2007年12月19日

小説・優しい背中

33
 誰もいないオフィスに照明だけがあかあかとついていた。絵里子は、あっ、と思った。柴谷が残っていたこともあり、あたふたと帰ったこともあり、照明を切ることを忘れていたのだ。ただ、支社長室では柴谷が仕事をしていた。これでよかったのかもしれない。そんな事務的なことが、この期に及んであれこれ絵里子の頭の中をよぎった。
 社員がいない室内は以外と狭く感じられる。ハイヒールのコツコツという音が、やけに響いた。
 はやる気持ちを抑えて、絵里子は支社長室の扉をノックした。
 「どうぞ」
 柴谷は、平然としていた。
 「来ちゃいました。すみません、お疲れのところ」
 絵里子は言ったあと、はっとした。あまりにもストレート過ぎる言い方のように思えたのだ。絵里子はすっかり気が動転した。
 しかし、柴谷はいつものように冷静だった。絵里子が来たのもごく当たり前のように受け止めているようだった。
 「うん、いいよ」
 支社長専用の大きなデスクの向こうで、大きな椅子に深々と座ったまま、柴谷はじっと絵里子を見つめた。居たたまれないほど長い時間に感じたが、それはほんの数秒だったのかもしれない。
 「ちょっと、こっちへ来て」
 柴谷は事務的に言った。
 「はい、何か…」
 絵里子は、業務命令を受けるのだと思った。一瞬、何もこんな時に、と思った。
 しかし、仕事の時、いつもそうするように、反射的にデスクの前に立った。
 すると、柴谷は自分の横に来るように手をさしのべた。絵里子は事態がまだよく飲み込めていなかった。34へ

(上記は〈小説・優しい背中〉で連載中)

posted by hidamari at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・優しい背中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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