2008年02月04日

小説・優しい背中

52
 支社長室をどういう風に出てきたのか絵里子は覚えていない。
 これが夢の中の出来事ではないと分かったのは、席に戻って10分はたっていただろうか。
 しかし、冷静になるとちっとも理不尽なことではなかった。
 自分だけは大丈夫と思い込んでいたことが招いた混乱だった。
 何も博多港倉庫へ転勤になることは、絵里子にとって、そんなに嫌なことではなかった。会社勤めをしていれば、転勤など、どこでもありえることなのだ。しかも、よく知っている前支社長広木の元で働けるという。むしろラッキーではないのか。
 それなのに、さっきはどうしてあれほど動揺したのだろう。
 きっと柴谷は絵里子の涙を見ただろう、と思った。
 自分の大人気ない態度が、今とても恥ずかしかった。
 ただ、柴谷に会えなくなることは、絵里子にとっては、やはり一大事だったのである。
 今まで出社さえすれば、柴谷に毎日会うことが出来た。
 たとえ、一言も言葉を交わさなくとも、いつも背中に柴谷の温もりを感じていた。それはカシミアの毛布に包まれているような、心地良い安らぎだった。
 それが、4月からはぱったり断ち切られるのだ。職場が変わる不安よりも、柴谷に会えなくなる不安が大きかった。
 しかし、その不安も、冷静になってよく考えれば解決出来そうな気がした。
 今後も、柴谷との関係を保てばいいのだ。そうするとまた会える。
 同じ福岡市内にいるのだ。会おうと思えば会えるだろう。いや、むしろ、好都合かもしれない。同じ職場内の恋愛はタブーでも、別な所なら許されることもある。柴谷もきっとそう考えたのだ。
 絵里子は、自分の都合の良いように考えていた。そうすると、絶対そうだと思えてならなかった。53へ

(上記は〈小説・優しい背中〉で連載中)

posted by hidamari at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・優しい背中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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