2010年02月04日

弘法大師のこと

 私が諌江八十八ヵ所巡りを始めたのは、何も信心深いからではない。
 たまたま、お正月に初詣に行った神社に、諌江第7番札所の標柱があったことから始まった。
 それまで、諫早に八十八ヵ所があることさえ知らなかった。
 調べると、マイ散歩コースに札所が何ヵ所もあった。
 それから、散歩が、まるで宝探しのような楽しみに変った。
 それは、そこに大師堂があることを知らないと、絶対足を踏み入れないような山奥にあったりするから。
 そして、そこだけは、なぜか広場があったり、見晴らしが素晴らしかったりする。
 苦労して探し当てた時の快感と、そこから見た絶景に、今はすっかりはまっている次第である。
 恥ずかしながら、八十八ヵ所巡りがどんな意味があるかも知らなかった。
 弘法大師が真言宗を開いた空海の別名であることを、なんとなく分かっていたくらいだった。
 そこで、この際、ネットで弘法大師様のことを調べてみた。
 弘法大師とは、空海が亡くなってから、その功績に対してつけられた称号みたいなものだそうだ。
 空海を尊敬する僧侶たちがその後、空海が修行したとされる四国のお寺を巡って廻ったことが、八十八ヵ所巡礼の始まりということ。
 今、一般の方々が八十八か所巡りをするのは、人間修業のためだろうか。
 ということになれば、私のそれはちょっと違う。
 私の目的は、諫早の地域を確認するためと、運動のためだからである。
 でも、形だけはちゃんとお参りしているし、たまにはお賽銭もあげている。
 今度は、お花を持っていこうかとも思っているところである。
 信心はなくても、いのちの洗濯になっていることに感謝しているから。

posted by hidamari at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 諌江八十八ヵ所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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