2008年01月30日

小説・優しい背中

50
 柴谷祐樹は40歳の男盛りである。今正に精神的にも肉体的にも充実していた。福岡支社長としての実績も着実に上がっているのは、誰もが認めるところであった。うまくいけば重役の椅子が待っている。
 ささいなことで失敗はしたくない。絵里子が自分の足を引っ張ることはないだろう。だがやはりこの先何がおこるか分からない。不安材料は取り除いておくにこしたことはないのだ。
 良いあんばいに、3月になれば、彼女とも円満に別れられるだろう。それまでは、彼女をあまり刺激しない方がいいと考えた。
 もともと絵里子は頭のいい女である。男にのめり込んで身を破滅させるタイプではないことも分かっている。それをいいことに、今まではずるずると彼女の言いなりになってきたが、別れる時くらいは、自分からきちんと言うつもりだった。
 バレンタインデーに、絵里子は手紙を添えてチョコレートとネクタイをくれた。
 彼女は、それらのものを事務用の大きな茶封筒に入れ、「親展文書です」と言って、堂々と支社長室の柴谷のもとへ持ってきたのである。
 何も知らない柴谷は、「有難う」と、目の前で封を切った。
 それが、彼女からのプレゼントだと分かり、不覚にも顔が赤くなった。
 絵里子はそれを見て、申しわけなさそうに「すみません」と言って部屋を出ていった。
 彼女がすることはいつも大胆だった。手紙の内容も柴谷が赤面するようなことばかりを書き綴ってあった。その場で一気に読み終えると、すぐに小さく破いて反古封筒に入れ、さらに、くしゃくしゃにし、ゴミ箱に捨てた。少女みたいなことをする絵里子を愛しいと思わないことはないが、今の柴谷にはやはり少々重かった。もともと最初から大人の付き合いだったはずなのに、今さら愛の告白もないものだった。
 絵里子はいったい何を考えているのだろうか。
 まあ3月まで、彼女が好きなようにすればいいと思った。お返しをするつもりもお礼を言うつもりもなかった。 柴谷は常に自分の感情をきっちり抑えることが出来た。言いかえれば、絵里子に対する愛は絶対的なものではなかったのだ。たぶん絵里子も同じはずだと柴谷は思っていた。51へ

(上記は〈小説・優しい背中〉で連載中)

posted by hidamari at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・優しい背中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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