2006年09月05日

小説・喫茶店

33
 みどりは茂の生き方に対して、決して賛同するわけではなかった。かといって、茂に対する好ましい思いが消えたわけでは決してない。むしろ、この私にこんなに打ち解けて話してくれていると思うと、そのことがとても嬉しかったのである。親近感がぐっと深まった感じだった。
 身体を少しずつ離していったのは、自分自身にブレーキをかけるためだった。
 みどりは、この場の状態で居ることに、長居は無用、という思いにかられていた。ところが一方ではもうちょっと話していたいという気持ちもある。
 茂の魅力は外見上かっこいいということもあるが、1つはバリトンの甘い声である。低音でゆっくり、しかも標準語で語りかけられると、たいていの女性はポーとなるのではなかろうか。
 みどりも例外ではなかった。このまま居たいという気持ちと、帰らなければという気持ちが心の中で葛藤していた。
 茂を見ると落ち着き払っている。腰を上げる気配がいっこうにないのだ。

 しばらく沈黙の時間が流れた。
 心地良い茂の声を聞いている時は、瞬く間に時は流れていくが、沈黙の時間は、みどりにはひどく息苦しかった。
 居たたまれなくなったみどりは「そろそろ帰ろうか」と、思い切って立ち上がった。
「もう、ちょっとだけいい?」
 茂の優しい太い声は、みどりの決心を簡単にねじ伏せた。
「僕ね、大学は広島だったんだ。最初に女性の身体を知ったのは大学に入ってすぐ下宿生活を始めた時」
 みどりの気をひくためにか、場を盛り上げるためにか、茂はそんな身の上話を語り始めた。
 ―ま、いいか― みどりは、いったん上げた腰を再び下ろしてしまった。
 若い男性から、こんな打明け話など聞くことがなかったみどりが、何かおもしろそう、と内心多いに興味を持ったのは、無理からぬことではあった。34へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)

posted by hidamari at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説〔喫茶店〕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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