2007年11月17日

小説・優しい背中

18
 スナック碧はカウンターだけの、奥行きの細長いお店だった。
 「行こう」と柴谷が先に立って案内してくれたので、柴谷が行きつけのお店なのだろう。しかし、福岡に転勤して4ヵ月足らずなのに、既にお馴染みさんみたいなママの態度が、絵里子にはどうしても解せなかった。それにママの年齢も全く見当がつかなかった。彼女だけでなく、スナックのママの年齢ほど分からないことはない。絵里子が常々感じていることだった。自分が年上か年下か分からない絵里子は、たいていママの方を上だと勝手に決めて、接することにしていた。
 「いらっしゃい、柴谷さん。今日は可愛い人と一緒なのね…」
 ママはおしぼりを手渡しながら、意味ありげな笑いを浮かべた。
 「会社の総務企画の人だよ」と、柴谷は絵里子を、そのままママに紹介した。
 「よろしくお願いします」
 絵里子は、ペコンと頭を下げた。可愛い人ということばには、悪い気がしなかったが、それ以降、殆んど絵里子の存在を無視するようなママの態度は、あまり感じのよいものではない。
 柴谷も「何がいい?」と、飲み物を聞いて絵里子の所望どおりウーロン茶を注文してくれた以外、絵里子にあまりかまうことはせず、ママとばかり喋っていた。
 絵里子は、飲みに来たのに、お酒は飲めなかった。車に乗ってきていたのだ。郊外に住んでいる絵里子は、車がなければ不安でたまらない。特に夜遅くは公共の乗り物は無いに等しい。タクシーを使えば相当な金額になる距離だ。今夜も絵里子は迷わずマイカーで来たのだ。車は大和生命ビルの側の駐車場に預けていた。
 馴染みらしき客がどんどん増えてきた。ママは忙しくなり、柴谷はやっと絵里子に話し掛けてきた。
 「せっかく飲みにきたのに、お酒が飲めなくて残念だね」
 「いえ、車がないと身動き出来ないし、それにお酒あまり好きではないの」
 「じゃあ、なぜ誘ったりしたの?ご主人と喧嘩でもした?」
 「とんでもない。夫とうまくいっていなかったら不安でこんなこと出来ません。ただ支社長とデートがしたかっただけです」
 「ふーん、大胆なんだね」
 「意地悪!」
 絵里子は、甘ったるい声で言うと、腕で軽く柴谷を小突いた。自分にこんな媚びた態度が出来るなんて思っていなかった。しかしそれは自然に出た行動だった。
 「カラオケやろう、僕、何でも歌えるから。君が好きな歌、歌うよ」
 「ホントですか、じゃあ、古い歌ですけど、裕次郎のブランデーグラス」
 ママがさっと聞きつけて、カラオケをかけた。
 狭い室内は、柴谷の声が響きわたったが、他の客は気にすることなく、それぞれ自分たちのグループで盛り上がっていた。19へ

(上記は〈小説・優しい背中〉で連載中)

posted by hidamari at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・優しい背中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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