2005年11月02日

市田ひろみオリジナル湯呑


200511028882965f.jpg※47 藪椿
 慎ちゃんからの手紙は、普通の白い封筒に入っていた。
 開けてみると、白い便箋3枚に、優しい感じの文字がびっしりと書かれていた。封筒には、証明書用の白黒の写真もちゃんと入っていた。
 詰襟に学生帽の、肩から上の慎ちゃんは、あの独特な笑ったような泣いたような憂いのある顔だった。その小さな写真に、私は吸い込まれていったのである。

 真理ちゃんへ、から始まる手紙の文章は、慎ちゃんの思いが詰まっていた。
 真理ちゃんの笑顔を見ると、僕は頑張って生きていけるとか、僕は今まだ学生の身なので、貴方に何もしてやれないけど、長い目でみて欲しい、これからもずっと日曜日には砂山で真理ちゃんを待っているからとか、今1番望んでいることは、いっときも早く大人になって自立すること、などという内容だった。
 1番私を喜ばせたのは、この間砂山で会った時の真理ちゃんはかわいかったよ、白いブラウスと青いスカートがよく似合っていたよ、と書いてあったことだった。私の姿をちゃんと見ていてくれたのも嬉しかった。偶然その服を着て写った写真を手紙に入れた、そのタイミングが、面はゆかったが、でも私の心が通じたようでやはり嬉しかったのである。

 彼の写真はすぐ、私の定期入れの中に、他人には分からないように大事に差し込んだ。
 ところが、手紙のしまい場所をどこにするか途方にくれた。
 私が留守の間、母が私の部屋へ掃除するために入り、偶然手紙を見つけて読まないという保証はないのだ。そうかといって、写真のように持ち歩く訳にはいかない。
 部屋の中をグルグル見回した。
 机、本棚、整理タンス、洋服タンスがあるだけの6畳の四角い部屋だ。適当な隠し場所がないのである。
 そこしかないと考えついたのが、唯一、布団を入れる半坪の押入れの天井裏だった。
 天井板を押し上げると、簡単に板が外れた。手紙の入った封筒をさらに頑丈な紙袋に入れ、その天井裏に仕舞った。

 私はその後、慎ちゃんからもらった手紙の束を、ある時期までずっとそこにしまっておいた。母には、きっと、見つかっていないはずである。

 2回目の慎ちゃんの手紙に(真理ちゃん、僕のことを、手紙の中で、慎君と君づけするのはやめて下さい。僕は真理ちゃんより1個年下だから、それだけでも情けないと常々思っているのに、君呼ばわりされると、ますます子供扱いされるようでイヤなのです。せめていつも呼んでいるように、ちゃんづけにして下さい)と書いてあった。
 それは私が、手紙の中で、慎くんと呼んだ方がシャレていると思い、軽い気持で書いたことだった。
 でも彼はやはり、年下ということにこだわっているのだろう。
 もちろん私はその後、手紙の中でも慎ちゃんと呼ぶように改めたのである。※48へ

(写真は、通常夫婦で使用している湯呑。大きさも1番適当である。夫婦ものに大小があるのは案外的を得ていないと思うのだが)
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2005年10月31日

益子焼の湯呑


20051031312c28fb.jpg※46 藪椿
 そろそろ慎ちゃんが帰ってくる時刻だった。10分程前バスが国道を通り過ぎてから私はずっと落ち着かなかった。停留所でそのバスを降りてるはずの慎ちゃんを、窓から顔を出して今か今かと待っていた。
 階下で、母はテレビを観ている。父は既に寝ているので心配ないが、母は何かの拍子に、窓際に来ないとも限らなかった。

 手紙の交換の第1日目だった。
 外はあいにく闇の夜である。前の道は階下の窓の前だけ、部屋の灯りが漏れてぼうーと明るかった。
 私が立っている2階の廊下は、部屋の襖が開いている隙間分の光か流れているものの薄暗く、また、その光線は土手の上の畑に細長く光っているだけだった。

 真っ暗い中にヒタヒタと人影が近づいてきた。黒い学生服に黒い学生帽なので殆んど人間なのかも判別出来ない。心臓は飛び出すほどパクパクしていた。窓の下にピタッと止まった。目が慣れてくると少しは人に見えてくる。慎ちゃんに間違いないと思った。

 手紙に入れた白黒写真は、レースの衿と胸にタックのある白いブラウスに、ブルーのフレヤースカートを着たものと、県立第一高校の制服であるセーラー服を着たものの2枚で、2枚とも正面を見つめてにっこり笑っている全身写真だった。それに手紙は便箋2枚だった。
 それらを入れた四角い白い封筒を、打ち合わせていた通り、慎ちゃん目がけて落とした。胸の鼓動があまりに激しく、息がつまるほどだった。
 封筒は思いの外軽いのか、ヒラヒラと舞いながらなかなか下まで落ちない。土手に掛かりそうになりハラハラしたが、何とか無事に下まで落ちていった。地面に落ちた手紙を慎ちゃんは確かに手にした。彼は、私にその白い封筒を振って、取ったよ、と合図した。ホッとした私も手を振って応えた。
 母も、何も気付いていない。慎ちゃんは、これも打ち合わせ通りに、石垣の石の下に自分の手紙を置いた。そして再度、私に手を振って闇の中へ消えていった。たんたんと1連の作業が終わったという感じだった。その間、5分もかからなかったが、私には長い長い時間だった。でも、まだ私にはやることがあった。慎ちゃんの手紙をすぐに取りに行くことだった。

 そして、私はトイレに行くふりをして、階下に行き、勝手口から外に出て、石の下から慎ちゃんの手紙を無事に手にすることが出来たのだった。
 何よりホッとしたことは、寝る前に必ず、私がトイレに行くことを知っている母は、今回、何も疑わなかったことである。
「おやすみなさい」と言って、2階に上がる私に、母はいつもと変わらず「おやすみ」と言ってくれた。
 私は自分の部屋に戻り、改めてゆっくり胸を撫で下ろしたのだった。
 
 これ以降、この緊張を何回も繰り返し、手渡しや、職場への郵送などを含めると、慎ちゃんからの手紙は50通を超え、私も同じくらいの手紙を慎ちゃんへ書いたことになる。※47へ

(写真は、益子焼の夫婦湯呑。焼き物のことは何も知らないが、いかにも焼き物らしく見た目がきれいと思う)
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2005年10月29日

夫婦湯呑


200510292d40430a.jpg※45 藪椿
 夢中になって、手紙の交換の相談をしていると、時間はたちまち過ぎていった。
 いつの間にか太陽が西の空に沈みかけている。昼間はなかったはずの雲の波が、うっすらと太陽に被さって、その波の隙間から、こぼれ日がまるで後光のように山肌に舞い降りている。

「…フゥー、何だか疲れたねぇ」と私がため息をつくと「何で疲れるとよ!俺ずっとこうしていたいとに」と慎ちゃんは、怒ったように私を睨んだ。
 そして「アッそうだ!」と叫んだ。
「何、びっくりするじゃない」
「俺もう1つ真理ちゃんにお願いがあるとよ」
「いいよ、何ね?」
「…俺、真理ちゃんの写真が欲しか。1人で写ったのがよか、…何枚かくれん?」

 写真の交換は私の頭の中にはなかったことだった。でも、なるほどと思った。そんなことも有りと思ったのだ。
「いいよ、その代わり慎ちゃんのも頂戴ね」と言うと
「俺、写真なんか撮ったことなかけん、もたんよ。でも学生証に貼った残りの証明書用のでよかったら、やるよ」と言う。もちろんいいと答えた。

 だんだん時間が過ぎていく。遅くなると、父や母に、何処で何をしていたのか聞かれるに違いなかった。気が気ではない。
「ねえーそろそろ帰ろうよ」と言った私のことばを慎ちゃんは聞いていなかった。
 思いつめたように「真理ちゃん」と言ってふいに私の膝の上の手に、自分の手を乗せた。
「真理ちゃん、俺たちデートしてるとやろ」
 ホントに突然のことだった。私には何の準備も出来てなかったのだ。これはデートじゃないもん、ととっさに思った。
 確かに、私も夜、布団の中では、2人のロマンティックな場面を想像することもある。
 でも今、私には何の準備も出来てなかったのだ。デートということばを平気で口にする慎ちゃんも、破廉恥に思えイヤだった。
 息の根を止められたような気がした。固まったまま姿勢を正して前を見つめていた。沈黙の時が流れる。次第に自分を取り戻すと、不思議なことにじんわりと喜びがこみ上げてきた。長いこと期待していたことかもしれなかった。
「慎ちゃんの手、大きくてガサガサしてる」と、いうことばが口から出ていた。
 沈黙の時間がいたたまれず何か言わねばと焦った挙句のことばだったのだ。農作業してもちっとも焼けない色白の憂いのある顔に似合わぬ、逞しい手だったので、ちょっとびっくりしたこともあった。
 
「いけないか?百姓してる手は」と、ムッとした感じで、今度はその右手で私のその左手を掴んだ。
「何でそんなこと言うと?そんなはずないでしょ」と、私は握り返した。
 私たちは、手を握り合ったまま、また、しばらくの間黙りこくっていた。
 黙っていても2人は結ばれた左手と右手に、気持を集中していた。手と手を通してその手の温もりが、2人の心臓に届いていたのだ。
 その間も時間は過ぎていく。
 私は思い切って「今日は帰ろう」と言い、最後に手を強く握った。慎ちゃんもしっかり握り返した。2つの手のひらがしっとり汗ばんでいた。2人は静かに手を離した。
 慎ちゃんは唇を噛みしめて私を深い眼差しでじっと見つめ、
「じゃ、連休明けの夜、手紙ちょうだい、写真も忘れんでね」と言った。
「うん、分かった。バイバイ」と手を振って、私は一目散に山道を駆け下りた。※46へ

(写真は、有田焼の夫婦湯呑。家庭では蓋付きの湯飲みはめったに使わない)
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2005年10月27日

朝日


2005102764eb97a0.jpg※44 藪椿
 私は、慎ちゃんの隣へ座り、彼の顔を覗き込んで「ごめんね」と言った。
 慎ちゃんは私の言葉は意に介さず、じっと私の目を見つめると、思い切ったように、
「俺、真理ちゃんにお願いがある」と言った。
「うん、何?」
「ここんとこ、朝から真理ちゃんのお父さんによく会うとよ。…真理ちゃんを送ったあと、…帰りがけに」
「えっ、どういうこと?」
「…きっと、見張っとられるとじゃなかと?」
 私は、ドキッとした。父が、私が慎ちゃんと仲良くすることを、不安に思っているのは確かだった。
「何か言われた?」
「…別にこれといって言われはせんけど、何となく分かる。そっけなかし」
「…そう」
 父の気持が何となく分かった。
 父は私のことを本当は信用しているのだ。にもかかわらず、内心、心配でたまらない。直接私に聞きたいのに、そんなことを口に出すのは、親のこけんにかかわると思っているのだ。だから、あえて私には何も言わないで、こっそり見張っているのだろう。

「それでねぇ真理ちゃん、朝からは、もうそんなに度々会えんと思う。会っても話す時間もなかし。…で、手紙に書いて、やりとりしたらどうやろうねぇ」
 実は、手紙の交換は、私もずっと考えていたことだった。ただ、そんなことは、照れくさくて、とても言えなかったのだ。

「うん、私もそう考えとったよ」
 慎ちゃんは嬉しそうに顔を真っ赤にして「ホント?」と言った。
 私はさりげなく「うん」と答えたが、心の中で密かに思っていたことが、現実になるのが、とても信じられないことだった。
「それで、どんな風にやろうか?」と慎ちゃんは首を傾げて言った。
 
 私はフッと三島由紀夫の”潮騒”という小説を思い浮かべた。
 主人公の新治と初江が親に内緒で恋愛するのだが、その時、手紙の交換を、石垣の石の下に置いて、するくだりがあるのだ。
 私が考えたのは、夜学を終え帰宅途中の慎ちゃんに、2階の窓から私が手紙を落とし、私の家の勝手口の木戸の横にある石垣の石の下に慎ちゃんが私宛の手紙を置く、ということだった。
 私の考えを話すと、「うん、それでいい、そうしよう」ということで、話はあっけなく決った。

 私の家の前の道は、ちょっと遠回りだが、慎ちゃんの家へも通じていた。
 彼が、夜学を終えて、我が家の前を通って帰宅するのが午後10時半頃だ。
 その時刻に、私が2階から手紙を落とし、彼が窓の下でキャッチする。その時に必ず、その手紙を彼が手にするのを見届けること。私が2階から見ている所で、慎ちゃんは石の下に手紙を入れること。そして、直ちにその手紙を、私が取りに行くこと、などと2人で事細かく決めたのだった。

 もし、手違いで、2人以外に手紙を見られることがあったら、大変なことになるのは分かっているし、死ぬほど恥かしいことだ。絶対、守備よくやらなければならないことだったのである。※45へ

(写真は、今日の朝7時頃の太陽。太陽の朱色がとても美しかったので、ベランダから撮ったもの)
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2005年10月25日

梨とかぼちゃ


20051025e2ea66dc.jpg※43 藪椿
 母は新聞を読んでいた。
「父さんは?」と聞くと、母は「畑よ」と、新聞から目を離さずに答えた。
「私、ちょっと出てくる」
「何処に行くの?」
「ちょっと、そこらへん。父さんのとこも行ってみる」
「ふうーん」と母は、気のない返事をした。
 時計は午後4時を指している。
 私に後ろめたい気持があるのか、何でもない言動がやたらとドキドキした。何処に何しに行くの、としつこくと聞かれたら、何というべきか考えつかなかったのだ。
 だが、何ごともなく母の関所を通り抜けた。ちょっと早い時刻だったが、砂山に出かけるには今しかないと思った。
 
 母は幸いにも私をちゃんと見なかったが、私はその時、お気に入りのブルーのフレヤースカートに衿にレースのついた白いブラウス、それにベージュのカーディガンを羽織っていた。よそ行きではないけれど、いつものジャージ姿ではなかった。

 砂山には、やはりまだ慎ちゃんの姿はなかった。
 これまでは、いつも慎ちゃんが、先に来て待っていてくれた。
 家から、距離的にはそんなに遠くない砂山は、山の裏側に配しているため、近所の人に会うことはもちろんないが、まず人を見かけることがない。草原の先は崖になっていて、その先は、段々畑、田んぼと続いているのだが、そこは既に隣の松田部落であった。
 そのため、ここに来れば、いつでも、2人の世界になれるのだ。でも1人で静まりかえった草原にたたずむと妙に心細い。私は、不安にかられていた。
 
 気を紛らわそうと、藪椿のある林に行ってみた。枯れ木ばかりだった周りの木々が青々と蘇っていて、藪椿の木の存在さえ分からなかった。代わりに、山吹の黄色い花がたおやかに咲き乱れ、ねむの木がピンク色に染まっていた。白いソックスに編み上げの運動靴を履いていたが、林の中のひんやりとした地面の感覚が足裏を通して伝わってきた。

 ワンワンという泣き声と犬の走り回るざわめきが、周りの静寂を破った。
(タローだ!よかった、慎ちゃんが来てくれた)私は林を駆け出た。慎ちゃんがいつもの場所に座っていた。
「こんにちは!…よかった、慎ちゃんが来なかったらどうしようって思うとった」
「こんにちは!」
 慎ちゃんは長いまつ毛を伏せながら唇を噛みしめた。
「…何言うとっと、俺は日曜毎にここに来て、真理ちゃんを待っとるとに」※44へ

(写真は、新高梨とかぼちゃ。大きさのアンバランスがおもしろい。梨の糖度は当たり外れがある。甘くなかったら、サラダにするとよい)
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2005年10月23日

コーヒー碗皿 


2005102387e2647c.jpg※42 藪椿
 私のOL生活は快適そのものだった。
 仕事を覚えて、一つ一つ達成していくことは私の成長の過程であり、とても楽しく、充実していたのである。
 しかし、ステキな男性からは未だ子供扱いされて、特別に女性として、声をかけられることはなかった。
 この頃、私は、1日が終わるとぐったり疲れて、まっすぐ家に帰る毎日を送っていた。
 
 いつの間にか、4月末になりゴールデンウイークに突入した。
 とたんに私は何もすることもなく、遊ぶ友人もいないことに気付いたのだ。
 世の中は旅行だ、ピクニックだ、スポーツだと騒いでいるのに、私は家の中で暇を持て余していた。こんなに良い天気なのに、こんなに私は若いのに、何もすることないなんて、と情けなく、さわやかな行楽日和が返って恨めしかった。
 
 窓の外に目をやると、こんな日も慎ちゃんはせっせと農作業をしていた。ハッとして、なぜかホッとした。
 彼には連休も何もないのだ、と思うと慎ちゃんのことを急に健気に感じ、愛しい気持が湧き上がってきた。気持が通じたのか、慎ちゃんは手を休めて、私の方をじっと見つめていた。私もじっと見つめ返した。慎ちゃんだと辛うじて分かるくらいの遠い距離なのに、2人は長いこと見つめ合っていたのだ。身も心も潤っていくのが分かった。
 国道の向こうの燃えるような山の緑が、太陽の光にキラキラ輝いているのが、突然私に迫ってきた。眩しかった。5月の空はあくまでも青く空気は澄み切っていた。時折、心地よい風が窓から私の頬を撫でにくる。
 早く夕方にならないかな、と思った。
 砂山で、今日はきっと、慎ちゃんが待っててくれるような気がしたのである。※43へ

(写真は、現川焼、臥牛窯のもの。柄は白鷺)
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2005年10月21日

青銅の花瓶


20051021f8213713.jpg※41 藪椿
 昭和39年春、私は人生の節目を迎えた。
 花のOL1年生、晴れて社会人になったのである。
 会社には、今まで通り自宅からバスで通った。
 長姉の京子は早出、遅出がある職場だったので、とうてい通勤は無理だったが、私の場合、朝9時から夕方5時までという決った勤務時間帯なので、通勤が可能なのだ。父も母も就職先には満足しているし、今まで通りの生活が出来ることは、何より嬉しいはずである。私も両親を安心させたことが、肩の荷を降ろしたようにホッとしたことだった。

 生活が一変し、巡り会う人も一変した。
 総勢33人いる社員は、概ね男性で女性は私を含めて3人だけであった。ただ、アルバイトの若い女性が常に4〜5人いて華やかだった。幹部は本社採用のエリートで、独身男性も6人程いたが、全て本社採用だった。総合職などない時代なので女性社員は庶務的な仕事だった。必然的に地元採用で高校卒業でよかったのだ。
 外渉部の超エリートの独身男性は、仕事柄英会話も堪能で、一流私大出身、しかも、とてもハンサムときている。私にはその他の独身男性も全てステキに見えた。アルバイトの女性軍は、いつも、独身男性の話題でもちきりである。彼女たちは皆、私より年上で、お化粧も洗練されていて、私にとっては同じ女性として眩しい存在だった。
 でも、私は年齢が1番若いこともあり、クルクルとよく働いたので、すぐに社内のマスコット的存在になった。そして老若を問わず男性社員にもかわいがられ、夜の中州にもちょくちょく連れていってもらったのである。

 職場は、私が描いていた以上に、恵まれた環境で、夢のような毎日だった。
 毎日、良い意味での驚きと、緊張の連続だった。私はその頃、その気になれば、どんな男性とも付き合えると、本気で考えていた。私の未来はばら色に輝いている、と浮き立つ思いだったのである。

 慎ちゃんとは、相変わらず、早朝顔を合わす程度だった。会えば胸がキュンとはなるが、つい、職場のステキな男性と比べてしまう。すると急に、2人のことが子供ぽく思え、みすぼらしく、惨めに感じてしまうのだった。私のそんな変化を何も知らない慎ちゃんに、なぜかイライラしたが、慎ちゃんも、お化粧などして、だんだん垢抜けしていく私を不安に思っていたのかもしれない。※42へ

(写真は、父の形見の花瓶。父が永年勤続で頂いたもの)
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2005年10月19日

可愛い西洋の女の子の絵


2005101981dff392.jpg※40 藪椿
 昭和37年4月、慎ちゃんは定時制の福岡工業高校1年生、私は高校3年生になった。
 実際は私たちは1つ違いなのだが、慎ちゃんは高校浪人なので私とは2年違うことになる。しかも夜間なので4年間高校生活を送ることになる。
 慎ちゃんは、農作業を午後4時には切り上げ、バスで博多の北の端まで通学するようになった。
 工業高校は私の通う県立第1高校より、広田名のバス停からは20分もバスに長く乗らないといけない場所にあった。
 慎ちゃんは毎日真面目に登校した。私が帰宅するのとすれ違いだったので、殆んど、通常の日は会うことはなかった。畑にいるのを見ることもない。唯一、日曜日だけは畑にいる姿を見ることが出来た。それと、時々、早朝、いつもの国道でタローと一緒に私を見送ってくれた。
 その頃それで十分だった。

 私は、いよいよ就職希望だということを、父と母に打ち明け、本格的に就職試験の準備をしなければならなかった。3年に進級すると同時に、私は既に就職コースの授業を受けていた。
 新学期が始まってしばらくすると、親を交えた担任との面談が行われた。その場に出席した母は、私が既に就職コースを選んでいることにショックだったのか、あまり話すこともなく早々に帰っていった。
 その夜、事情を知った父は「おまえは俺の希望だったのに」と、がっくりと肩を落とし、「女の子はつまらんなあ」といつまでも寂しそうに、酒を飲んでいたのである。

 私は、「ごめんなさい」と言うしかなかった。身の細る思いだった。父は私に何を望んだのだろうか?父が果たせなかった夢って何なの?私は女だよ!と叫びたかった。でも、その日の、父のがっくりした後姿は、今でも忘れることが出来ない。

 私は、案外すんなりと、就職の内定をもらうことが出来た。それも本社が東京にある一流企業の東都商事会社である。オフィスは、博多中央のオフィス街にある高層ビルの6階にあった。私にとっては、ラッキーとしかいえない、夢のようなことだった。
 そんな訳で高校3年の1年間は、休み毎に、アルバイトをしたり、博多の京子を訪ねたりして、あっという間に過ぎ去っていった。
 慎ちゃんとの間も付かず離れずの、単なる近所付き合い程度だったので、父も母もすっかり安心して、私を変な疑いの目で見ることも、なくなっていたのだった。※41へ

(写真は、ある大学の今は亡き美術教授の絵。私が初めて買った絵)
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2005年10月17日

収穫の秋


20051017e413c847.jpg39 藪椿
 「俺、昨日、高校受験で、戸籍抄本がいるっていうから、役場に取りに行ったと」
 「うん」
 「そしたらねえ、信じられんことがあったとよ」
 慎ちゃんは高揚した気分を抑えきれない様に、両手のこぶしをぶつけながら言った。
 「係の人が、俺の戸籍がない!って言うとよ。俺、頭が真っ白になったと。そんなことあり得んやろ!現に16年間こうして生活しとるとよ。おばあさんが秀夫さんの弟として養子にする、って確かに言うたとに」
 唐突ともいえる話の内容に、私の頭の中も一瞬パニックになった。この日本の現代にそういうことがあるのだろうか?慎ちゃんの場合、確かに特殊なケースである。おばあさんが手続きを怠ったのだろうか?彼の不幸な生い立ちが頭の中を駆け巡った。

 私は「それでどうなったの?」と、努めて冷静を装った。
「守山さんが役場におられると、真理ちゃん知っとる?…守山さんて偉かとよ、課長さんだって。守山さんが籍を作っておばあさんの養子にする手続きをすぐしてくれるって」
「そう言ってくれたと?」
 慎ちゃんは頷いた。
「…よかったね」と言いながら、慎ちゃんのお母さんの夫である守山さんが、どんな気持で手続きをするのだろうかとか、どうせするなら、なぜもっと早くしなかったのだろうとか、考えていた。

「でもねぇー、真理ちゃん、俺、今まで何者だったと?この世に存在していなかったとよぉ」と、無念を噛みしめるように言った。
 何か言って慰めなければ、と思えば思うほど、言葉が見つからない。
 沈黙の時間が流れた。
「…慎ちゃん、私は慎ちゃんのこと認めているからね」と、沈黙を破りフッと出た言葉だった。すると、慎ちゃんの悲しそうな目がみるみるうちに潤んできて、やがて水滴になりボロボロと頬にこぼれ落ちたのだ。彼はその涙を手の甲で何回も拭った。
 そして「俺ね、その時、真理ちゃんのことばかり考えたんだ」と、ポツリと言った。
 「エッ何で?」
 「…ちょっとは明るいこと、考えたかったと。そうでないと全身に力が入らなかったと。真理ちゃんのこと考えると、いつも元気が出るけん」と搾り出すように言った。

 ―そんな、…重いよ― と、とっさに思ったが、口に出すことは出来なかった。これ以上傷つけることは、さすがにかわいそうだった。

 足を抱えてうつむく彼の背に、冷たい風が容赦なく吹きつける。タローがいつものように、いつの間にか私たちの間でうずくまっていた。
 
 「寒いね、そろそろ、帰ろう」私はとっくりセーターの上に羽織った綿入り半天の衿を重ね合わせながら立ち上がった。慎ちゃんは、我に返ったように笑みを取り戻して、「これ」と言って、さっき原っぱに座る時に、脇に置いていた椿の花を私に手渡した。今しがたの椿の1件が、夢の中のことのようにぼんやり思い出された。※40へ

(写真は、近所の田んぼの風景。稲穂に鳥が来ないように網をかけてある)
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2005年10月15日

竹久夢二の絵(印刷)


200510152a831d07.jpg38 藪椿
 2月になった。
 私は中間試験の、慎ちゃんも高校受験に向けてそれなりの勉強をしていた。
 今日で中間試験も終わるという朝、私は学校へ出かけようと家を飛び出した。いつもの曲り角で慎ちゃんが待っていた。
 おはよう、とお互いに挨拶をしながら、私は「急がないと、バスに遅れるから、ごめんね」と、走り出した。タローを引っ張りながら慎ちゃんも私と一緒に走ってついて来る。「真理ちゃん、今日何時頃帰る?」と聞いてきた。私は走るのをちょっと止め「今日で中間試験、終わるんだ。早いと思う」と答える。
 よかったというように、慎ちゃんは一瞬唇をほころばせた。そして「お願い!真理ちゃん夕方5時頃、砂山で待ってるけん、来て!」と左手でタローのリードを引きながら、右手を拝むように鼻にあて、その憂いに満ちた目で懇願するように私を見つめる。
 父と母の顔が一瞬浮かんだ。が、やはり私も慎ちゃんに会いたかった。いいよ、じゃあねぇ、とわざとさりげなく言って、再び走り出した。慎ちゃんはホッとしたのか、さっぱりした感じで、行ってらっしゃい、と明るく私に手を振り「タロー帰ろう!」と、とんぼ返りに戻っていった。

 慎ちゃんは既に砂山でタローを遊ばせていた。
 その姿を見つけ、私は走って近寄った。春や夏の様子とすっかり違う周囲の風景を見回した。遠くの山や田んぼはすっかりこげ茶色に変色し、シーンと静まりかえった広い校庭のように、寒々と冴えわたっていた。
 目の前のうっそうとした雑木林に目をやると、小さな赤い椿の花が、ポツンポツンと咲いているのが、目に入った。まるで、赤い水玉模様の緑の布がそこにかけてあって、そこだけに、スポットライトが当たっているようだった。
 「オッ!慎ちゃん、あれは藪椿だよねぇ」と私は思わず指さしていた。
 殺風景な冬の雑木の中にひっそりと咲いている赤い彩りに、私はなぜか心が弾んだのだ。
 行ってみよう、と2人同時に言って、2人で顔を見合わせて頷いた。近づいてみると、思いの他大きな木で、盃のような可憐な花と、うづらの卵ほどの小さな蕾が、あちこちにたくさん散らばって付いていた。慎ちゃんが手を伸ばして届く高さではない。ピョンと飛び上がり、小枝の葉を引っ張って、花がついていそうな所を1枝折ってくれた。たくさん重なった枝葉の中に、辛うじて花が2個と蕾が大小2〜3個付いている。
 もっと取ろうと、奥に入る慎ちゃんに「いいよ、これで、花は1輪の方がきれいなんだよ」と言い、私は慎ちゃんの袖を引いた。

 「そーぉー」としぶしぶ引き上げた慎ちゃんは、先になり座れる場所を探し、「ここに座ろう」と私を座らせた。
 「椿は、八重より一重の花びらの方が素朴できれいだねぇー」と、言いながら、不用な葉っぱをはずしていると、「うん、真理ちゃんみたい。見れば見るほどかわいいねぇ」と、私をマジマジと見つめながら、からかった。
 「何、いっちょまえに。お姉さんをからかうもんじゃないよ」と私は慎ちゃんの肩を小突いた。
 ここで「俺、藪椿が大好きだよ」と言ってくれれば、伊藤左千夫の『野菊の如き君なりき』みたいだと、思ったが、口に出すのはやはり恥かしかった。

 西の空は、かすかに雲の上に型どった太陽のこぼれ日でうっすらと明るいが、やはり風は冷たい。
「何か用だった?」と朝のことを思い出しながら、尋ねると、満を持したように慎ちゃんは口を開いた。※39へ

(写真は、竹久夢二の色紙大の絵を額縁に入れたもの)
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2005年10月13日

りんご


20051013a8d575ec.jpg※37 初恋
 母は、その頃から私に「慎ちゃんにあまり優しくしない方がいいよ、慎ちゃんが誤解したら困るじゃないの」と、言うようになった。
 私は「分かっとる、別に優しくはしとらんよ」と、答え、なるだけ慎ちゃんの話題にならないようにした。父と母に私の心を指摘されるのは、私にとってはいたたまれないほど、きまりが悪いことだった。
 
 その年のお正月は、何ということもなく平和に通り過ぎていった。
 慎ちゃんに会うために砂山に行くことは、私の中で、なんとなくはばかられる様になった。
 その頃から、国道の交通量が徐々に増えていった。父は相変わらず、さすがに下駄履きは止めて靴に変えたものの、自転車で郵便局へ通勤している。
 3学期が始まったある日、私は、久しぶりに、学校から帰る私を待ち伏せしていた慎ちゃんと、家に入る道の曲り角で土手に背を持たれて話し込んでいた。まさにその時、父が帰ってきたのだ。
 話に気を取られていたこと、夕暮れ時で薄暗かったこと、車の往来が多かったことで、うかつにも、父の自転車に気が付かなかった。

 父が目の前の曲り角にさしかかり、自転車を降りた時だった。
 気が付いたのは、殆んど3人同時だった。
「あら、父さん!…お帰り!」
「オッ!びっくりした、こんな所で何しとる?」
「…こんばんわ」
「オッ、慎くんか!…イャこんばんわ」
 一瞬、気まずい空気が流れた。
 私は観念した。
「…じゃあねぇ、バイバイ」と私は、慎くんに軽く手を振って父の自転車の後について、一緒に帰るしかなかった。慎くんは照れくさそうに「失礼します」と父に向かってピョコンと頭を下げた。一瞬がっかりした、でも彼もやはり観念した目をしていた。そして腰の所で私に小さく手を振った。タローがあたりをグルグル廻っていた。
 父から何か言われるのではないかと、ずっとヒヤヒヤしていたが、父はその場でも、帰ってからも何も言わなかった。
 夕食時はいつになく皆無口だった。話題を見つけて何か喋らなければと、思えば思うほど話題が見出せない。気まずい空気が流れるだけだった。
 こんな日は、私はとても良い子になり、夕食の後片付けをし、お風呂もさっさと入り、早々に自分の部屋に引き上げたのだ。
 父母の間で、どこの時点で私の行動を話し合ったのか分からなかったが、きっと、困ったものだと思ったのだろう。その夜、2人は終始無口で暗い表情だったのである。※38へ

(写真は、お取りよせリンゴ。見ても美しく食べても美味しい。今からが季節である)
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2005年10月11日

パンダの縫いぐるみ人形


20051011183abc49.jpg※36 初恋
慎ちゃんとじっくり話をするのは、ほんとうに久しぶりだった。夏休み以来、私は運動会や文化祭で学校の帰りが遅く、殆んど砂山には行ってなかった。
 慎ちゃんも農繁期で忙しく、夕方、犬の散歩もままならぬようだった。ただ、部屋の窓からは彼が今日はどこで働いているか、目で確認出来たので、その姿を見届けるだけで私は満足だった。

 「ここんちは明るかねえ、アットホームで、俺、こんな感じ初めて」
 「慎ちゃんのとこだって、今松子さんや子供もいるし、賑やかでしょ」
 「ううん、第一、部屋がだだっ広くて、電気も暗いし、みんなあまりしゃべらんよ」
 「ここは笑ってばかりだもん」
 「そうかー」
 「でも、俺、食事だけは感謝してると、ここみたいにご馳走じゃないけど腹一杯食えるから、施設にいた時何が1番辛かったって、いつも腹が減っとったこと」
 「うん」」
 慎ちゃんは膝を立てて座り直し、膝を抱え込み顔を膝につけて、私の顔を覗うようにじっと見つめた。私は吸い込まれるような瞳に思わず目をそむけた。
 慎ちゃんはあわてて視線を前に移し
「俺ね、1度だけ万引きしたことがあるとよ」
 私は一瞬、目を見開いた。万引きということばに馴染みがなかったのだ。びっくりして、思わず京子の方を見た。京子は聞き耳をたてているようにも、そうでないようにも見えるが、振り返ることもせず、何を言うでもなかった。
「パン屋さんの前でいい匂いがしとったと、つい釣られて忍びこんだとよ。…いつもお腹すいとったからね。それで後先考えんでとっさに盗んどったと」
「…それで」
「すぐ、つかまったよ。…シスターが呼び出されて、…お店の人がシスターをこっぴどく叱ったんだ」
「…」
「シスターに申し訳ないと思うたと、ずっと優しくしてもらっていた人だっから」
「そおぅ」
「それでその時、2度と盗みはするまいと思ったんだ。その時、捕まっていなかったら、俺、今頃どうなってたか…」
 
 私は、中学校で、彼が冷たい廊下を裸足で歩いていた時のことを思い出していた。
 あの時、私は、放置された古い上履き、履けばいいじゃん、誰も責めたりしないのに、と思ったが、彼にとっては、とうていそんな軽い考えは出来なかったのだ、と今初めて分かった気がしたのだ。
 慎ちゃんは、施設の思い出を、次から次へ話した。
 京子も後片付けを終えると、私の横に座り一緒になって、彼の話に耳を傾けた。
 
 時計が9時を打った。
 
 いつまでも帰ろうとしない慎ちゃんに、既に風呂も終わった母はしびれを切らしていた。
「慎ちゃん、そろそろ帰ったら、おばあさんも心配されとるよ」
「ああー、ハイ、でもおばあさんはとっくに寝てます。それにこちらに手伝いに来てるのは分かってるし、1度寝たら何があっても起きないから、俺のことなんか心配はしてないです、大丈夫です」と、彼は素直に答えた。その時の母の気持を察することが出来なかったのだ。
 母は私に明らかに厳しい目で合図した。私は、分かったと、いうふうに上目使いに頷いた。
 そして、慎ちゃんを優しく見つめ「ねぇ慎ちゃん、そろそろ私も眠いし」とそれとなく促した。
 私の顔を覗った彼は事態を察したのか「俺そろそろ帰るけん」と、名残惜しそうにやっと腰をあげたのだった。
 母に言われるまでもなく、なかなか帰ると言ってくれない慎ちゃんを、どうして帰ってもらうか、考えていた所だった。もうちょっと早く、思い切って帰ってもらっていれば、母をヤキモキさせることもなかったのにと、楽しかった1日の最後に、私はちょっとブルーになっていた。※37へ

(写真は、上海の空港売店でチョコレートを買っておまけにもらったぬいぐるみ人形)
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2005年10月09日

与勇輝さんの人形の絵ハガキ


200510091e6b1b40.jpg※35 初恋
 12月27日、暮も押し詰まった寒い日曜日であった。
 慎君には午後3時頃来るように言ってある、と父は言っていたのに、彼は、2時になったばかりの頃、早々とやってきた。そして、かまどに火を点けたり、水を運んだり、こまごまと父の指示を受け、働いた。父は彼に、多少は気を使ってるふうだったが、終始満足気だった。
 
 我が家の細長い家は、母屋の勝手口を出ると、すぐ小屋が目の前にあるのだが、その間に少しの空き地があり、いわゆる中庭のようになっていた。父はそこに臨時のかまどを作り、中央に臼を据えた。
 日中とはいえ、どんよりと曇った冬空は、景色を灰色に染め、山も畑も国道も寒々としてひっそりと静まりかえっていた。でもここだけは、かまどの炎と、餅米を蒸すセイロから立ち上る湯気と、皆の笑顔で、あたりはまるで温かい山吹色に染まっているようだった。
 母屋の勝手口も開け広げ、台所兼居間には餅を丸める準備も整えた。
 今日は博多から長姉の京子も帰ってきて手伝っている。京子は片手間に夕食の準備もした。彼女は、早くから母の台所を手伝っていたので、料理もお手の物だった。私は京子がいてくれるのが何より心丈夫で頼もしかった。彼女がいなかったら、きっと私は母の手助けが十分出来なくて、母をいらだたせたことだろう。京子がいることで、私は気楽に餅つきの手伝いが出来たのである。
 慎ちゃんはニコニコと常に笑顔で一生懸命餅をついた。
 私はしょっちゅう冗談を言い、皆を笑わせた。
 父も母も誰に気兼ねもいらないので、のびのびとして和やかだった。

 夕方6時頃には作業が全て終わった。
 父は「男の子はやはりいいね、慎君の体力はたいしたもんだ、おかげで無事に終わった、ホントに有難う」と何度もお礼を言った。母も京子も私も、慎ちゃんホントに杵の使い方上手いとか、父さん1人ではとうてい無理だったとか、慎ちゃんが来てくれてホントに助かったとか口々に言って、彼をねぎらった。慎ちゃんの上気した誇らしげな顔は、あまりにも美しく、私には眩しかった。

 京子が準備した夕げの食卓を、慎ちゃんも交えて、家族全員で囲んだ。慎くんが未成年で残念だなあ、と言いながらも、父はいつもより多めに晩酌し、いつもより満喫していた。
 食事を済ませた父は「慎くん、今日は有難う、これは気持だけだがお礼だ」と茶封筒を慎ちゃんに差し出した。
 「いえ、いいんです。俺、食事を頂けただけで十分です」となかなか受け取ろうとしない。
 「いいから、取っときなさい。れっきとした労働の対価なんだから」と、母や京子もしつこく言う。 ちょっとの間考えた慎くんは、
 「それじゃ頂きます。すみません」と申訳なさそうに茶封筒を手に取り、ポケットに大事そうにしまった。

 父は「俺はもう寝る。慎くんはゆっくりしていきなさい」と言って、奥の部屋に入っていった。
 母はお風呂の準備をするため席を立った。
 京子は食事の後片付けを始めながら
「真理子はいいから、慎ちゃんの相手をして」と、お茶とお菓子を私たちに出してくれたのだった。※36へ

(写真は、与勇輝さんの作った、NHK朝ドラの"うらら"がモデルの人形の絵ハガキ)
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2005年10月07日

旅館の玄関に飾ってあった花と花瓶


20051007b3d6ae0e.jpg※34 初恋
 その年の12月、10日もすればお正月というある日、我が家に石臼と杵が運ばれた。父が今年は自分の家でお餅をつくというのだ。
 ウチでは、この家に移り住んでからずっと、川向こうにある父の実家で、その実家の餅つきに便乗させてもらっていた。母は前日から実家に出向き、実家の餅米2俵を洗い、下準備を手伝った。当日は私たち家族全員、朝5時に起きて実家に行く。父はつき手、母はこどりを余儀なくされる。私たち子供は、大人が丸めた餅を、縁側に敷いたムシロの上に並べるのが役割だった。私は、親戚のウチでの餅つきは、大勢で食べる昼食もおいしかったし、決してイヤではなかった。むしろ楽しかったが、母にしてみれば苦痛だったのだ。父はそれを常々気にしていたのだ。

「今年は餅をウチでつくぞ!2斗ぐらいあっという間だ」と父は臼を撫でながら、感慨深そうだ。
 女の子ばかりじゃ、ウチで餅もつけん、とこれまで度々父がこぼすのを、私は胸を痛めて聞いていた。
 「父さん、1人でつくの?大丈夫?」と、恐る恐る聞いてみた。
 「大丈夫だ、それに慎君が手伝ってくれる」と、父はいつになく嬉しそうだった。私は、なるほどと思うと同時になんとも言えぬ喜びがこみ上げてきた。でも、冷静を装った。
 「母さん、よかったね、ウチの分だけなら、そう疲れんもんね」
 「真理子も丸めるとを手伝わんばよ」と、やはりどことなく弾んでいる。
 「うん、もちろん、今まで丸めとうてもおばさんたちに下手だからダメって言われてたけん、なんか嬉しか」。
 私は餅つきの日が楽しみだった。慎ちゃんが我が家の中に入るのは、小学校の子供会以来のことだ。
 その日から、かまどつくり、セイロ、モロフタ洗いと忙しかった。父と母と私は、それぞれ思うところは違っても楽しい作業だったのである。※35へ

(写真は、温泉宿の玄関に飾ってあったもの)
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2005年10月05日

有田焼の壷


20051005c18eb891.jpg33 初恋
 話を聞いた慎ちゃんは、私が思った以上に動揺した。
「真理ちゃん、なんで今まで俺に教えてくれんと?」
「だって言ったでしょ!私別に何の危害も受けなかったって。それにもうその男、病院に戻ったって」
「そんなこと言うても俺心配でたまらん。これから毎晩見回る」
 私は、慎ちゃんに話したことを後悔した。父に、誰にもしゃべるな、と言われたことも気になった。話題の1つとして軽い気持で言ったのである。でもやはり、彼に聞いてもらいたいという甘えが、どこかにあったのかもしれない。なぜなら、心配してくれるのが、こそばゆい快感でもあったのだ。が、やはり迷惑だった。
「ごめんね、有難いけど、ホントそんなこと絶対止めて!ウチには父さんも母さんも守ってくれる人、いるんだよ」
「…俺、わからんように見回るから」
「何バカなこと。それにちゃんと戸締りもしてるんだから。大丈夫だから」
 慎ちゃんは半分泣いたような、いつもの悲しい顔をした。
 いつの間にか私の家に入る道の角に到達していた。
「ねえー、分かったよね。…じゃあ、バイバイ」
「…」
 慎ちゃんが唇をかんで私を見送っている姿を背に感じながら、私は小走りで家へ向かった。

 そのことはすっかり忘れていた2〜3日後の夜であった。
 道に面した長い家の造りである我が家は、階段の下の板の間が、下半分は壁で上半分が窓になっている。窓を開けると、道を通る人とは目と鼻の先の状態になる。
 私はその夜、食事を済ませ、いつものようにただ惰性で机の前に座っていた。すると、階下で母の話し声がした。窓越しで道行く人と挨拶程度のおしゃべりをしているのだと思った。だが、挨拶にしては長話なので誰だろうと思い、2階の窓から下を覗くと、窓から漏れた蛍光灯の明かりに、慎ちゃんの姿がくっきりと浮かび上がった。黒いスケスケのアロハシャツが、大人びて彼にはちっとも似合わなかったし、とても品が悪い物だった。私にはそう思えたのである。

 母と慎ちゃんの様子を見て私の頭の中が急展開した。彼は見回りをしているのだ、と悟ったのだ。
 慌てた私は「慎ちゃんこんばんわ、良い服着てるね、透けてるじゃない」と関係ない、しかも、思っている反対のことを口走っていた。
 慎ちゃんは私を見ると、嬉しそうにペコンと頭を下げて「こんばんわ」と小さな声で返した。
「真理子、慎ちゃんはお前のために見回りしているんだって。止めるように言っとるとよ」
「こないだ偶然会うた時、あの話、つい慎ちゃんにしゃべってしもうたもん。でも見回りなんかいらんて言ったのに」私は母に必死で言い訳をした。父の怒った顔が浮かんだ。慎ちゃんとのことを感ずかれないだろうか。でも父は、夜は食事が済むと直ぐ寝る人である。もう9時にはなるだろう。今の時刻に起きてくる様子はない。私は取り敢えずほっとした。

 私は2階から階段を下りて母の隣に立ち、慎ちゃんを見てニコッと笑い、目で合図した。慎ちゃんはフッと肩の力を抜いたようだった。母に見つかって緊張していたのだろう。
「慎ちゃん、ウロウロしているとあんたが疑われるよ、いいから早く帰りなさい」と母は穏やかな口調だったが、きっぱりと言った。それでもなかなか帰ろうとしない慎ちゃんを見て、私も内心、慎ちゃんって、強情な子供なんだと思ったのである。※34へ

(写真は、旅館の床の間に飾ってあったもの)
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2005年10月03日

陶器のうさぎ


20051003eb4bfa14.jpg※32 初恋
お盆には長姉の京子も博多から帰ってきた。東京にいる妙子はお盆とはいえ、旅費がないのか、もったいないのか、帰ってこない。一人っ子状態の私は、気ままな生活にすっかり慣れてはいたが、休みの日に、時々京子が顔を見せるのが、嬉しくてたまらなかった。社会人の京子は、私の憧れの的だった。京子の、衿ぐりが開いたブラウスや、タイトスカート、ハイヒール、小さなハンドバッグ等が、物珍しく、こっそり、鏡の前で身に付けてみたりした。京子はそれを見て怒ることはなく、時々は譲ってくれたりした。
 
 慎ちゃんの身の回りもお盆は慌ただしそうだった。畑で姿を見かけることはなく、夕方親戚大勢で墓参りに行く姿をチラッと見たくらいだった。ミツエさんもまり子ちゃんも同行していた。慎ちゃんは今日は嬉しいだろうな、彼にとっては、肉親の愛が何より1番なんだろうなと、彼の嬉しそうな姿を垣間見てしみじみ思った。

 夏休みも後半になると、また私は学校へ行き、夕方帰宅する日々を送っていた。その日もバスから降りると、国道を家に向かってトボトボ歩いていた。両脇に広がる青々とした田んぼに、夕日があたり、所々が金色に輝いている。トンボの群れが、数字の8の字を横にした形を作りながら目の前を飛び交う。手を伸ばせば掴めそうに低空飛行をしているそのトンボに気をとられて、ふと気が付くと、国道をこちらに向かって駆けてくる慎ちゃんとタローが、私の視界に飛び込んできた。
 とっさに胸が高鳴った。…そっか、タローの散歩か、たまにコースを変えることもあるのだと思い、慎ちゃんと偶然会えることに、今度はジワッと喜びがこみ上げてきたのである。
 あっという間に、私たちは鉢合わせた。

「あら、今日は国道を散歩させると?」私は喜びを顔一杯に現し、にこやかに言った。
「まあね」と言いながら慎ちゃんは、息を整えながら私と肩を並べて逆戻りに歩き出した。
「あらいいよ、散歩続けても」
 すると、急に慎ちゃんは私を見つめて悲しそうな顔をした。
「真理ちゃん最近ちっとも砂山に来んけん。…俺、毎日真理ちゃんを待ってるんだよ。今日はもう我慢出来んかったけん、ずっと国道で待ってたと、姿を見つけたから迎にきたとよ」と、慎ちゃんはその端正な顔を曇らせ、小さな声でボソボソと言った。
 私は「えっ!」と目を丸くして慎ちゃんを見た。
「だって、タローの散歩は毎日してるわけでしょ」
「そうだけど、…でも俺、真理ちゃんと会うため散歩させてるんだから、…でももういい、こうして会えたから」
「…うん、ごめん」と言いながら、私はひどく申し訳なく、胸がキューンと痛んだ。「これから、なるだけ行くよ」「なるだけ?」「うん」「…」。
 
 気まずい空気を取り払おうと思った私は、
「あのね、この前の夜中に、私の部屋に変な男が忍び込んできたんだよ」と、摩訶不思議な夜の恐かった話をしてしまったのである。※33へ

(写真は、旅行土産といって頂いたかわいい小さな置物)
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2005年10月01日

まねき猫


200510018c86dfc7.jpg※31 初恋
 「国道をピョンピョン跳ねながら逃げよった。追いつけん」と言いながら、父が口惜しそうに帰ってきた。
「ところで真理子、おまえ、下着はちゃんと付けとったか、脱がされとらんか?」と私を見回した。
「えっ!そんなこと」と言いながらも、急に心配になった私は、冷静に一連の流れを思い出してみた。
「ううん、そんなことなかった」
「そうか、そりゃよかった。これからはちゃんと窓の鍵、閉めろよ」と、父は自ら窓の鍵を閉めた。
 北側と南側が窓なので、月明かりで十分明るかったからか、すっかり気が動転していたせいか、蛍光灯を点けてないのに気がついた。慌てて、蛍光灯に付けた紐をひく。
「父さん、今の男ね、俊坊に似てたよ」私の頭の中に男の顔はくっきりと刻み込まれて、なかなか消えない。それは、近所のタヨ子ちゃんの弟の俊之君にそっくりだったのだ。
「…真理子、それはたぶん違うよ、俊坊なら反射的に自分の家の方に逃げるだろう、国道を北の方に逃げたから、きっと里の人間だ」と父は、自分に言い聞かせるように言った。私は半信半疑だった、父はさらに「今夜のことは人にベラベラしゃべるんじゃないぞ」と言った。私も、くっきりと頭に残って消えないその顔を一刻も早く忘れたかった。でも、その残像はいつまでも消えなかったのである。

 昨夜の男は、普段は精神の病気で入院している中学を卒業した男が、お盆の休みに帰宅していて、夜な夜な徘徊しているらしい、ということを、翌日母がどこからか聞いてきた。やはり、私が住む広田名の北に位置する里名の家の子供だったのだ。父は、その男の子の顔を知っていたのか「あの子は顔は確かに俊坊に似とるよ、でも、俊坊じゃないぞ」と念をおした。私は俊坊でなくほんとうよかった、と胸をなでおろした。
 母はさらに、その里の男には、キツネが付いているらしいと、近所ではもっぱらの噂だったことも、聞いてきた。私には,キツネが付くとはどんなことか分からいし、信じられないことだった。でも、3km位離れた所から、下着姿に裸足で、しかも飛び跳ねて往復するのは、やはり人間とは思えない行動である。
 この事件は、摩訶不思議で恐い真夏の夜の出来事だった。※32へ

(写真は、呉服屋さんに頂いたちりめんで作ったまねき猫)
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2005年09月29日

福を呼ぶフクロウくん


2005092990891d97.jpg※30 初恋
 そんな高校2年生の夏休み、私の身の上にちょっとした事件が起きた。

 私は、姉の妙子が東京で就職して家を出てからは、2階の子供部屋で1人で寝ていた。最初の頃こそ、夜1人寝るのが恐くて、何度も戸締りを確認するほどだったが、1ヵ月もすると、それも何ともなくなっていたのである。
 それは、8月12日、明日からお盆という日の深夜だった。その夜も暑さにかまけて、つい、網戸だけで寝入ってしまったのだ。2階ということもあり、両親も日頃からあまり注意もしてなかった。田舎ではどの家庭でも、戸締りなどしていなかったのではなかろうか。私は夜中に目など覚めないのに、その時、ふっと目が覚めたのだ。

 足元に、白くぼーっと何かが浮かんでいた。ボンヤリした頭で半身を起こした。そのあと、息が止まるほどびっくりした。
 「キャアーッ」という声は反射的に発せられたが、息を呑んでいるので声にならない。驚くと声は外に出なくて、呑み込むものなのだ。腰が抜けて、身体も動かない。
 「誰!」。人間だと分かった。膝をついた足を後に、布団の隅で中腰になり、ジーッと私を覗いていた。男の子供だ、中学生くらいだととっさに思った。顔が丸くて、目が細くて、色が白かった。きつね顔だと思った。不思議と顔がくっきりと分かったのだ。その日は月夜だったのだ。服装は白のランニングと白のトランクスいわゆる下着姿だった。

 「誰!」ともう1度、言いながら、逃げようとした男の服をとっさに掴んだ。ズルーッとゴムが伸びた。トランクスだったのだ。気持が悪くて手を離さざるを得なかった。その辺はスローモーションだった。その隙に男は窓の方に逃げた。
 「父さんー!父さーん!」とやっと叫ぶことが出来た。 「どうした!真理子」と父が血相を変えて駆けつけた時は、男は窓から飛び出していた。
 「あっち!あっち!男!」と窓の外を指差した。父は階段を駆け下り、外へ飛び出し、追っかけた。
 男は窓から飛び出した後、屋根伝いに小屋の屋根、その先の我が家の細長い庭、そこから国道へ、それは身軽にピョンピョン跳ねて逃げて行った。その男の後姿はまるでウサギかキツネのようだった。
 騒ぎに駆けつけていた母と、「あれ、人間じゃないみたいねー」と、力の抜けた身体と、ドキドキしている胸を抑えながら、茫然と見送っていた。※31へ

(写真は、陶磁器の人形。働いていた頃の職場の幹部の方から頂いたもの。玄関に置き、福が訪れるのを待っているのだが)
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2005年09月27日

じゃ踊りの人形


2005092749b352bf.jpg※29 初恋
高校2年生という学年は、進路を決める大事な時である。
 進学校である私の高校は2年生の夏休みに修学旅行を済ませる。父は、末っ子の私だけは大学にやりたいと、ずっと思っていて、それを楽しみにしていた。修学旅行が終わると、父は私に「勉強しなさい」としきりに言うようになった。
 しかし私は、今の自分の成績では国立大学は無理だろうと、とっくに諦めていた。私立に行ける我が家の経済状態ではないのは、親子の間で暗黙の了解事項だった。
 長姉の京子は私立女子高校卒業時に、併設短大進学を希望していた。当時担任の先生がわざわざ我が家を訪ね、「推薦入学出来ます。ぜひ進学させて下さい」と頭を下げて下さったのだが、「私立短大は、到底やれない」と父は断ったのだ。次姉の妙子は国立看護大学を目指したが、なぜか、2次試験で落ちて、これも大学を断念した経緯があった。
 
 私は、心の中では、既に進学を諦め、就職を希望していたのだが、なかなか父に言い出せずにいた。父が落胆し、悲しむ姿を見るのが忍びなかったのである。
 
 私が大学進学を諦めたのは、なにも学力や経済的なことばかりではない。
 たとえ、国立大学に行けたとしても、18歳から22歳までの1番楽しい時代を、親の扶養に頼らなければならないのは、私にとって、悲惨なことなのだ。
 なぜなら、父は、学費や、最低限の経費は出してくれるだろう。しかし、女性は洋服もいるし、化粧品もいる。友人との交際費など、親に理解してもらえないお金が必要になる。それをいちいち親に頼むのは、私には苦痛という他はない。慎ちゃんが、おばあさんに上履き代など、要求出来なかったことと一緒なのかもしれない。
 
 私が、自分が大学へ行くような立場ではない、と感じるようになったのは、高校生活そのものだった。
 中学の時とはまるで違ったのだ。
 周りは博多の天神の有名商店の子女や社長の御曹司、役所の部長クラスの子女など、お金持ちばかりであった。しかもみな秀才の上、家庭教師、塾通いと、勉強に対する意気込みも違っていた。
 しかも見た目も垢抜けしていた。田舎物で貧乏人の私は、だんだん萎縮していき、成績もどんどん下がったのである。もちろん、私のような田舎出身もいて、そんな状況に負けないで頑張っている人もたくさんいた。
 
 親は学校での私の状況を知るはずはなかった。
 言ったところで、どうなるものでもない。
 私には、もともと、それほど向学心がなかったと言えばそのとおりだった。
 それより、1日も早く親の庇護から脱却して、自立したかったのだ。就職するしかなかった。
 
 それでもその頃、私は毎日受験の補修授業があると言って学校へ行き、図書館でだべっていた。
 家でも部屋にこもりっきりで、勉強するふりをして、たいてい寝ていた。
 そんな毎日だったので、慎ちゃんに会うために、夕方外へ出る事は、さすがに出来なかった。※30へ

(写真は、紙粘土の人形。愛嬌と動きがあって、かわいい。夫がどこからか記念品として貰ったもの)
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2005年09月25日

ヨーロッパみやげの壁掛け


20050925c67a4388.jpg※28 初恋
「それに、学校じゃますます遠くに感じたしねー、。だって真理ちゃんの成績、すごかったもん。廊下にしょちゅう貼られてたでしょ。それに、いろいろ、委員をしとったし、輝いとったよね」
「そんなことないって、ホントにもういいよ」
 慎ちゃんは頷きながらニッコリ笑って、
「でもね、…真理ちゃんが、休みの日になると、部屋で歌、歌っとったよね?その頃から…だんだん真理ちゃんのことが気になりだしたと。身近に感じるようになったというか…。あの時、ミツエさんにだいぶん冷やかされとったんだよ」
「えっ、ホント、何て?」
「えーと…『ほらほら、また真理ちゃんが慎ちゃんに聞かせるため、歌うとる』って」
 やはり、ばれていたのだと、私は恥かしさで一杯になり、唇を噛んで両手で頬をおさえた。認めるしかない。

「ああ、確かにね、歌ったよ。自分でも、何でか分からんけど、慎ちゃんに聞いて欲しかったのよ」
「やっぱ、そうだったんだ」
「違うの、慎ちゃんがいつもよく働いとったでしょ!私1コ年上だから、お姉さんのような気持がいつもしてたんよ。それで、応援するつもりだったと、何も出来んからせめて歌でも歌って勇気付けようと思ったのさ。それに吉永小百合の歌、いろいろ練習してたしね」
「それが、俺に伝わったとね。でもミツエさんにも。アハハ」と屈託なく笑った。

「でも、もうお姉さんのような気持はいいよ。俺も大きくなったけん。今度は俺が真理ちゃんのこと、守ってやるから」と、今度は真面目な顔で言った。私は(何、言ってんの、どうせ、高校卒業したら東京へ行ってしまうんでしょう?)と思ってしまうのである。気にしてないつもりなのに心の片隅に、慎ちゃんは高校を卒業したら、東京へ行ってしまう、ということが引っ掛かっているのが、自分でも不思議だった。(29へ)

(写真は、夫がヨーロッパ旅行の際買ってきてくれた壁掛け)
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