2007年12月03日

小説・優しい背中

26
 会社では当然何ごともなかったように2人は接していた。支社長と一社員としての会話はあっても、プライベートなことは、今まで通り一切話さなかった。
 そんな日が続くと、あの目くるめく夜の出来事が現実だったことが、信じられなくなることもあった。あれは、もしかして本当に夢の中の出来事だったのではなかろうか。目の前の支社長はあまりにもりっぱで、あまりにもかっこよく、とうてい自分などは相手にしてもらえるような男性ではないと思えるのだった。
 ただ、朝の儀式だけは、その後も変わらず行われていた。
 出社時、斜光の中にさっそうと現れる柴谷は、絵里子をじっと見つめながら近づき、一瞬にっこり笑って「おはよう」と言う。絵里子はそれだけで、十分満足だった。
 社内で柴谷の背中を目にすることもある。そんな時、走っていってすがりつきたい衝動にかられる。そんな自分が恐くて、なるだけ背中は見ないような努力もしていた。
 絵里子は最近、周りの、特に年上の男性に
 「大城さん、最近、綺麗になったね。輝いて見えるよ」としきりに言われるようになった。
 その日、絵里子は支社長室で取引先の会社専務と商談をしていた。
 「大城さん、恋でもしているんじゃないですか?とても色っぽくなったように感じるよ」と、その専務はあからさまに言った。
 あきらかにセクハラだと思った。しかも側には柴谷も同席しているのだ。絵里子の心の中は恥ずかしさと怒りが渦巻いていたが、
 「あら、分かります?やっぱりね。実は専務さんに…」と、その場を笑って受け流した。
 専務は、
 「ああ、私にですか。それは嬉しいね」と、まんざらではない様子をした。
 絵里子は、側にいる柴谷の反応がずっと気になっていた。
 専務の言ったことを聞いて、嬉しいのだろうか。それとも不愉快なのだろうか。
 当の柴谷は、口を挟むでもなく、笑うでもなく、静かに書類に目を通していた。27へ


(上記は〈小説・優しい背中〉で連載中)

posted by hidamari at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・優しい背中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック