2008年03月06日

小説・優しい背中

63
 それから1年が通り過ぎていった。
 絵里子は45歳になっていた。女性としてだんだん衰えていることを、身を持って感じ始めた年でもあった。

 1年前、柴谷が本社へ栄転になることを知った絵里子は、プレゼントを持って本人に密かに手渡すため、福岡支社に出向いたのだった。
 プレゼントを渡す時いつもそうしたように、事務用茶封筒にプレゼントの品物を入れて、「最後のお仕事です」とお茶目に言って渡した。
 その中には、普通に1万円入れたお餞別と、考えた挙句買った機能の優れた電子手帳、それに長いラブレターが入っていた。
 柴谷は、封筒をちょっと覗いてすぐに察したようだった。
 「有難う、お世話になりました。お元気で」と、あたり触らぬ挨拶をしただけだった。
 絵里子は、それでも満足だった。不愉快そうな顔もせずに、受け取ってくれたことが嬉しかった。
 柴谷の毅然とした態度を寂しく感じながらも、絵里子はそれを黙って受け入れるしかなかった。絵里子はもう見返りを求めることは諦めていた。ただ自分の気持ちに素直になっていただけだった。自分の気を沈めるために、そうせずにはいられなかったのだ。
 絵里子が柴谷を慕う気持はいっこうに留まることなくますます膨らんでいくようだった。
 1つは、世話をする娘の美里が手許にいないこともあった。
 夫の泰三も、仕事、ゴルフと、家には寝に帰ってくるだけだったこともある。
 とはいえ、昼間は、仕事の繁忙さに追われて、他のことは頭に無い。むしろ、このところ軌道に乗った自分の仕事が楽しくて仕方がなかった。側からはいきいきと働いている姿が輝いて映っていたに違いなかった。
 その反動なのだろうか。プライベートの時間のつまらなさが、増幅されたのだ。
 夜になると、柴谷のことばかり考えるようになっていた。
 当然、柴谷とは、1年間、会うことはもちろん、電話をすることも、手紙を書くこともしていない。
 柴谷の存在が自分の中でどんどん大きくなっていくのが、返って心地良かった。
 忘れたくなかった。想い出を呼び戻す楽しみがあった。
 このところ、眠る前に柴谷のことをあれこれ想い浮かべると、その続きを夢の中で見ることが出来るのだ。そんな日の朝は、幸せな余韻がそこはかとなくいつまでも残っているのだった。64へ

(上記は〈小説・優しい背中〉で連載中)

posted by hidamari at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・優しい背中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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