2016年10月16日

大河“真田丸”第40回「幸村」

 欠かさず観ているが、録画で見るので、1週間遅れで今日観たのは第40回分。
 信繁という名前が幸村に替わるいきさつが分かるのだが、ウイキペディアで史実を読むと、実際は本人在命中はずっと信繁を名乗っていたという。
 後年子孫の時代に幸村の方が相応しいということで、系図や書籍などで替えたということ。
 今回は、蟄居している信繁が、豊臣方から徳川と戦うため大阪城に入るようにという誘いを受けて、動揺するというものだった。
 結局は、きりの後押しで、入城を決意する。
 実は幸村の活躍は第41回から始まる。
 今までは前段で、彼の人と成りと周りの武将の活躍など、布石のストーリーだったのだ。
 彼が主役として輝き出すのは大阪冬の陣、夏の陣、ほんの1年余りのこと。
 それもきっかけはそれほど大義があった訳ではない。
 元々戦があまり好きでなかった。
 家康がそれほど憎かったわけではない。
 ただ恩のある人から頼まれれば嫌といえず、しかも側室のきりから「何の功績もなく朽ち果てていいの」と罵倒されて、なりゆきで豊臣方を応援せざるをえなくなったのでは、と思ったことだった。
 ただ、この戦いは彼の人生で1番輝き、花開いた時ではなかったのか。
 結局彼は、そこを舞台に自分の名誉のために戦ったのではなかろうか。
 蛇足だが、ウイキペディアで、彼には数多くの側室がいて子供もたくさんいることを知った。
 きりの存在は史実にもあり、子供も2人いるとのこと、併せてびっくりした次第である。
 まだ、あと10回残っている、これからがクライマックス、楽しみである。

※夫は今日町内囲碁同好会例会に出席 ―― 成績 6段でして4勝1敗
posted by hidamari at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 読後感・映画の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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