2006年01月22日

ホテルの部屋に飾ってあった活け花


ホテルの部屋の活け花.jpg※87 旅立ち
 私たちが座っている砂山の西端から眼下には、段々畑が広がりその先は田んぼが続いている。畑の草は瑞々しい黄緑一色で、一面に春の香りを漂よわせている。田んぼには、まだ花が咲いてないれんげ草が、緑のじゅうたんのように敷きつめられ、夕日に輝いている。
 久しぶりに見るこの見慣れた景色が、まるで生まれ変わったようにイキイキと息吹き、私の心を捕らえた。でも、慎ちゃんとこうして見るのは、これが最後になると思うと、やはり心細く、こみあげてくるものを抑えきれない。
 隣にいる慎ちゃんは、この景色を今どんな気持で見ているのだろうか?
 2人はしばし無言でこの古里の景色を見入っていたのである。
 夕暮れの長い光線は、その私たち2人をスポットライトのように照らしていた。
 その光線の元の真っ赤な太陽は、2人がただぼんやりと見ている間に、徐々に稜線に消えていった。
 「そろそろ行かないと」と私が思い腰を上げて言うと、慎ちゃんも「そうだね」としぶしぶ立ち上がった。
 
 向きを変えてふっと山の方に目をやると、緑の木々の間に真紅の藪椿の花が1輪浮き上がっていた。
「慎ちゃん、見て見て、あれ藪椿の花だよね!」
「あっ、ホントだ、まだ、散らんで残っとったとやねー」
「うん、……慎ちゃんがいつだったか、あの花、折って私にくれたこと、覚えてる?」
「うん、もちろん。……折って来ようか?」
「ううん、あのままにしとこ、あれ1輪残ってる、ていうのは、私たちの絆が残ってた、ていう証かもよ」
 慎ちゃんも納得したように大きく頷いた。              (完)

(写真は、暮に泊まったホテルの部屋の中の活け花)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載して参りましたが、今回を持ちまして完結しました)

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2006年01月20日

レース編み


レース編み.jpg※86 旅立ち
 慎ちゃんと私は、いつの間にか、目の前に田畑が広がっている見晴らしのいい、いつもの場所まで、戻っていた。
「ここへ来るのも久しぶりねー、半年以上来てないもんね」
「何言いよる、俺毎週日曜日に来てたよ。真理ちゃんが思い直して、会いに来てくれるかもしれん、て思っとったから。でも、ホントはとっくにあきらめとった。今日は5時に守山さんちへ挨拶に行くことにしてたと。それが知らん間にここへ来てしもうて、1時間近くボーッて、しとった。そこへ真理ちゃんが来たとよ」
「そう、……ここにずっと来てたの、そうねー、タローの散歩もあったしねー」
「違うよ、タロー、散歩に出たがらんとよ、ここんとこ寝てばかりだもん、もう老犬やもんね。……それより俺、真理ちゃんの心変わりがどうしても信じられんやったとよ」
「……ごめんね、……そうだ、今から守山さんちへ行くんでしょ?お母さんと会うとやね、ごめんね、遅くなったね」
「うん、でもお母さんは昨日広田に来てくれたと。お祖母さんから守山さんにも挨拶に行くように言われたから、……でも後でいい、真理ちゃんの方が僕にとっては大切だから。……ここにいてよかったよ」
「うん、私たちやっぱ赤い糸で結ばれていたんだよ」
「それなら嬉しいよ……手紙書くから」
 慎ちゃんは、そうだ、といってポケットの中から折畳んだ紙切れを私に渡した。
「これ、真理ちゃんにやる時があるかもしれんて、いつも用意しとったと」
 開けてみると、住所と電話番号が書いてあるメモだった。
「うん、有難う、手紙待ってるけん。連休にはお金貯めて東京へ会いにいくね」
「えっ、ホント!約束だよ、俺もそのうちお金貯めて旅費送るから、……時々会えるよね」
 何だか、今まで悩んでいたことが、嘘のようだった。何も心配することはなかったような、今までの苦悩や心の葛藤がバカげたことに思えた。

 慎ちゃんはフッと暗い顔になり、
「俺ね、真理ちゃんと別れるなら、大学卒業したら、南米にでも移住しようと思っとった、大学の先輩たちがペルーやブラジルで成功してるってパンフレットに書いてあったから、本気で考えとった。……でも」と、今度は明るい顔だった。
「よかったよ、そんなことにならんで。俺、頑張る、真理ちゃんのためなら頑張れるから、絶対いいところに就職するから。真理ちゃん有難う」
 私は慎ちゃんのことばを、1つ1つ心に刻みながら聞いていた。87へ

(写真は、今年になって随筆の会の友人から、手作りのレース編みを頂いた。気持が嬉しかったので、いつも見ることが出来る居間のプリンターにさっそくかけた。部屋が明るくなったよう)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

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2006年01月18日

見ザル、言わザル、聞かザル


見ザル、言わザル、聞かザル.jpg※85 旅立ち
 気持ちを沈めながら近づいていった。
「慎ちゃん、こんにちは」
 慎ちゃんは振り向いた。突然声をかけられた驚きと、しかも私だったことに動揺した様子だったが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「こんにちは」と返事はしたが、ニコリともしなかった。私を不思議そうに見ると、ペコンと頭を下げて「じゃあー」と言うなり、帰る方向に歩き始めた。
「もう帰るの?明日東京へ発つんですってねぇ、元気でね、また、いつか会えたらいいねぇ」と、言おうと考えていたことを、一気に吐き出していた。
 すると、慎ちゃんは、立ち止まり私の方を向くと、まるで、引導を渡すかのように
「もう、会うことはないと思うよ、僕は2度と広田には帰って来ないから」と、何の感情も入れず答えた。
「えっ、どうして?だってお祖母さんもいるのに、お正月とか帰らないの?」
「前にも言ったやろ、僕はもう死んだとよ、今まで育ててくれた祖母ちゃんに迷惑かけるけん身体は前のままやけど、心はとっくに死んだとよ、だから、あんたのことも今は何とも思ってない、思い出すことも、会うことも2度とないけん」
「……じゃあー、とにかく身体だけは大切にね、さようなら」と、私も何でもないようにあっさり言ったが、頭の中は真っ白だった。そのうちに涙だけが後から後から溢れてきた。
 慎ちゃんはこれからどこかへ出かけるのだろうか、真新しいスプリングコートを着ている。
 そのスプリングコートの、濃紺のチェック柄がやけにくっきりと目に入った。私は、じっとその後ろ姿を見送っていた。まるで、夢をみているような感覚だった。

 その時、もう1人の私が突然現れた。
 そして、「真理子、追いかけなよ、慎ちゃんが忘れられないんだろう、意地を張ってる場合じゃないよ、慎ちゃんだってまだきっと真理子が好きなんだよ、その証拠にここに来てたじゃない。今ならまだ間に合うよ、走って行って背中にすがりつくんだ」としきりに私を急き立てる。
 ハッと気が付いた時は、私は慎ちゃんを追っていた。
「慎ちゃん!待ってー、待ってお願い!」
 慎ちゃんは振り返って私を待っていた。
「どうしたと?」とあの優しい半分泣いたような笑ったような懐かしい顔だった。私が必死で叫ぶ姿を見て、彼は私の真を感じ、凍った心を溶かしてくれたのだ。その時、電流が走ったように再び2人の心が通じ合った。
 私は慎ちゃんの胸に飛び込んで抱きついた。慎ちゃんも私を受け止め、確かに抱き返してくれた。
「慎ちゃんがやっぱ好き、慎ちゃんのこと待ってていい?東京へ呼んでくれるまでいつまでも待ってるけん」
 思わず口に出していた。そして私自身も自分の本心を始めて知った瞬間だった。目が覚めた思いがした。ホントはとっくに慎ちゃんと生きていこうと決めていたのかもしれない。

「ホントにいいの?こんな俺でいいの?俺、もう1度生き返ってもいいの?真理ちゃん俺をもう2度と裏切らんて、約束出来る?」と慎ちゃんは私を何度も何度も強く抱きしめながら問い続けた。86へ

(写真は、嫌なこと、嫌がられることは、……に限る、縮緬で作ってあるサルのお人形)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

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2006年01月16日

吉野ヶ里遺跡―支配者の館


復元された支配メの館.jpg※84 旅立ち
 その夜、遅くまで眠れなかった。このまま一生会えなくていいの?とずっと自分に問いかけていた。もちろんいいに決っていた。私自身がそれを望んだことだった。
 それなのに、日曜日、私は全く落ち着かなかった。洗濯していても、掃除していても、心はうわの空だった。それでも洗濯、掃除を一応済ませた。すると、もう何もする気になれなかった。ところが、何か他に大事なことをしなければならないようで落ち着かないのだ。
 母に話しかけられると、返事するのもうっとうしく、訳もなくイライラした。そして自己嫌悪に陥った。私はそんな自分をどうすることも出来ず、自分の部屋へ閉じこもって悶々としているしかなかった。
 そのうちに眠ってしまったとみえる。ふと目が覚めて時計を見ると、針は午後5時を指している。
 その時だった。頭の中に突然光が射したのだ。光の中に砂山が浮かんだ。
 ―砂山へ行ってみよう― 
 なぜ、このことを今まで思いつかなかったのか、不思議だった。
 それから大急ぎで鏡の前へ行き、手早く薄く化粧をした。ジャージを脱ぎ、白いブラウスとベージュのカーディガン、青いフレヤースカートを着た。慎ちゃんが以前にかわいいと言ってくれた組合わせだった。

 階下にそっと降りていくと、幸い母の姿はなかった。私は無我夢中で裏口から駆け出していた。
 国道を横切り、山を駆け登った所で、息が切れた。ハッと気がついた。― 何でそんなに急ぐの?慎ちゃんが居るはずないでしょ。一体私は何をしようとしているのだろう― と思った。力が抜けた。
―いいのよ、慎ちゃんにたとえ会えなくても、でも、会えるとしたらここしかない、だから、後悔しないために行くのだ―と改めて自分に言い聞かせた。
 それは、私の頭の中に突然、― 慎ちゃんも、ひょっとしたら、節目節目で2人が会ったこの砂山を懐かしく思って来てくれるかもしれない ― とひらめいたからだった。
 ドキドキしながらいつもの原っぱへたどり着いた。

 そこには、なんと、紛れもない懐かしい慎ちゃんの後姿があった。私の胸は張り裂けんばかりに喜びに震えた。しかも竹の下バス停で見た、あの人を寄せ付けない岩のような背中ではなかった。彼の背中は広くてがっちりしていたが、寂しげで哀愁が漂っていた。
 走っていってすがりつきたい衝動にかられた。が、さすがに、気安く身体に触れ合える間柄ではもはやないのだ、と自分を抑えた。85へ

(写真は、吉野ヶ里遺跡のクニ(集落)に復元された支配者の館。発堀された柱の穴を元に想像して復元されている)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)
 
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2006年01月14日

佐賀牛コース


佐賀牛コース.jpg※83 旅立ち
 3月初めは日曜日も出勤する忙しさだったが、中旬になると、データ―作成に目途がついてきた。それで、やっと土曜の午後からと日曜日をちゃんと休むことが出来た。
 そんな土曜日の夜、久しぶりに父と母と私は揃って夕食を取った。
「真理子、慎君はいよいよ、明後日、月曜日に東京へ発つそうだぞ」
「そうなのよ、そう言えば、ご近所では皆、お餞別をあげたらしいよ、ねえ、父さん、ウチでも早くやらないと、父さん明日持っていって下さいよ」
「俺がかぁ?……そうだ、真理子持っていきなさい、おまえ慎くんとは仲がよかったし」
「……イヤだよ、私がやるわけじゃないし、それに私、久しぶりの休みだし、洗濯、掃除で忙しいよ」
 私は、内心大パニックだった。
― 何、明後日、もう行ってしまうの?このまま慎ちゃんとは会えなくなるの?―
 その後、ご飯が喉に通らなかった。砂を噛んでいるようだった。かといって何をどうすべきか、皆目見当がつかなかった。
「じゃあーいいよ、母さんが持っていくから、5千円でいいよね」と母は事務的に言った。
「それにしても、慎くんは偉いなー、昼間働きながら夜間大学へ行くとはねえー、真理子は親が金を出すというのに行かなかったのになー」
「そうよねー、もともと、三崎さんの血筋は皆頭良いからね、おばあさんもこれで安心でしょうし、ミツエさんもホッとされるでしょうよ」などと話している父と母のやりとりを、私は上の空で聞いていた。84へ

(写真は、暮に泊まった武雄の温泉ホテルで食べた夕食。夕食のコースの種類で宿泊料が異なる)
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2006年01月12日

お正月用―和リース


正月用 和の飾り物.jpg※82 旅立ち
 3月になると、こげ茶色だった田園風景が息吹き始めた。この間まで枯れ木同然の梅ノ木が2月に突然蕾をつけ花が咲いたと思ったら、今では花も散り、若葉が茂り始めた。畑の枯れ草の間からは新しい緑の草がニョキニョキ芽を出している。山々も若葉色に変わりつつある。ウグイスもあちこちでさえずり始めた。
 眠っていた世界が目を覚まし、いっせいに躍動を始めたのだ。

 私は、忙しい毎日を送っていた。私の仕事は取引先に対する売上を部門毎、月毎に出し、その動向と推移をデータ―にすることだ。決算を前に見込みを作らなければならない。毎日残業だった。帰宅する時は夜中の11時をまわっていることも度々だった。
 家には寝るために帰るだけの生活だったが、それは私にとってとても好都合だった。慎ちゃんのことを思い出す暇がなかったのだ。帰宅するとお風呂に入るのがやっとで、泥のように眠りにつく毎日だった。
 そんな時、係長に呼び出され、
「本田君、君には4月から、本社で開かれている、支店長・部長会議に出席してもらうから」と言われた。
 この会議は東京本社で毎月行われているもので、支店長、部課長はもちろん出席するが、その他に、担当者が係り毎に何人か選ばれて出席するのだ。総務はめったにお呼びがかからないが、今回、私も4年目に入るし、仕事も認められたのかもしれなかった。
 私が出席出来るとは思ってもいないことだった。それだけに嬉しかった。慎ちゃんのことがすぐ頭に浮かんだ。東京で会えるかも、とふと思った。でもすぐ、―そんなことはもうあり得ないのだ、慎ちゃんとは別れたのだし、こんな報告さえ今では出来ないのだから― と思うと、むしょうに慎ちゃんが恋しかった。慎ちゃんに会いたかった。83へ

(写真は、呉服屋さんに頂いた縮緬で作ってある和のリース)
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2006年01月10日

有田焼の大きな急須


有田焼の大きな急須.jpg※81 旅立ち
 昭和42年は、衆院総選挙で幕が開け、世の中は正月早々騒がしかった。
 私の心は、暮にはいったん明るい兆しが見えたように思えたが、実は一向に晴々としなかった。胸の中にいつもモヤがたち込め、すっきりしない日々が続いていたのだ。
 1月中旬になると、そろそろ、職場の下見と、ほぼ合格間違いなしの大学入試を受けるため、慎ちゃんが上京するんだと、彼のことばかり考えていた。そんな1月が過ぎ2月になった。
 私の部屋から見える田んぼや原っぱは、どこまでもこげ茶色で殺伐とした風景を成し、冷えきった空気が突き抜けるように染み渡っていた。それは人っ子1人いない広田の田園風景をより閑散とさせていた。
 私は、日曜日の午後、どんより曇ったその寒々とした景色を窓越しに眺めていた。
 慎ちゃんの姿どころか、犬1匹見当たらない。でも今はまだ慎ちゃんは、この広田にあの家に居るのだ。姿は見えなくても、すぐそこに居るのだ、と思うとなぜかほっとした。
 3月までには、きっと慎ちゃんのことを、心の中から追い出してみせると思っていたのに、慎ちゃんは未だに私の心に居坐り、私の心を占領していた。

 半ドンの土曜の午後と、日曜日がだんだん嫌いになっていた。
 そんな2月末の土曜日の午後、仕事が終っても何をするあてもなかったので、帰宅するしかなかった。2時頃のバスに乗ったので1時間弱で広田のバス停には着く。1つ手前の竹の下バス停へ着いた所で、何となく窓の外に目が行った。 反対車線のバス停に詰襟姿の慎ちゃんが立っていた。とたんに胸の鼓動が高鳴った。
― 慎ちゃんだ、今から夜学へ行くんだ、今日はちょっと早いのねえ ― という思いが、サーッと頭の中をよぎった。その時、フッと慎ちゃんと話したいという気持が湧いてきた。と同時に私はバスから飛び降りていた。
― 何で、今さら、わざわざここで降りてまで何を話したいのよ ― と思った時は既に遅く、バスは発ち去った後だった。
 国道の向こう側に慎ちゃんが1人立っていた。午後の今時分、乗車する人も下車する人も滅多にいないのだ。国道を挟んで2人だけ取り残された状態だった。
 慎ちゃんと私は一瞬確かに目が合った。私は反射的に微笑んだ。慎ちゃんはまるで知らない人を見るように私を一べつするとクルッと後向きになった。完全に私は無視された。というより、はっきり、拒絶されたのである。
 国道を横切り慎ちゃんに駈け寄ろうとした矢先だった。慎ちゃんの背中がまるで岩のように立ちはだかった。足がすくみ1歩も進めなかった。
 別れるというのはこういうことなのだ、心が通じ合わないということなのだ、私のことを心から大切にしてくれ、どんな時でも私を守り支えてくれた、ただ1人の男人、慎ちゃんを失ったことを、改めて思い知らされた。

バツが悪くて、かっこ悪くて、口惜しくて、この場を1分でも早く立去りたかったが、あいにく隠れる所もない見通しのよい1本道の国道だった。テクテクと歩いて帰るしかなかった。82へ

(写真は、武雄温泉のホテルの階段に飾ってあったもの)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

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2006年01月08日

吉野ヶ里歴史公園


吉野ヶ里歴史公園.jpg※80 旅立ち
 会社では12月は、3月に次いで忙しい時期である。
 日々の煩雑さに紛れて、心の痛みや寂しさを感じるのは、徐々に薄れつつあるような感じがしていた。
 さすがに、クリスマスが近づき、テレビやラジオからクリスマスソングが流れ出すと、昨年のイブに慎ちゃんと2人で行った教会のミサのことが思い出された。1年前のことなのに遠い過去の出来事のように思える。慎ちゃんは、きっと今年も1人でミサに行くのだろう。私にはもはや関係のないことだった。

 クリスマスイブは、幸いにも会社の独身会の忘年会が行われた。その夜、私は呪文が解き放たれたように弾けた。そして、率先して場を盛り上げた。支店長をはじめ部課長の形態模写をして、会場の大爆笑を誘った。
 住田さんが「本田さん、何か感じ変わったね」と目を丸くしていた。
 彼が私に好意を持ってくれていることは知っていたが、昼食をアルバイトの女性たちを交えてすることはよくあったが、心が通じ合うことはなかった。とてもプライドの高い彼は、それ以上アタックしてくることもなかったので、それ以上、進むことはなかったのだ。
 住田さんが、私が変わったと感じたのは、最近の私がやはり元気がなかったせいだろう。自分では、職場ではプライベートなことを引きずっていけないと思い、努めて明るく振舞っていたし、絶対悟られないよう気をつけていたことだったのに、気がつかれていたとすれば、彼に私の深層心理を見破られていたようで改めて恥かしかった。
 もともと私は明朗活発な性格で、家族の中でも、場を盛り上げるのを使命としていたほどだったので、この忘年会で、久しぶりに本領が発揮出来たのかもしれない。
 私には親に隠れてこそこそする恋愛などむかない、これからはノビノビと明るい生活をしよう、とお酒を飲みながらしみじみと思った。すると、目の前がパーッと開け、明るい兆しが見えたような気がした。81へ

(写真は、年末に行った吉野ヶ里。5年ほど前とは様子が大幅に変わっていた。大きな箱物が建ち、敷地も何倍にもなっていた。でもお客さんは少なく、経費の無駄使いのような気がするのだが)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中) 

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2006年01月06日

葉ボタンのオブジェ


川登SA.jpg※79 旅立ち
 12月になると、会社を定時に終えて急いで帰っても、家に着く頃は、廻りはすっかり夕闇が迫っている。
 自分の部屋に入ってすぐ窓の外を見るくせは相変わらず続いていた。
 これは、子供の頃からやっていたことではあるが、慎ちゃんと親しくなってからは、彼を探すのが習慣になっていた。
 慎ちゃんは夜学に通っているので、私が会社から帰る頃は居ないと分かっていたが、やはり目は何となく彼がいつも働いている田んぼや畑にいくのだ。
 窓からは、慎ちゃんの家、その家に続く敷地内の道に大きな柿の木がたっているのも見える。
 慎ちゃんは、その柿の木の下に立ち、よく私の部屋の方を長い間じっと見ていた。
 夕闇の中、柿の木の下にぼんやりと人影らしき物が見え、ドキッとした。単に藁か薪を立て掛けてあるだけだろう。慎ちゃんであるはずがなかった。

 昼間は職場の喧騒の中で慎ちゃんのことはあまり思い出さないが、夕方になると急に心の中にぽっかり穴が開いたような寂しさが、怒涛のように押し寄せてくる。それに月の生理が半月以上遅れているのが、心細さと不安を掻き立てていた。
 でも、その日、午後から下腹が差し込み、独特の不快感があった。これはいつも体験する生理の前兆だった。そして、その夜、生理がやってきた。心の奥底で慎ちゃんの子供が欲しいと、とんでもない思いもないではなかったが、いつもは憂鬱な生理の到来が、何より嬉しく有難く思え、神に感謝したのである。80へ

(写真は、高速SA川登の池にあったもの)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

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2006年01月04日

佐賀の名山―天山


佐賀 天山.jpg※78 旅立ち
 慎ちゃんと私の家がある集落は国道の東側に位置していて、広田バス停と竹の下バス停のほぼ中央にある。慎ちゃんは私が洋裁学校へ通う前までは、バス停は博多寄りの竹の下を利用していた。
 私が洋裁学校に通うようになり、一緒のバスで帰るようになった時から、彼は私に合わせて広田バス停を利用するようになっていた。
 
 その夜、慎ちゃんは私を置いて、竹の下バス停で降りていった。
 夜道の1人歩きは危険だとあれほど心配してくれたことは一体何だったのだろう。
 私は、バッグと洋裁道具の袋と汚い大風呂敷の包みを持って、泣きたい気持を抑えながら、とぼとぼと暗い夜道を、1人で帰った。
 11月30日闇夜、身も心も凍えるような寒さと、恐さと、心細さが身体全体に染み渡り、ただ惨めだった。

 家に着いてもこの大風呂敷包みの処置に困った。
 2階の私の部屋まで運ぶのには、居間を通り抜けなければならない。そこには必ず母がテレビを観ているのだ。
 ひとまず小屋に隠しておいて、母が寝静まった頃、おもむろに2階に運んだ。
 慎ちゃんから今までにもらった、50通くらいの手紙の束は、蒲団を入れる押入れの天井裏にずっと隠している。
 私はその夜、慎ちゃんからつき返された私が書いた手紙を、風呂敷包みごとそこに押し込んだ。

 その後、その2人分の手紙の山を、父や母に分からないように、風呂のカマドの中で燃すのは、大変な苦労だったのだ。慎ちゃんの証明書用のかわいらしい写真を燃すのはもったいないような気がしたが、私も彼に見習って、慎ちゃんにまつわるものは何一つ残さず、すっきりと処分したのである。79へ

(写真は、年末、高速を走りながら車の中から撮った天山。スキー場もある山の頂きには雪が積もっている)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)
 

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2006年01月02日

佐賀の田園風景


田園.jpg※77 旅立ち
 明日から12月、正真正銘の11月最後の木曜日、私は洋裁学校を辞めた。
 一緒に通い始めた花田さんは3月まで頑張るという。4月からは一緒に料理学校へ行こうと話し合っていた。
 花田さんが乗ったバスを見送り、1人になるとイヤでも慎ちゃんのことを思った。先週、今日までは一緒に帰ろうと、手紙の中で書いたのだが、果たして同じバスに乗ってくるのか、見当がつかなかった。別れを告げてから、まだ1週間しか経っていないのに、ずいぶん前のような感じがするのが不思議だった。

 バスはいつもの時間に、いつものようにやや空いている状態で、バス停に到着した。
 バスに乗るとすぐ、後から2番目の席に目がいった。慎ちゃんは乗っていた。
 彼はいつものアイコンタクトを私にすることもなく、窓の外を無表情な面持ちで見ていた。
 私の姿は、窓の外を見ている以上確認しているはずである。
「こんばんは、座ってもいいね」と私は慎ちゃんの顔を覗いながら、隣の空いた席に手を向けた。慎ちゃんは黙って頷いた。
 しばらく無言のままだった。気まずい空気と緊張が流れた。
 慎ちゃんの膝の上に緑の古びた木綿の大風呂敷包みがどっかと載っていた。
 話すきっかけが出来たと思い「今日荷物が多いね」と言うと、
「あっ、これ返すから、全部あんたからもらったもの、降りてからと思っとったけど」とたんたんと言い、ドサッと私の膝の上にその風呂敷包みを移動させた。
 私は ―こんな汚い風呂敷包みをもらったって困る― と一瞬嫌悪感のようなものが走るのを感じた。
「これ何ね」と汚いものを触るように、結び目をつまみあげてみた。
「風呂敷ボロでごめん、後で捨てていいから」と慎ちゃんは無愛想に言った。
 私は恐る恐る包みを開けた。
 それは、私が慎ちゃん宛に書いた手紙の山だった。それに私の写真、本、辞書、クリスマスにプレゼントしたセーターと、慎ちゃんに渡した全ての物が1つ残らず入っていた。それらのものは汚い風呂敷に無造作に包まれ、私の膝の上に曝され、私たちの過去全てをゴミのようにみすぼらしくさせた。今まで2人で積み上げてきた歴史が、何の意味も成さず、ただ徒労に終ってしまったような空しさが込み上げてきた。
 でもこの方法は慎ちゃんが私との固い決別を、見事に私に知らしめる最も分かりやすい手段だった。
 考えてみれば当然のことかもしれない。でも私にはとてもショックで、予想以上に傷ついたのである。せめて写真くらいは持っていてくれていいのではないか、と思ったし、手紙をこんな形で返さなくても、燃してくれればいいじゃない、と思ったのだ。私にまつわるものが、慎ちゃんの手許には何もないのだと思うと、とても悲しかった。
 私は、たとえ恋人でなくなっても、幼なじみとしての絆は保ちたいと思っていたし、会ったら近況報告くらい話したいと思っていた。こんな風に考えるのは虫がよすぎるのだろうか。
 私はその包みを膝に乗せたまま、なす術もなく茫然としていた。
 そしてふっと我に返り「燃してくれればよかったのに、……私、慎ちゃんからもらったものは燃すから」と呟いた。
 慎ちゃんは黙ってそのまま窓の外に目をやった。78へ

(写真は、高速を走りながら撮った、佐賀の田園風景)
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2005年12月31日

湯布院の何処からでも見える由布岳


湯布院の何処からでも見える由布岳.jpg※76 旅立ち
 朝、外へ出るのが恐かった。
 かといって、出勤時間を早めたり、遅らせたりするのは、やはり慎ちゃんに対して申訳なかった。小細工をしてますます彼を傷つけるのは、不謹慎なようでしたくなかったのである。

 案のじょう慎ちゃんは国道で待っていた。
 一目見た時ドキッとした。
 目がくぼみ、心なしかほっそりしたように見える身体から、死相があるとしたらこうなのではないかと思える、暗い寂しい気が漂っていた。
 血が通っていないように冷たい顔だったのだ。半分泣いたような笑ったようなあの独特なはにかんだ笑みはどこにもない、まるで別人だった。
「おはよう」と、全くの無表情で私を見つめた。睨んだのかもしれない。
「おはよう」私はいつものように微笑んだ。
「手紙、読んでくれた?」
「うん、読んだよ」
「……で、俺、どうすればいい?」
「ごめんね、私、もう決めたことだから」
 慎ちゃんは、唇をかみしめてうつむいた。長い睫毛がぴくぴく動き、急に無表情な顔が深いため息とともに、悲しみに満ちたあきらめの顔に変わった。長い睫毛を伝わって大きな水滴が青白いその頬を濡らした。
「そう、俺に死ねっていうことやね」と慎ちゃんはまるで自分に言い聞かせるように、うつむいたまま、呟いた。
「ねえ、そんなこと言わんでよ、これからもずっと慎ちゃんのこと応援するから」と私は慎ちゃんの顔をまともに見られないまま、胸元を見つめて言った。
 慎ちゃんは、その後は何も言わず、国道を自分の家の方へと帰っていった。
 一方、私は反対方向のバス停へと向かって歩いた。
 2人の距離がどんどん離れていくのを私は感じていた。
 私は1度も振り返らなかったが、おそらく、慎ちゃんも1度も振り返ってはいなかったのではないだろうか。なぜか、私はそう確信した。そして彼は私との別れをきっぱり決めたのだと思い、少しホッとしたのである。77へ

(写真は、湯布院の町中から撮った由布岳)
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2005年12月28日

高速を走りながら撮った由布岳


高速を走りながら撮った由布岳.jpg※75 旅立ち
 慎ちゃんの手紙は後の方に行くに従ってことばが過激になっている。死ぬの殺すのというのは小説の中の話だと思っていた。
 私は、慎ちゃんは決して本意ではないと思った。
 手紙を書いているうちに気持が高ぶり、言葉だけがだんだんエスカレートしていったのだと思った。温厚で思慮深い慎ちゃんがそんなことをするはずがないと思ったのだ。
 それなのに、もう1人の私は、
「真理子、それは虫のいい考えだよ、あんたは慎ちゃんを甘く見てはいないかい、慎ちゃんの言うとおりだよ、今まで慎ちゃんのこと、さんざん振り回しておきながら、今になってバイバイじゃ、誰だって怒るよ。特に慎ちゃんは愛に飢えているのだから、想いは人1倍だと思うよ、自殺でもされたらどうするの?」と、それ見たことかと言わんばかりに私に耳打ちする。
 でも、私は冷静だった。
 ―もし、逆の立場で、私の方が慎ちゃんから別れを切り出されたら、私も、死ぬの殺すのということばだって口にするかもしれない。
 慎ちゃんは今、頭に血が上っていて、自分を見失っているだけだ。時間がたって冷静になれば、私のことをきっと許してくれる、絶対分かってくれるよ。だって、慎ちゃんはまだ20歳だよ。仕事も大学も決っているのに失恋したぐらいでそれをパーにするなんて、バカげているよ。それに今からいくらだってステキな女性とも出会えるし。そんなことよく考えれば分かることだよ。―と思えるのだ。
 そう考えると、いくらか気分が楽になった。
 明日になったら、慎ちゃんはきっと落ち着くだろう。
 一方で、明日もまた、朝、国道で慎ちゃんは私を待っているだろうなあ、と思った。
 しかし私は、どんなことがあっても、もう後戻りはしないつもりだった。
 私だけのためではなく、慎ちゃんにとってもその方がいいのだと言い聞かせていた。76へ

(写真は、別府方面から湯布院に向かう車の中から撮った写真。湯布院と由布岳はゆの字が違う)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

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2005年12月26日

別府―湯煙の朝


別府の朝の湯煙.jpg※74 旅立ち
 慎ちゃんの手紙は、会社のトイレの中で読もうと思った。
 内容は大体想像出来た。急いで読むこともなかった。
 朝の職場は戦場のように忙しい。机で手紙などゆっくり読んでいられないし、周りにはしょっちゅう誰かが立ち回っているので、落ち着いて読めるはずがない。手紙の内容によっては動揺して仕事が出来ないかもしれない。
 
 昼休みが来るのを待ってトイレに駆け込んだ。
 手紙を開ける手が震えた。身体全体が宙に浮いているように安定しなかった。やはり緊張しているのだ。
 手紙の字は大きくて乱雑だった。慎ちゃんの慟哭が現れていた。

[ 真理ちゃんの手紙、楽しみにしていたのでウキウキして読んだ。
 でも、内容を読んで力が抜けた。悪夢をみているようだ。涙で前が見えない。僕は明日からどうすればいいか分からない。今すぐ真理ちゃんの所へ飛んで行き、胸ぐらをつかみ真意を聞きたい。僕にはとても信じられないことだ。
 でも、やっぱり、行けない。おじさんやおばさんがびっくりするだろうから。
 それで、もうろうとして、手紙を書いている。
 真理ちゃんが僕の前にいるような感じで、思いついたことを何の脈絡もなく書く。
 字もきれいに書けない。
 何かしていないと朝までもたない。

 もともと僕は真理ちゃんとは住む世界が違うと思って、あんたのこと何とも思っていなかったんだ。
 それをあんたが優しくしてくれて、僕は生まれ変われると思った。生きててよかったと思った。
 あんたはずっと、僕のマリア様だったし、生きる支えなのだ。そのことはあんたも知っていることだろ?
 天使のような顔をして、心の中では僕を騙していたのか。

 僕と離れるのが不安というのが理由なら、僕は東京へは行かないよ。大学は福岡にだってあるんだから。僕が東京を選んだのは、東京の方が2人の夢が叶うと思ったからだ。
 おじさんおばさんに頭下げろというのなら、そんなことは僕の中ではいつだって考えていたことだ。真理ちゃんがダメだというから、しなかっただけだ。
 東京で今すぐ一緒に暮らしたいというなら、土方したって真理ちゃんを養っていくよ。
 とにかく、僕は真理ちゃんの思うとおりになるから。今までだってあんたのいうとおりにしてきたし、ずっと真理ちゃんの思うとおりになろうと思っている。
 あんたは僕を天国へ連れてきておいて、そこから地獄に突き落とそうとしている。
 ひどいよ。
 お願いだから、考え直してくれ。
 別れて、というのは、死ね、というのと同じことなんだ。
 真理ちゃん、別れるなら俺を殺してよ。僕は1人でこの先、とても生きていけそうにない。
 真理ちゃん、一緒に死んでくれないか。
 イヤ、それが出来ないなら、あんたを殺して俺も死ぬ。
 僕は死ぬのはちっとも恐くない。真理ちゃんを失うのが恐い。
 とにかく、真理ちゃんと別れるのは僕が死ぬ時だ。覚えといて]75へ

(写真は、旅先で、ホテルの窓から撮ったもの)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

 

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2005年12月24日

ひだまりでグルーミングするサル


グルーミングするサル.jpg※73 旅立ち
 慎ちゃんの就職が内定したこと、大学も決まりそうなことを手紙によって知った。
 ― 慎ちゃん、頑張ったんだ、よかったねえ― と、心から言ってやりたかった。
 でも、慎ちゃんの自立は、私には辛い別れとなるのだ。
 慎ちゃんは簡単に東京へ来いというが、仕事を辞め、親に逆らって彼の所へ行くなどとは、至難の業だ。改めてとても出来そうにない、これでよかったのだと思った。
 そう思うと、やっと私はゆっくり眠ることが出来たのだった。

 朝、「真理子、早くしないと遅れるよ」と母に起こされるまで、久しぶりに目が覚めなかった。
 バタバタと支度をしてトーストをかじりながら「行ってきます」と言うのももどかしく、外へ飛び出した。
 国道へ出ると、そこに慎ちゃんが亡霊のように立っていた。
「ああっ、びっくりした、おはよう。あっ、それから、就職決ったんだって!おめでとう」と私は反射的に声をかけた。
 私の言うことには返事もせず「俺、まんじりともせず夜が明けるのを待ってたよ」と、慎ちゃんはじっと私を見た。その目は真っ赤で涙で潤んでいた。
「俺、信じられんよ、別れるなんて絶対イヤだからね、嘘やろ、ねえ嘘だと言ってよ」
 慎ちゃんはすがるように私に詰め寄った。
「ごめん、ホントだから」
「そんなこと、納得出来ん」
 慎ちゃんは頭を横に振り茫然としていたが、唇を噛みしめて救いを求めるように私を見すえた。
「ごめん、遅れそうだから、もう行くね」
「ちょっと待ってよ、……この手紙、寝ないで書いたんだから、読んで」
 慎ちゃんは私の肩をあらあらしく掴むと、いつもより厚い封筒を押し付けるように私に渡した。
 一瞬、険悪なムードが走った。
 私は彼が初めて見せる暴力的な行為にたじろぎ、「分かった、じゃあ行くから」と小声でボソッと言って、腕時計に目をやりながら、逃げるようにバス停の方角へ向かって走った。
 
 慎ちゃんの憎悪に満ちた目が私の背中を刺している。脳裏には彼の狂おしい目が焼きついた。
 こんな場面もありえると想定出来ていた。しかし、どんなことがあっても絶対後戻りは出来ないのだ、と自分に言い聞かせていた。74へ

(写真は、冬の日だまりの中でグルーミング〈毛づくろい〉していた高崎山のサル)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

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2005年12月22日

湯布院―杉山冬景色


湯布院の杉山.jpg※72 旅立ち
 家に帰っても私の体調は優れなかった。
 私は一刻も早く眠りたかった。そして全てを忘れたかった。
 しかし、今頃慎ちゃんが手紙を読んでいるだろう、と思うと胸がドキドキしてとても眠れる状態ではなかった。
 いったい、彼はどう思うのだろうか。
 慎ちゃんだってこれからいよいよ自立するという時、私がいたのでは足でまといになるのではないか、結婚できる経済力を持つまでの間4年も5年も私を待たせるのは悪いと思うはずだ、等と思いを巡らすと、そんなに怒ることでもないのではないかとも思える。イヤ、きっとそうだ、捨てられるのは私なのだ。それが恐くて私から別れを言ってやったに過ぎないのだ。
 少し、不安がとれた。
 ホッとすると同時に、さっきもらった慎ちゃんからの手紙をまだ読んでないのに気がついた。
 ハンガーにかけていたコートのポケットから、封筒に入った手紙を取り出した。

[僕のマリア様―真理ちゃんへ
今日は月曜日です。ホントは会って話したいのですが、真理ちゃんが木曜日にしか会ってくれないというのでその時、今書いているこの手紙を渡すことになるでしょう。
 実は、嬉しい報告があるのです。就職が内定しました。大田区にある小さな鉄工所です。中小企業ですが、夜学に通うという条件で雇ってもらいました。学校推薦だったので、担任からほぼ間違いない、と言われていたのですが、内定をもらうまではと、黙っていました。決ったら1番に真理ちゃんに話したかったのですが、待ちきれず、祖母ちゃんに先に言ってしまいました。ゴメンね。
 大学も帝都大工学部2部に推薦で行けそうです。
 来年早々の1月13日に1度上京して一応受験します。担任が言うには、まず落ちることはないそうです。なにしろ、僕は成績優秀ですからね……。
 上京した折、ついでに就職先にも出向き、簡単な面接を受けて、住居などを決めてきます。
 着々と旅立ちの日が近づいてきます。
 でも、その時は真理ちゃんと離れ離れになるのですね。それが今1番心配なことです。
 もともと進学しようと決めたのは、真理ちゃんと出会ったからです。貴方にふさわしい男になるためのステップなのです。大学を出て、エンジニアになり、ちゃんとした生活をしたいのです。
 だから、僕は遠距離でも辛抱出来ます。真理ちゃんも待っていてくれるよね。
 東京でしばらく様子をみて、落ち着いたらなるだけ早く呼び寄せます。その時は一緒に暮らそう。もちろん結婚して。
 僕と真理ちゃんはたとえ離れていても一心同体でしょ。僕はそれを信じて一生懸命頑張ってきたし、これからも頑張るから、どうかそのつもりでいてください。。
 手紙は、真理ちゃんの会社に出します。僕の住所は決り次第知らせるから。
 あとは、その都度話します。まだ、4ヶ月も先のことだから、いっぱい話し出来るでしょ。じゃあね。
  11月15日(月)      真理子の ― 慎より]

(写真は、旅先湯布院の山の冬景色、空が突き抜けるように青いのが美しい)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

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2005年12月20日

坂の町の冬景色


坂の町の冬景色.jpg※71 旅立ち
 木曜日夜、いつものバスに乗ると、慎ちゃんはいつものように席を立って私を窓際に座らせた。
「おじさんたち帰って来たとやね」と話しかける慎ちゃんは、にこやかで何かとてもウキウキしていた。
「うん」と返事はしたが、慎ちゃんをまともに見られなかった。
「…慎ちゃん、私ちょっと具合が悪いの、悪いけど寝てていいね」
「えっ、ホント、どうしたと?大丈夫!」
「うんちょっと」
 私は、そのまま目を瞑った。そうするしかなかった。何も話したくないこともあったが、ホントに頭も痛くなったのだ。昨晩なかなか寝付かれなかったことや、睡眠時間4〜5時間というのがずっと続いているのが応えているのだろう。
 慎ちゃんは心配そうにしていたが、そのまま黙っていてくれた。
 広田の停留所に着くと、私をエスコートしようとする慎ちゃんを、「大丈夫だから」と手を振りのけて、むしろ慎ちゃんから離れて私はバスを降りた。
 いつものように、2人きりになる所まで来た所で、それまで我慢していた慎ちゃんは、待ち構えていたように、私の洋裁の荷物を持ってくれ、労わるように私の腰に手を廻した。私が、元気がなくいつもと違う雰囲気なのは、身体の具合が悪いせいだと思っているのだ。
 ずっと、心配そうにおろおろしていたが、ふっと思い出したように、カバンから手紙を出し「忘れないうちやっとくね」と私のコートのポケットにその手紙を入れた。
「ああーそうね、じゃあ私も」と立ち止まり、バッグから昨日やっとの思いで書いた手紙を慎ちゃんに渡した。
 別れ話の重大な手紙なのに、それはさり気なく慎ちゃんの手に渡ったのである。
 何も知らない慎ちゃんは、手紙を嬉しそうに受け取り、大事にカバンにしまった。
 皮肉なことに今夜は透き通るように冴え冴えとした月夜なのだ。慎ちゃんが嬉しそうに手紙を受け取った笑顔がはっきり分かり切なかった。
 今までは、心をワクワクさせた、研ぎ澄まされた神秘的な世界が、逆に私の心を刺すようにひしひしと重く感じられたのである。
「真理ちゃん、ホントに大丈夫?大事にしてね」
「うん、心配せんでもいいよ、疲れてるだけだから」
と無愛想に言ったきり、私は、その後慎ちゃんが何を話しかけてきても黙っていた。そんな重苦しい空気の中で、やっと、ホントにやっと私の家の前に到着した。
 私は「ごめんね、バイバイ」と、その夜はとうとう1度も手を触れることもなく、逃げるように慎ちゃんと別れたのだった。※72へ

(写真は、我が県の名物?坂に建つ家並み)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

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2005年12月18日

横浜人形館の世界の人形


横浜人形館の世界の人形.jpg※70 旅立ち
[ 慎ちゃんへ
 手紙を書くのはこれが最後です。
 突然でごめんね。きっと驚くね。
 実は慎ちゃんに謝らないといけないことがあるのです。
 私たちはいつの頃からか、暗黙の了解で将来結婚しよう、ということになっているよね。
 手紙のやりとりで、慎ちゃんが2人の将来のことばかり書いていたのを、私はただ頼もしく思い、嬉しく読んでいたから。
 私も、結婚するなら慎ちゃん以外の男の人は考えられなかった。でも心の何処かで、慎ちゃんは高校を卒業したら東京へ行ってしまう、そうしたら別れることになるだろう、といつも不安でした。
 だから、先のことは考えないようにしていたのです。
 でも、昨年のクリスマスの夜、慎ちゃんが、誰も賛成してくれなくても教会で結婚式を挙げよう、と言ってくれた時は、さすがに胸が痛みました。それで、将来のことを真剣に考えたのです。
 その頃から、私は慎ちゃんが東京へ行ってしまう時、きっぱり別れようと、1人で決めたのです。ごめんなさい。貴方は真理子が親を捨てても自分と一緒になってくれると信じているんだよね。私もきっとそんなようなこと手紙で言ったと思うから。ごめん。そのことだけは嘘ついたことになる。
 ”別れる”なんて改まって言わなくても、慎ちゃんが東京へ行ってしまえば自然消滅するのでは、とも考えました。
 でも、それは私が出来なかったの。けじめをつけないままの自然消滅では私の気持に決着がつかず、前へ進めないのです。慎ちゃんだって人1倍真面目な性格だから、私に心を置いたままでは、新しい人生は考えないだろうと思ったの。
 ではなぜ、3月ではなく、今なの?と思うよね。それも私が貴方と別れるための自分勝手なけじめのつけ方だったのです。
 私たちはずっと愛し合っていたし、ずっと一緒に成長してきたよね。その今まで過ごした日々の証がどうしても欲しかったの。それで最後に慎ちゃんと心だけでなく身体も結ばれることが証になると思ったのです。あの日がチャンスだった。あらかじめ慎ちゃんにそんなこと言ったら、きっと拒否されたよね。ごめんね、黙っていて。

 あの夜は、とても幸せでした。この世に慎ちゃんと2人きりならどんなにいいかと思いました。あの夜慎ちゃんがとても優しかったことと、慎ちゃんの温かい肌のぬくもりを一生忘れることはないと思います。

 慎ちゃんのことを死ぬほど好きでも、慎ちゃんを裏切ることを選びます。結局、私は家族と縁が切れないということです。ホントにホントにごめんなさい。
 
 貴方は、4月から新しい生活が始まるのです。慎ちゃんのことだから、きっと成功すると思う。
 慎ちゃんが幸せになるように祈ってるからね。
 感謝をこめて……今まで有難う。
                                              真理子

 追伸
 洋裁教室は11月で辞めようと思います。だから、来週木曜日で終わりです。その日まではいつもと同じバスに乗るから席を取っていてね。その日は単なる幼なじみとして会ってください。]※71へ

(写真は、旅先で撮ったもの。人形は世界中で昔から愛されているのだとわかる)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

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2005年12月16日

八重椿


八重椿.jpg※69 旅立ち
 土曜日の夕方、父と母が帰ってきた。
「何もなかったか?」
「何もなかった、夕飯、シチューを作ったし、お風呂、沸かしてるから」
「おー、気が利くぞ、有難う、やっぱ家が1番いいよ、なあ、母さん」
「そうねえー、真理子が何も言わんとに、ご飯の準備とお風呂、沸かしてくれるとはねえ」
と、やたらと喜んでくれるのが、こそばゆかった。後ろめたい気持で一杯だった私は、何事も無かったように普通に接してくれることがただひたすら有難かった。心からほっとしたのだ。

 しかし、私自身は1週間前とは、身も心も変わってしまっていた。
 私はあれからというもの毎日が憂鬱だった。
 努めて明るくしていないと、いつの間にか沈みがちになってしまうので、母に感ずかれないか、常にヒヤヒヤしていた。東京の土産話も姉の妙子の話も、普通なら興味津々なのに、それどころではなかったのである。
 慎ちゃんと別れると決心していても、いよいよとなるとやはり辛かったし、手紙を書くことも一苦労だった。
 何より心を重くしていたのは、もしかして妊娠していないかという漠然とした不安だった。
 有り難いことに、昼間は職場の喧騒の中でもくもくと仕事をすることで、何もかも忘れることが出来た。
 しかし、就業時間が終わると、スイッチが切り替えられるように、モヤモヤとした憂鬱分子が頭を持ち上げてくるのだ。普通ならお腹がすいてたまらない夕飯時もいっこうに食欲がわかない。夜もなかなか寝付かれず、寝不足が続いていた。
 そんな状態だったが、水曜日の夜、私はやっと慎ちゃん宛の長い手紙を書き終えた。※70へ

(写真は、大きくてあまりに綺麗だったので折ってペットボトルに挿してみたもの。長くはもてないがちょっとの間は楽しめる)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

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2005年12月14日

クリスマス用花の寄せ植え


クリスマスの花の寄せ植え.jpg※68 旅立ち
 慎ちゃんを木戸まで送った私は、木曜日まで会えないから、とさりげなく言った。
「……何で?おじさんたち留守なのに」
「あさって土曜日にはもう帰ってくるんだよ、それにもうダメだよ」
「……手紙は?」
「ダメ!ちゃんと木曜日には手紙も持って行くから」
「……わかった、じゃあ俺も手紙書くけん」
 彼のけげんそうな顔が薄暗い灯りの中で見て取れたが、私は気付かないふりをして、努めて明るく、じゃあねおやすみなさい、と彼の背中を軽く押した。
 さっきまでとあまりに違うさばさばした私の態度に動揺したのだろうか、慎ちゃんは、不安そうに振り返って私を引き寄せた。
「怒ってると?」
「ううん、そんなことあるわけないでしょ」
「……それならいいけど、……じゃあ帰るね」と、気を取り直したように私に別れのキスをした。

 今まで慎ちゃんと過ごした日々の証として、私は今夜、私の身体の中に、彼の愛をしっかり刻みこんだのだ、と自分自身に言い聞かせていた。慎ちゃんに全てを捧げたことで、私は彼ときっぱりと別れられる、と思った。

 彼には手紙で、別れをちゃんと告げようと決めていた。別れざるをえない気持ちを、手紙にしたためるのが1番良い方法と考えたのだ。
 さすがに面と向かって口で言う自信はない。
 私からの一方的な別れのことばを、どんなふうに受け取ってくれるのか、はたして分かってくれるのか、彼が一途なだけに、不安は募るばかりだった。
 でも、実行しなければならないと固く自分に誓ったのである。※69へ

(写真は、料理の先生宅の玄関に飾ってあったプランターの花)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)

posted by hidamari at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする