2007年12月10日

小説・優しい背中

29
 そのチャンスは、意外と早く訪れた。
 その日、柴谷は会議出席後、そのまま宴席、会社には戻らないことになっていた。
 支社長が留守ということもあるのか、終業時になるやいなや、社員は全員さっさと帰宅してしまった。
 絵里子も定時に仕事を終えた。
 オフィスの戸締り、消灯をするのは、いつの頃からか概ね絵里子がするようになっていた。
 ほんの10分程前までは騒然としていた同じ室内と思えないほど、静まり返っている部屋に、絵里子は1人しばらく居坐っていた。
 帰ってしまうにはなぜか、後ろ髪が引かれ思いがしたのである。
 もしかするとこの間のように、ひょっこり柴谷が現れそうな気がしたのだ。
 5分待ってみようと思った。
10分経った。
―そんなこと何回もあるはずないか―
 絵里子がきっぱりと帰ろうとしたその時、前のドアが開いた。
「あれっ、皆、もう帰ったの?」
 絵里子の勘は当たったのだ。柴谷が帰ってきたのだ。絵里子は歓喜に胸が震えた。
 その気持ちが全身に現れているのが、自分でも恥ずかしかった。
 「お帰りなさい。宴席には行かれなかったのですか?」
 「ああー、そんなに重要なものでもなかったから、止めにしたんだ。それにしても皆早いね」
 「そうですね、支社長もいらっしゃらなかったので、皆少し気が緩んだのかもしれませんね」
 「そんなものなの。まあ別にいいけど。君も帰るとこなのだろう?帰っていいよ」
 「ええ、支社長は今からお仕事ですか?」
 「本社にメールを送らなくてはいけないから、ちょっと仕事する」
 「じゃあ私、コーヒーだけ入れて帰ります」
 「ありがとう」
 絵里子の頭の中は、パニックになっていた。
 自分の勘が当たった喜び。しかし喜びもつかの間、腰を落ち着けて仕事をしそうな気配の柴谷に、絵里子からデートの誘いなど出来るはずはなかった。30へ

(上記は〈小説・優しい背中〉で連載中)

posted by hidamari at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・優しい背中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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