呑


200510292d40430a.jpg※45 藪椿
 夢中になって、手紙の交換の相談をしていると、時間はたちまち過ぎていった。
 いつの間にか太陽が西の空に沈みかけている。昼間はなかったはずの雲の波が、うっすらと太陽に被さって、その波の隙間から、こぼれ日がまるで後光のように山肌に舞い降りている。

「…フゥー、何だか疲れたねぇ」と私がため息をつくと「何で疲れるとよ!俺ずっとこうしていたいとに」と慎ちゃんは、怒ったように私を睨んだ。
 そして「アッそうだ!」と叫んだ。
「何、びっくりするじゃない」
「俺もう1つ真理ちゃんにお願いがあるとよ」
「いいよ、何ね?」
「…俺、真理ちゃんの写真が欲しか。1人で写ったのがよか、…何枚かくれん?」

 写真の交換は私の頭の中にはなかったことだった。でも、なるほどと思った。そんなことも有りと思ったのだ。
「いいよ、その代わり慎ちゃんのも頂戴ね」と言うと
「俺、写真なんか撮ったことなかけん、もたんよ。でも学生証に貼った残りの証明書用のでよかったら、やるよ」と言う。もちろんいいと答えた。

 だんだん時間が過ぎていく。遅くなると、父や母に、何処で何をしていたのか聞かれるに違いなかった。気が気ではない。
「ねえーそろそろ帰ろうよ」と言った私のことばを慎ちゃんは聞いていなかった。
 思いつめたように「真理ちゃん」と言ってふいに私の膝の上の手に、自分の手を乗せた。
「真理ちゃん、俺たちデートしてるとやろ」
 ホントに突然のことだった。私には何の準備も出来てなかったのだ。これはデートじゃないもん、ととっさに思った。
 確かに、私も夜、布団の中では、2人のロマンティックな場面を想像することもある。
 でも今、私には何の準備も出来てなかったのだ。デートということばを平気で口にする慎ちゃんも、破廉恥に思えイヤだった。
 息の根を止められたような気がした。固まったまま姿勢を正して前を見つめていた。沈黙の時が流れる。次第に自分を取り戻すと、不思議なことにじんわりと喜びがこみ上げてきた。長いこと期待していたことかもしれなかった。
「慎ちゃんの手、大きくてガサガサしてる」と、いうことばが口から出ていた。
 沈黙の時間がいたたまれず何か言わねばと焦った挙句のことばだったのだ。農作業してもちっとも焼けない色白の憂いのある顔に似合わぬ、逞しい手だったので、ちょっとびっくりしたこともあった。
 
「いけないか?百姓してる手は」と、ムッとした感じで、今度はその右手で私のその左手を掴んだ。
「何でそんなこと言うと?そんなはずないでしょ」と、私は握り返した。
 私たちは、手を握り合ったまま、また、しばらくの間黙りこくっていた。
 黙っていても2人は結ばれた左手と右手に、気持を集中していた。手と手を通してその手の温もりが、2人の心臓に届いていたのだ。
 その間も時間は過ぎていく。
 私は思い切って「今日は帰ろう」と言い、最後に手を強く握った。慎ちゃんもしっかり握り返した。2つの手のひらがしっとり汗ばんでいた。2人は静かに手を離した。
 慎ちゃんは唇を噛みしめて私を深い眼差しでじっと見つめ、
「じゃ、連休明けの夜、手紙ちょうだい、写真も忘れんでね」と言った。
「うん、分かった。バイバイ」と手を振って、私は一目散に山道を駆け下りた。※46へ

(写真は、有田焼の夫婦湯呑。家庭では蓋付きの湯飲みはめったに使わない)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)
posted by hidamari at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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