2008年02月11日

小説・優しい背中

55
 「僕たち別れよう」
 柴谷はいきなりそう切り出した。
 今夜の主賓3名は上席に座らされていた。しかし、時間が経つに連れて、宴会の席が徐々に乱れていった。絵里子の周りには、入れ代わり立ち代り誰かがお酌をしにきたが、ある瞬間、ぽっかり誰もいなくなってしまった。ちょうどその時を見計らったように、柴谷が絵里子の側に寄ってきた。
 絵里子は、柴谷がいつかは挨拶に来てくれるだろう、と心待ちにしていたので、ずっと席を立てずにいたのだ。
 来てくれた安堵感を、実感する間もなかった。
 「えっ!…別れるって?」
 「そう、もうこんなこと止めよう」
 絵里子は、柴谷のことばを頭の中で復誦していた。そして
 「別れるって、私たちそんな間柄だったんですか?別れるなんてことば、恋人同士か夫婦の間でしか、なりたたないのじゃないですか?私たちそんな親密な関係じゃないですよね」と、言った。自然に口から出たことばだった。心から柴谷への訴えだったのだ。
 いつかは言われそうな気はしていた。しかし、こんな時に、こんな場所で。
 それなのになぜか、以外に冷静でいられた。めげてはいなかった。
 「これ後で読んで下さい」
 ハンドバッグから手紙を出して、柴谷のポケットに突っ込んだ。これはずっとシミュレーションしていたことだった。すんなり出来た。
 その時、平林啓太がビール片手に近寄ってきた。
 そして、2人の間に割り込むと、
 「支社長と大城さんの2ショット、隅におけませんね」と言った。
 かなり酔っている。冗談でも、支社長に向かって素面では言えることばではなかった。
 「じゃあー新天地でも頑張ってね」と柴谷は絵里子に言い残すと、さっさとそこから去っていった。
 柴谷と絵里子の会話は、その間3分も経っていなかっただろう。あっという間の出来事だった。
 「支社長と親密に何を話していたのですか?別れ話だったりして」と、啓太は興味深そうに、絵里子の顔を覗き込んだ。
 いつもなら、軽く受け流すことが出来る絵里子だが、今夜はそんな気になれなかった。
 「ごめん、平林君。ちょっとお手洗い行ってくるから」
 そういうと、逃げるように宴会場を抜け出したのである。56へ

(上記は〈小説・優しい背中〉で連載中)

posted by hidamari at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・優しい背中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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