2010年10月07日

長崎くんち

 10月7日、我が県では、地方局全て、朝早くから長崎くんちの生中継で始まる。
 私は、長崎っ子といっても、市の外れで育ったので、それほどおくんちに胸躍ることはない。
 ただ、おくんちの思い出だけはたくさんある。
 1番は亡き父との思い出。
 父は、男2人、女8人きょうだいの下から2番目、農家の二男坊として育った。
 戦後何年かたっていたと思うが、親子ほどの年齢差だった父の長姉さんが、諏訪神社のすぐ近くに大学生の息子と2人で住んでいた。
 今考えると、旦那さんは、戦争で亡くなったのか病気で亡くなったのか今では定かではないが、居なかったのは確かだ。私はそのことがあまり関心なかったので父に聞くこともなかった。
 私が5〜6歳の頃、父は、おくんちの御下りをみるために、そのお姉さんのうちへ前日から泊まりがけで呼ばれていった。
 その時父は、末っ子の私1人を連れていった。
 神社の階段のすぐそばにあった叔母さんのお家は、格子戸の門がある趣のある2階建てのお家だった。
 お姉さんの歓待を受け、父は本当に嬉しそうだった。
 私にとっては初めて見る伯母さんだったが、小さな私に何くれとなく優しくしてくれた。
 夕食の後、いかにも秀才風の、背の高い大学生のお兄さんがちょこっと出てきて、挨拶した。
 長崎で頭の良い人が行く大学だと父が言っていた。
 伯母さんは、農家育ちとは思えない上品な人で、和服をきちっと着て、白い割烹着を付けていた。
 父は膝をかかえて畳を見つめていたが、伯母さんは父に頭をくっつけるようにして、親密そうに話していた。
 伯母さんは歳の離れた弟がかわいくてたまらないようだったし、父もお姉さんが大好きだったのだろう。
 まだ小さな子供だった私は、父がお姉さんに甘える姿を見た時、父の違う一面を見た気がした。
 翌日、早朝7時から、お下りの祭りを長坂の桟敷で見た訳だが、そっちの内容は全く覚えてない。

 父にとっての甥であるその大学生のお兄さんは、その後、都市銀行に就職し、全国の都市を廻った。
 伯母さんとは結婚してからもずっと一緒に暮らした。

 父は、彼のよき相談役になり、転勤先にもちょいちょい訪ねていっている。
 お姉さんに会うのも1つの目的だったのだろう。
 おくんちの思い出は、まだまだある。(つづく)

posted by hidamari at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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