2006年01月18日

見ザル、言わザル、聞かザル


見ザル、言わザル、聞かザル.jpg※85 旅立ち
 気持ちを沈めながら近づいていった。
「慎ちゃん、こんにちは」
 慎ちゃんは振り向いた。突然声をかけられた驚きと、しかも私だったことに動揺した様子だったが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「こんにちは」と返事はしたが、ニコリともしなかった。私を不思議そうに見ると、ペコンと頭を下げて「じゃあー」と言うなり、帰る方向に歩き始めた。
「もう帰るの?明日東京へ発つんですってねぇ、元気でね、また、いつか会えたらいいねぇ」と、言おうと考えていたことを、一気に吐き出していた。
 すると、慎ちゃんは、立ち止まり私の方を向くと、まるで、引導を渡すかのように
「もう、会うことはないと思うよ、僕は2度と広田には帰って来ないから」と、何の感情も入れず答えた。
「えっ、どうして?だってお祖母さんもいるのに、お正月とか帰らないの?」
「前にも言ったやろ、僕はもう死んだとよ、今まで育ててくれた祖母ちゃんに迷惑かけるけん身体は前のままやけど、心はとっくに死んだとよ、だから、あんたのことも今は何とも思ってない、思い出すことも、会うことも2度とないけん」
「……じゃあー、とにかく身体だけは大切にね、さようなら」と、私も何でもないようにあっさり言ったが、頭の中は真っ白だった。そのうちに涙だけが後から後から溢れてきた。
 慎ちゃんはこれからどこかへ出かけるのだろうか、真新しいスプリングコートを着ている。
 そのスプリングコートの、濃紺のチェック柄がやけにくっきりと目に入った。私は、じっとその後ろ姿を見送っていた。まるで、夢をみているような感覚だった。

 その時、もう1人の私が突然現れた。
 そして、「真理子、追いかけなよ、慎ちゃんが忘れられないんだろう、意地を張ってる場合じゃないよ、慎ちゃんだってまだきっと真理子が好きなんだよ、その証拠にここに来てたじゃない。今ならまだ間に合うよ、走って行って背中にすがりつくんだ」としきりに私を急き立てる。
 ハッと気が付いた時は、私は慎ちゃんを追っていた。
「慎ちゃん!待ってー、待ってお願い!」
 慎ちゃんは振り返って私を待っていた。
「どうしたと?」とあの優しい半分泣いたような笑ったような懐かしい顔だった。私が必死で叫ぶ姿を見て、彼は私の真を感じ、凍った心を溶かしてくれたのだ。その時、電流が走ったように再び2人の心が通じ合った。
 私は慎ちゃんの胸に飛び込んで抱きついた。慎ちゃんも私を受け止め、確かに抱き返してくれた。
「慎ちゃんがやっぱ好き、慎ちゃんのこと待ってていい?東京へ呼んでくれるまでいつまでも待ってるけん」
 思わず口に出していた。そして私自身も自分の本心を始めて知った瞬間だった。目が覚めた思いがした。ホントはとっくに慎ちゃんと生きていこうと決めていたのかもしれない。

「ホントにいいの?こんな俺でいいの?俺、もう1度生き返ってもいいの?真理ちゃん俺をもう2度と裏切らんて、約束出来る?」と慎ちゃんは私を何度も何度も強く抱きしめながら問い続けた。86へ

(写真は、嫌なこと、嫌がられることは、……に限る、縮緬で作ってあるサルのお人形)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

posted by hidamari at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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