2005年11月22日

匂い袋


20051122ef63932c.jpg※57 旅立ち
 私が男性と2人で映画を観るのは、これが初めてではなかった。
 実は、会社に入って半年くらい経った頃、憧れの川辺さんと2人で黒沢明監督の“天国と地獄”を観にいったのである。
 半ドンの土曜日の午後、たまたま会社に残っていたのが、川辺さんと私だけだった。
「帰らないのですか」と声をかけると、「うん、もう帰るよ」と、「アアーッ」と背伸びした両手を頭の上で組み、「今から何しようかな」と言った。
 私はその時、とっさに今がチャンスと思った。川辺さんに東京在住の彼女がいるということは噂で聞いていた。が、結婚している訳ではなかったので、気が変わるということがあるかもしれないと、ちょっと思ったのだ。
 日頃の川辺さんは、私に対していつも紳士的に接してくれる。中洲の夜の街へも仲間達と一緒にだが、時々飲みにもいっている。もちろん彼は私に対して特別な感情は何も無い。今日だって、本当に土曜日の午後をどう過ごそうかと悩んでいるのだ。私にも、彼の態度を見ていると分かることだった。
 それでも、ずっと川辺さんの大人の優しさに憧れて、密かに慕っていた私は、川辺さんが心変わりしてくれるのをひたすら願っていたのだ。
 今、私は自分の気持ちを抑えることが出来なかった。
 今日こそ、後悔しないためにも思い切ってぶつかってみようと思った。

 「今から、映画、観に行きませんか?」
 川辺さんは、最初はキョトンとした顔をして戸惑ったようだが、ちょっと考えて
「そうだな、別に何もすることないし、本田さんにはいつも世話になってるからなあ、映画もたまにいいねえ、…おごるよ」と言ってくれたのである。
 私はヤッターと心の中でガッツポーズをした。
 とりあえず、デートはOKなんだ、もしかしたら何かが始まるかもしれない、という甘い期待に胸を膨らませたのである。

 しかし、その日のデートは私にとっては、私だけが空回りした、ただ無味乾燥なだけの時間だった。

 映画を見終え、外に出るとすぐ、彼は「じゃあ、ここで」と言って帰ろうとした。私は、映画を観ただけで、会話らしい会話を何1つ交わしていないことに、どうしても納まりがつかなかった。このまま帰りたくなかった。
「あのぅ、お礼にお茶、私がおごります。そこまで付き合って下さい」と、思わず懇願するようにひきとめていた。普段はおとなしい私が、以外にも次々に積極的なアプローチをするのでますます戸惑ってしまったのかもしれない。 川辺さんは断ることが出来なかったのか、
「そうぉ、じゃあちょっとだけなら」と言って、喫茶店へ付き合ってくれた。私の心の中で再び光明がさした。
 しかし、そこでも「映画なかなかおもしろかったね」と言うくらいで、たんたんとコーヒーを飲み終えた。
喫茶店を出ると、川辺さんは、今度こそもう応じないよ、というように毅然たる態度で「それじゃあ、これで、僕は失礼するよ」と言うと、何の余韻も残さず雑踏の中へ消えていった。
 残された私は、ちょうど観たかった映画を一緒に観られただけ、それだけでも十分良かったと、無理に自分を納得させるしかなかった。
 繁華街の喧騒の中で一人ぼんやりしている私を、もう1人の私が大きくカメラを引いた。
 荒涼とした砂漠の中でただ1人ポツンと立っている私が見える。

 周りが全く目に入らなかったし、まわりの騒音が一切遮断されていた。
 重い足取りで歩く街なかは、太陽がまだまだ高く、やけに強い陽射しは、空っぽの私の心の中に容赦なく入り込んだ。それはやがてチクチクと私の胸を痛めたのである。
 
 後日、彼が既に婚約していることを知った時、私は、自分のとったこの日の無鉄砲な行動が、さすがに恥かしかった。川辺さんは私に恥じをかかせないように、相当無理をして付き合ってくれたのだった。※58へ

(写真は、お土産にもらった匂い袋)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

posted by hidamari at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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