2005年08月13日

中国のローカル空港で買った日本人形


20050813c400310f.jpg※bV 出会い
 優しくて気丈だった祖母は、そんな父を心配し、西に東に奔走し、東筑紫野町の郵便局に就職先を見つけてくる。それまでの父は、日雇いなどしていたのだが、将来の活路をなかなか見出せないでいた。
 しかし、郵便局に勤め出すと(これからは、第2の人生として、家族のために生きよう)と思い始める。
 祖母に対して父は、すべてのことにおいて、ずっと感謝している。

 そのうちに、父の実家から50坪足らずの土地をもらい、バラックながらマイホームも建てた。そして母の実家の隣村にある今の地、筑紫村に、私たち一家は移り住んだのである。
 私は3歳になっていた。
 
 今では、そのバラックに継ぎ足して、階下が台所、居間、風呂、2階に子供部屋という間取りの1棟が増築されている。
 周りは農家で、昔ながらの大きな家ばかりの中では、ひときは貧弱ではあるが、狭いながらも楽しい我が家なのだ。
 父は、さらに新民法の恩恵もあり、近くに150坪程の畑を2ヶ所、実家から分けてもらっている。
 そこで、郵便局勤めのかたわら、家族が食べる野菜等を作って、食うに困らぬ、まあまあの生活を送っているのである。※8へ

(写真は、中国張家界空港の土産品売り場で買ったもの。中国の地方の土産品として、日本人形を日本人が買うのは不思議だった。ヨーロッパ人等、中国と日本の区別がつかない観光客相手の商品なのだろうか)
(上記小説は、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)
posted by hidamari at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月11日

久留米絣人形


200508113539e227.jpg※6 出会い
 一方、母(敏子)は、両親が教育熱心な教師だったこともあり、県立女学校を卒業している。
 でもその時代、内地には良い就職先がなく、やはり父と同じく、新天地、満州新京の菊屋デパートを就職先に選んだのである。

 その後、父と母は同郷ということで、見合いし、結婚、奉天に居を構える。そして、私たち3姉妹が誕生したわけである。
 その間、大東亜戦争勃発、父は兵隊として召集され、連日お国のために、死を覚悟して訓練に励むも、戦地に赴くことがないまま終戦。

 私たち家族が博多港に帰還したのは、昭和21年夏。正に、着の身着のまま、命からがらの引き揚げであった。
 長姉(京子)5歳、次姉(妙子)2歳、私(真理子)が生後6ヵ月の時である。
 それから3年間、博多郊外の東筑紫野町にある母の実家の2階で、親子5人が居候の身になった。

 父は、当時、まるで抜け殻状態だった。自分の人生は、終戦とともに終わったと思ったそうだ。
 
 校長まで昇進した祖父は既になく、祖母は、夫が校長になった時点で退職を余儀なくされ、その時、既に年金生活を送っていた。
 祖母は婿養子をとって家を継いでいたので、家族は祖母の母親と母の弟2人(母は5人兄弟の長女、長男の弟は教師で既に所帯を持っていたし、、二女の妹も既に結婚していた)の4人暮らし。地元では旧家だった祖母の家は、資産もあり、家屋は3階建でL字型の大きなものだった。そんな恵まれた環境ということもあり、祖母は私たち家族を温かく迎えてくれた。そして全面的に応援してくれたのである。※7へ

(写真は、土産品店で購入したもの)
(上記小説は、カテゴリー、小説[藪椿]で連載中)
posted by hidamari at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月09日

かぼちゃの花


20050809fe68f97c.jpg※5 出会い
 私たち家族は満州からの引揚者である。
 父(本田茂)は農家の男2人、女8人の下から2番目の二男。当時の農家は、長男以外は尋常小学校を卒業すると、まれに高等科、中学と進学する人もいるが、たいていは家を出て、自立を余儀なくされた。
 祖母は、成績優秀な父を中学へ進学させてやれないことを、かわいそうに思ったのだろう、父が高等科を卒業すると、逓信講習所という専門学校を受験させる。
 父はその逓信講習所を経て、3年ほど、郡部の小さな郵便局に勤めるが、、将来にどうしても夢が持てなかった。悩んだ父は(大陸で自分の活路を見出そう)と思い立つ。
 郵便局勤めで知り合った先輩が、既に満州で生活しているのを頼り、故郷には二度と帰らぬ覚悟で、たった1人、海を渡ったのである。
 満州の奉天という所に落ち着いた父は、満電(満州電信電話)の入社試験を受け、見事に合格する。
 満電には、同僚に、早稲田大学卒業の、後の俳優、森繁久弥も在籍していた。それは、今、父の自慢だ。後に購入した、当時の部厚い社員名簿を大事にしているが、確かにそれには、宣伝部森繁久弥、と名前が載っている。

 父にとっては人生の中で、満電勤務時代が1番楽しい時期だった。会社のサークル活動では、アイスホッケーや、野球、乗馬などして楽しんでいる。

 既にその頃、奉天では、各家庭に水道、暖房が完備されており、その生活は内地より20年は進んでいると言われる程、文化的な暮らしだだった。※6へ

(写真は、かぼちゃの花をガラスの器に飾ったもの)
(上記は小説で、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)
posted by hidamari at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月07日

1杯の水とりんご


2005080755d874a9.jpg※4 出会い
 三崎のおばあさんには、今一緒に暮らしている長男の秀夫さんの他に、既に隣の部落に嫁いでいる長女の守山ミツエさんと、博多で所帯を持っている二男の昭夫さんの、子供3人がいること。
 ミツエさんは、母より年長で子供が男3、女1と4人もいること。昭夫さんにも、2人の子供がいること。
 秀夫さんは、戦時中、南方で風土病にかかって、途中で帰ってきたこと。でも今ではすっかり直っているのに、未だに独身で、おばあさんと2人で農業をしていること。
 おじいさんは亡くなっているが、三崎さんの家は、かなりの資産家で、山や田畑がたくさんあること。
 私の家の後に隣接している、今正に慎ちゃんが働いている畑も、家の前を通っている細い公道を挟んで高台にある畑も、三崎さんちのものであること。

 それらのことは、子供の私も、毎日の暮らしの中で、見聞きして、何となく知っていたことである。

 母は、どこから話そうかと、考えていた。
「…真理子も知っとるよねー、ミツエさんのご主人が、役場に勤めとられるとは…」
「うん」
「あそこのウチも、ウチと一緒で、満州からの引揚者なんよ」※5へ

(写真は、朝起きてすぐ戴く、1杯のナチュラルミネラルウォーターとりんご。水は常温、りんごは半分でいい。これが、私の便秘解消法)
(上記は小説で、カテゴリー小説[藪椿]で連載中)
posted by hidamari at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月05日

少女のぶら下げ人形


200508052f85d4c1.jpg※3 出会い
(オッ、かわいいよ!…でも、何で、三崎のおばあさんの孫があいの子なんだ?)
 私は何が何でも訳が知りたかった。
(母さんに聞くしかない)
 そう思うと、居ても、立ってもいられない。
(何か深い訳があるに違いないぞ、それを聞き出すには、母のご機嫌を損ねたら、めんどうだ)

 気を静めて、自然を振る舞い、静かに、流し台の母の所へ、近づいた。
「ねえ、母さん、あの子、あいの子だよね、…一体誰の子ね?」
「…真理子!急に何ね、びっくりするじゃないの」
母は、いつの間にか、自分の側に立っている私を見て(困った子だね)というような顔をした。しばらくの間、両手で首筋を押さえながら、目をつぶっていたが、観念したのか、飯台の前にどっかと座った。そして、慎ちゃんの生い立ちを、話し出した。※4へ

(写真は、旅先で購入した、13センチ足らずの人形。上記小説はカテゴリー小説[藪椿]で連載中)
posted by hidamari at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月03日

女学生のぬいぐるみ人形


200508039b5b9678.jpg※2 出会い
 「母さん、母さん、三崎さんのおじさんと働いとる、あの男の子は、誰ね?」

 台所の流しに向かって立っていた母は、
「何ね、ばたばた、家の中を走ったらいけんよ」
と言いながら、前掛けで手を拭き拭き、飯台に座った。
「あー、あの子ねー、三崎さんのおばあさんの孫だって」
と言った。その後も何か言いたそうに考えていたが、とたんに、
「真理子には、関係ないやろが、早く宿題しなさい!」
と、急に不機嫌になって、流し台に戻った。

(おばあさんの孫?おじさんは40歳位なのに独身だし、それに、孫にあんなきつい仕事をなぜさせるのだろう?)
 私には、とても解せないことだった。

 私は、しぶしぶ、また2階の子供部屋に戻った。
 再び、窓の外の畑に目をやると、その男の子は直ぐそこに居た。私の家は、三崎さんの広い畑に密接していたので、手前の方は至近距離なのだ。

 顔、形が、はっきり見える。私は驚いた。彼はどう見ても、白人とのあいの子だったのである。※3へ

(写真は、旅先の土産品店で買った12センチ位の人形。カテゴリーの蘭、小説[藪椿]で、上記小説を連載中)
posted by hidamari at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月01日

藪椿(やぶつばき)


2005080100b03a22.jpg※bP 出会い
 私が慎ちゃんを知ったのは、まるで、部屋に小鳥が迷い込んできたように、ある日突然のことだった。
 
 昭和32年春、私が小学校6年生の時である。
 ある日、いつものように学校から帰って、2階の子供部屋に駆け込み、窓を開け、外を見た。
 
 いつもは、三崎のおじさん1人で畑仕事をしているのに、もう1人、丸坊主頭の小さな男の子が、不釣合いな大きな鍬を振り上げて、土を必死に耕していたのだ。
(あれは、は何だ!)
 一瞬目を疑った。何しろその男の子は、畑仕事をするにはあまりにも小さかったのだ。
 
 しばらく様子を見ていたが、きっと母は、何か知っているかもしれないと思い、私はバタバタと階段を駆け下った。※2へ

(写真は、去年の冬、山で折ってきた藪椿。このタイトルで小説を書いてみたい。毎日では飽くので、カテゴリー 小説[藪椿]※bナ続けていくつもりである)



posted by hidamari at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 [藪椿] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする