2006年04月03日

桜道―B


B.jpg※33
      ※
 晴美は、どうしよう、と思った。
 啓介が自分を誘うのは、田鶴子が留守であることに違いなかった。啓介自身そのことを隠しもしないし、紛れもない事実なのだ。
 それってホントに平気なことなのか?
 もし自分が田鶴子の立場なら、きっと嫌な気持ちがするだろう。きっと、誘った男性より応じる女性を憎むだろう。

「何、考えているの?僕の彼女のこと……?」
 啓介が察するように問いかけてきた。
「だって、私やっぱ行けません」
「彼女とのことは僕の問題だから、君が気にすることはないから」
「……」
「とにかく、明日迎えに行くよ。それまでに考えといて」
 啓介はそういうと、脱いだスニーカーに脱いだ靴下を突っ込み平らな岩に置いた。そして、ジーパンの裾を手早く撒くると、砂浜に降り、波打ち際を歩き出した。
「君も入れよ。靴はそこに置いてて。あの岩の所まで行ってみよう」と500m位先に見える岩の丘を指差した。
 晴美は頷くと、啓介と同じように脱いだソックスをパンプスに入れ、啓介のスニーカーの横に、揃えて置いた。
 靴を並べて置いただけで、田鶴子に対して何だか申訳ないような、また2足並べられた靴を見て、恥かしいような妙な気持ちがした。
 それなのに、何でもないように澄ました顔で、べージュ色のズボンのすそを捲り、啓介の後を付いて水の中を歩いた。
 波が戻るたびに足の下の砂も戻り、感触が気持ちいい。不思議なことに楽しい気分がフツフツと湧き出るのを抑えることが出来ない。
 しばらく1列で歩いていくと
「手を繋ごうか?」と啓介が振り返り、いきなり晴美の手を掴んだ。※34へ

(写真は、桜道のパートB)
(上記小説は、カテゴリー短編小説[茜雲]で連載中)

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2006年04月01日

桜道―@


@.jpg※32
     ※
 晴美は一瞬驚いたような顔をして啓介見たが、すぐ冗談だと悟り、
「そうですね、泳いだら気持ちよさそう」と、笑って応えた。
 啓介は「冗談ではないよ、明日改めて泳ぎに来ないか?」と言った。
 啓介は、今日事務所で晴美を見た時、ふっと、明日晴美を誘って海へ泳ぎに行こう、と思いたったのである。
 佳代が産休に入って以来、最近、どことなく元気がない晴美が気になっていたこともあるが、田鶴子が女友達の結婚披露宴に出席するために、今日から東京へ出かけて留守のこともあった。
 明日からの土日を久しぶりに自由に使える開放感に浸っていた時に、元気のない晴美の存在が急に気になりだしたのだ。
 業務終了後、何時も、しばらくは事務室に残っている晴美に、帰り際にそれとなく声をかけようと思って部屋を覗くと、今日に限って晴美は既に帰った後だった。 
 バス停で、運よく晴美に会えたら誘おう、会えなかったら諦めようと思って、啓介は病院を出た。
 バス停で晴美の姿を見た時、啓介は心の中で小さくガッツポーズをした。

 「えっ、明日ですか?」晴美はけげんな顔をして啓介を見て、首を傾げた。
 「そうだよ、明日予定ある?」
 「……何で私と?」
 「ああー、彼女のことねえ、……明日友達の結婚式って、今日から東京へ行ってるんだ」
 「……でも、いいんですか?留守だからといって」
 「いいんだよ、まだ結婚してるわけではないんだし、……他の人とプラトニックな付き合いがあってもいいと思っているんだ」
 「……でも、矢部さんとか、あと看護師さんとか……」
 「うん、でも急に思いついたんだもの。とにかく、明日夕方4時頃迎えに行くよ。車で行くから、着替えも車ですればいいし、……帰りも送るから、帰ってすぐ家でシャワー浴びればいいだろう?」啓介はなかば強引だった。※33へ

(写真は、温水浴健康教室があるスポーツ交流館へ行く道の桜)
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2006年03月30日

満開の雪柳


満開の雪柳.jpg※31
 海面が夕日に照らされキラキラと輝いている。それは海というより、草原に銀色のアルミ箔を敷き詰めたようだった。眩しかった。
 磯の香りが風に乗って晴美の鼻面を通り抜けていった。
 いつの間にか、前回と同じ岩場の所だった。
 啓介は、当たり前のように停車した。
「ちょっと、降りてみよう、……この先ちょっと行った所に砂浜があるんだ。近所の子供たちが泳いでいるよ、行ってみようよ」
 「えっ、でも、ギターの練習じゃないんですか?」
 「そうだよ、でもまだ早いから」
 「……」
 「行こう!」
 啓介は自分のヘルメットを外し、晴美からもヘルメットを受け取ると、それをバイクのハンドルにかけ、さっさと岩場の方へと降りて行った。
 晴美は仕方なく後を追っていった。
 緊張のあまり止まっていた汗がどっと噴き出した。凪状態の内海は風がぴたりと止んでいた。啓介の後姿は夕陽を浴びて黒一色、白い海とのコントラストをなしていた。
 岩場を歩き切ると、確かに白い砂浜が見えてきた。
 啓介は、立ち止まって振り返り、晴美を待っていた。
 「ほら、あそこ、いいとこだろう?子供たち泳いでいるし、遠浅になってるから、足をつけたらいいよ。……それとも泳ぐ?」※32へ

(写真は、今至る所で見られる雪柳。ある家の庭先の雪柳。あまりに見事だったので)
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2006年03月28日

花壇の水仙


花壇の水仙.jpg※30
 啓介と会うのは、テニスコート以来のような懐かしい気がした。
 しかし実際は、その後も毎日会っている。今日も事務所や廊下で何回も顔を合わせていたし、レントゲン室へも業務連絡へ行き、話もしている。それなのに、目の前の啓介の笑顔がとても眩しく新鮮に感じられるのだ。
 病院内で白衣に身をまとっている啓介と、バイクに乗っている、スカイブルーのポロシャツ、ブルージーンズというラフな服装の啓介は、確かに別人に見える。
 そのせいだろうか?
 それとも、あれからずっと、啓介には田鶴子という恋人がいるのだから、と無意識に自分の心にバリケードをはっていたのが、不意を襲われふっと素の心に戻ったのだろうか?
 晴美は戸惑っていた。
 啓介に対する感情は、もはや特別なものとは思っていなかったはずなのに、こんなにドキドキするのは、やはり心の奥底で未だに啓介を好ましく思っているのだろうか。
 いずれにしても決して自分にとって良いことではないと、晴美は分かっていた。

「川口さん、乗りなよ。送るよ」
「えっ、ありがとうございます。でもけっこうですから、どうぞ行ってください」
 晴美は左手を横に伸ばして、バイクを発進させるように促した。
「いいから、乗れよ」と、啓介はバイクを止め、後に積んでいたヘルメットを取って、つかつかと晴美に近づいてきた。

 あっさり立ち去ると思っていたのに、啓介の意外な行動は、晴美には驚きだった。
 悪い気はしなかった。送ってもらうくらい、いいのでは、とつい思った。

「すみません。じゃあ」
「しっかりつかまって、この間の海岸道を走るから」
 晴美はバイクにまたがり、ヘルメットを付け、啓介の胴に手を廻した。
 バイクは猛スピードで発進した。
 晴美は、啓介にしがみつきながら彼の体温を感じた。そして、自分が被っているこの赤いヘルメットはきっと田鶴子専用のものだろう、と思った。※31へ

(写真は、近くの中学校の花壇に咲いている水仙)
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2006年03月26日

よもぎ餅


よもぎ餅.jpg※29
 7月、晴美はすっかり病院に溶け込んでいた。診療報酬請求事務の期間を除けば残業も殆んどすることがなかった。
 業務は午後5時に終る。佳代は5時前に既に帰る準備を終えていて、5時の時報と同時に病院を出て行く。佳代はそれからスーパーへ買物へ行き、夕食の準備をするという。大きなお腹を抱えて孤軍奮闘している佳代の姿を横で見ていて、晴美はたいへんだと思いつつ、少しばかり羨ましかった。自分もいつかは結婚出来るのだろうか。その前に恋人が出来るのだろうかと、漠然とした不安が常にあったからだ。
 7月末、佳代はやっと産休に入った。佳代にとっては待ちに待っていたことだったが、晴美にはやはり寂しいことだった。秋津と佳代と晴美は、佳代を中心に絶妙なトライアングルが出来、それなりにうまくいっていた。
 晴美は、佳代が居なくなり、何となく不安な冴えない毎日を送っていた。
 
 その日暑い日だった。
 通常5時40分のバスに乗ることにしているのだが、たまたま守備よく後片付けが終わったため、1台前のバスに間に合うかもしれないと、晴美は早めに病院を出た。病院を早く抜け出したいと思うのは、少しネガティブになっていたのかもしれない。
 バス停は5時過ぎとはいえ、まだまだ太陽が照りつけていた。晴美は少しでも涼しい所へと街路樹の陰に入りこんでいた。
 ―こんなに早く帰ってもほんとにすることないなあ―とぼんやり考えている所へ、突然目の前にバイクが止まった。
 啓介だった。
 ヘルメットを持ち上げニコッと笑った。
 とたんに、晴美の胸の鼓動が、スイッチONされたように波打ち始めた。30へ

(写真は、きれいなよもぎを摘んで作る季節のお菓子)
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2006年03月24日

ネコヤナギ


猫柳.jpg※28
「川口さんも気をつけなさいよ」
「はい、分かりました」
 晴美は秋津の言う事に関して、さわらぬ神にたたりなし、と日頃から思っている。今回も殊勝なふりをして頷いた。
「釣り合わぬは不縁の元って言うでしょう、先生方はその気もないのに軽い気持ちで声を掛けてくるからね」
「分かっていますって」
 晴美はいい加減うっとうしかった。心の中では、―心配しなくても、先生方は面食いなんでしょ?私なんかに声をかけてくるはずないし―と、思っている。しかし、それを口に出すと―そんなことはない―とまた、そのことで話が繋がり、話が長くなるのが晴美には分かっていた。
 佳代は、うふふ、と笑ってばかりいる。
 青春真っ只中の晴美には、恋人はおろかボーイフレンドさえいない。むしろ、好きな男性に早く巡り会いたいと夢みている。秋津の忠告など、全く意に介していなかった。※29へ

(写真は、ご近所の家の前にあったネコヤナギ。昔は至る所、川端などで見かけたが、今ではめずらしい木)
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2006年03月22日

山桜


山桜.jpg※27
 秋津は決して意地悪なのではない。年齢を重ねると人は誰でも、それまでに培った自分の持っている知識を若い人に押し付けたくなるらしい。聞いて損なことはないので、晴美は努めて素直に聞くように心がけている。
 秋津は、お茶の入れ方、掃除の仕方、お手洗いの使い方等、仕事に直接関係ないことまで、日常茶飯事、晴美がすることに口を出したがった。
 例えば、
「朝仕事前に職員に出すお茶や来客に出すお茶は、湯呑半分くらい注げばいいのよ。ただし、お昼の食事時に出すお茶は、なみなみと注いでいいわ。でも、緑茶じゃなくほうじ茶にするのよ」と、なるほどと思うことを教えてくれる。そこまでは、晴美は素直に聞けるのだ。ところが必ずその後に「そうしたら、経済的にもいいでしょ。女性はお茶出し1つにも、賢い人とそうでない人は差がつくのよ。貴女は頭がいいのだから分かるでしょ」等という一言が付け加えられるのだ。
 雑巾がけをしていると、
「机は濡れ雑巾で拭くだけでは駄目よ、必ず後から乾いた雑巾で水分を拭き取るの、そうしないと汚れは取れないし返ってゴミがまた机についちゃうから」と言って、その後「お化粧は面倒がらずに何種類も顔に塗るでしょう」が付け加えられる。
 また、トイレや洗面所では
「誰がトイレを汚したの?洗面所に髪の毛が落ちてるよ。汚した人は掃除しなさい」と言った後「トイレや洗面所を掃除すれば、美人の赤ん坊が生まれるよ」と、一言付け加えられるのだ。
 晴美はその毎度の一言を聞くのが苦痛だった。
―平川さんの恋愛事件で私に何が及ぶの?何を言われるのだろう―と晴美は不安な気持ちで秋津の顔を覗った。※28へ

(写真は、遠くからぼんやり見えるのが趣がある山桜)
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2006年03月20日

赤いガラス花瓶


赤いガラスの花瓶.jpg※26
 翌日、さらなる情報を仕入れた秋津は、昼休みになると、待ち構えたようにサトミの話題を持ち出した。
「平川さん、仕事辞めたいって、稲田さんに言ったらしいよ」
「えっ、それで辞めるの?」と、佳代も関心を隠さない。
「ううん、稲田さんが止めたらしい」
「やっぱ、居辛いのかしら」
「そうじゃないのよ、彼女、精神的に参っているんじゃないの?捨てられたっていう心の傷が深いんだと思う」
「そりゃそうだよねえ」
「でもね、仕事辞めてどうするのよ。……看護師の仕事っていっても、一度辞めたらおしまいでしょう、ここだと公務員でしょ、恵まれているわ、個人病院があるっていっても待遇うんと落ちると思うのよ。だから、もったいないって稲田さんが説得したらしい。……不倫の果ての騒動なら、諭旨免職ってこともあり得るのに」
「諭旨免職って、自分で自発的に辞めなさいって諭すことですよね」と晴美は誰に言うでもなく呟いた。
「そう」
「そんな場合、相手の男はどうなるんですか?」
「そうね、まず、ならないわね、だって看護師の代わりはいるのよ、医者ってそうそうすぐには見つからないし、慰謝料を払えば終わりって感じね」
「医者じゃない場合は」と晴美は納得がいかなかった。
「ケースバイケースじゃないの?まあ、クビとまではいかなくても何らかの処分があるんじゃないの?降格とか」と秋津も改めて考えているのか、首を傾げながら答えた。
 佳代がウフフと笑いながら
「とにかく、平川さんだって時間が解決してくれるわよ、そのうちにケロッとしてまた次の恋愛をするんじゃないの?」と、言った。
 そうよ、そのとおり、と言いながら秋津は、それはそうと、というような顔をして晴美を見た。
 晴美は―来た来た、また、何か説教されるな―、といういやな予感がした。※27へ

(写真は、若葉色のフキノトウに合う赤いガラス花瓶)
(上記小説は、カテゴリー短編小説[茜雲]で連載中)

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2006年03月18日

港内に停泊している船


港内に停泊する船.jpg※25
 晴美は秋津と佳代のやりとりをドキドキしながら聞いていた。
「でも、それで」
「それが、今度7月の異動で新垣先生、沖縄へ帰ることになったらしいのよ。先生のご実家、沖縄で開業医しているらしくて…、そいで退職してお父さんと一緒にやっていくんですって」
「なら、新垣先生、平川さんと別れるっていうの?」
「そうなの、平川さんは2年間妻同然の生活をしていたっていうから、当然結婚を望んでいたんじゃないの?」
 秋津はお弁当の包みを開けることもせず、話に熱中していた。佳代と晴美は仕出しのお弁当をつつきながら聞いていた。
 秋津は突然声を潜めると、
「それに、彼女妊娠してたらしいの、それで、結婚をせまったらしいけど、先生、そんな気ないから、堕胎してくれって言ったらしいのよ」
「ええっ!それひどい」佳代と晴美は同時に声を発していた。
「それで泣く泣く彼女堕胎したって聞いたわ、それが2〜3日前の非番の日だったんじゃないの?昨日は休んでたようだから、……今日出勤した彼女を稲田さんが慰めていたんじゃないの?」
「じゃあ、上司も知っているのね」と佳代は憤りを隠せない様子で言った。
「そうね、でも独身どうしでしょう、お互い大人だし、プライバシーには誰も関わりたくないのよ、先生たちは多かれ少なかれ色恋沙汰は経験しておられるからね」

 晴美は目を丸くして聞き入っていた。晴美の知らない世界だった。
「えっ、そうなんですか?みごとにハッピーエンドってのはないんですか?」
 晴美は、新垣だって、サトミが好きなはず、と思ったのだ。
「私が知る限りまずなかったわね、ましてや平川さんは出が小さな農家であんまり裕福じゃないのよ、正看じゃないの、準看っていうのもネックじゃないの?」
 佳代と晴美は弁当を食べ終わった。何を食べたか分からないほど、衝撃的な話の内容だった。
 秋津は既に知っていたことなので咀嚼(そしゃく)されているのだろう、何も大したことではないの、病院ではよくあることだから、と何でもないように言った。
 しかし、顔は上気していたし、お弁当を食べるのを後回しにするほど、興奮していたのは間違いなかった。

 佳代に、お弁当早く食べたらと促され、秋津はやっと、子供のお下がりと思える小さなブリキ製のかわいいお弁当箱に詰めた、持参のお弁当を食べ始めた。※26へ

(写真は、曇り空の港内の片隅)
(上記小説は、カテゴリー短編小説[茜雲]で連載中)

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2006年03月16日

玄関外の花


玄関外の花.jpg※24
 休憩室は10畳の畳の部屋で、中央に四角いテーブルが置いてある。
 そのテーブルの角を挟んで、看護師主任の稲田が看護師のサトミをしきりになだめている様子だった。サトミは泣いていたのか首をうなだれたまま、顔をあげようとしなかった。
「あっ、おじゃましてます。私たち終わりましてので…、どうぞ」と稲田は立ち上がり、サトミにも「行きましょう」と促した。
「あら、いいですよ」と秋津は、佳代と晴美にも「ねえー」と言った。
 稲田は「すみませんねえ」と言いながら外へ出て行った。サトミはうなだれたまま、稲田の後を追った。
 ドアが閉まったのを確かめた秋津は、テーブルに座るより早く、佳代と晴美を引き寄せた。
「平川さんも可哀想だけど、最初からこうなることは分かっていたことよねえ」
「何かあったんですか?平川さん泣いてたようですけど」
「知らなかった?平川さん、内科の新垣先生と付き合っていたこと、新垣先生がこの病院へ来てからすぐだから、2年にはなるわね」
「平川さん超美人だからあり得る話ね」
 サトミは、スラリとしたスタイル、透き通るような白い肌、目は湖のように大きかったが決してどんぐり眼ではない。おでこが広く、アップの髪に白い看護帽がよく似合っていた。タレントの神田うのを少し寂しげにしたような人だった。
 晴美は、彼女が22歳で自分とは2歳しか違わないのに、あまりに美しすぎてしゃべるのに気後れし、話すのをはばかれていたほどだった。
 身長180センチ位あるかっこいい新垣先生とはお似合いなのでは、と晴美は思った。※25へ

(写真は、料理教室先生宅玄関にあった花。名前は分からないがかわいかったので写しました)
(上記小説は、カテゴリー短編小説[茜雲]で連載中)

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2006年03月14日

玄関飾り土間の飾り付け


料理教コ先生宅の玄関内.jpg※23
 6月の半ばになっていた。
 晴美は、佳代から引き継いだ仕事を、今では概ね1人でこなす事が出来るようになっていた。
 佳代は妊娠7ヶ月になっているのでお腹も目立つぐらいに大きくなっている。それにこの6月という気候も加わってか、とても気だるそうにため息ばかりついている。時々、出産、子育が不安になるのか、これ以上働く自信がないので退職するかもしれない、と弱音を吐いたりする。
 その度に、晴美と秋津は、辞めることはないよ私たち応援するから頑張って、と励ましているのだ。
 晴美、佳代、秋津は同じ係りとして、行動を共にしているので、職場では家族のようなものだった。晴美は、最近では、口うるさい秋津もお母さんみたいな人と思って上手につき合っている。
 自然と、昼食も3人一緒にすることになる。

 病院には、夜勤する看護師のための仮眠室の他、管理部門にも女性専用の休憩室が設置されている。
 晴美たち3人はいつも、1階にあるその休憩室で昼食を取り、その後そのまま、テレビを観たり、横になったりして、お昼休みを過ごすのである。
 その日、既に先客があった。※24へ

(写真は、料理教室の先生宅玄関内の飾り土間。ゼラニウムと松ぼっくり)
(上記小説は、カテゴリー短編小説[茜雲]で連載中)

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2006年03月12日

裸の街路樹


運動公園の周りの街路樹.jpg※22
 啓介は少しびっくりしていた。
「えっ、何だって?」
 目を見開いて、立ち上がった。手を腰に当て、口を斜めに尖らせて晴美をじっと見つめたが、顔をちょっと横に向けて目をそらした。
 不快感が現れていた。
 何より証拠に、別に引き止める言葉も言わず、ニコリともしなかった。
―この間教えたのは何だったんだ、最初から言えよー と思っているだろうなあと、晴美は申訳なさで一杯だった。

「そおっ、でもラケットは君にあげた物だから、持って帰っていいよ」と、啓介は差し出されたラケットを受け取ろうとしなかった。
「いえっ、する気ないのに、持っていても仕方ないし……もったいないから。どうもすみません、有難うございました」
 晴美はベンチの上にラケットを置いた。
「じゃあー私これで……、失礼します」
 両足を揃えて、晴美はいんぎんに頭を下げた。
「さよなら」と、啓介と田鶴子が期せずして同時に声を発した。
 晴美はこちらを覗っている矢部に、じゃあ、と軽く手を振ると、早足でコート場を後にした。
 遊んで行けばと、矢部ぐらいは言ってくれるかなあと思ったが、じゃあな、と言ったきりだった。
 ―何をがっかりしているのよ、当然のことじゃない、私はこのグループには、もともと何の関係もない人間だったのだからー と晴美は自分に言い聞かせ、気持ちをリセットさせた。
 晴れやかな気持ちが甦ってきた晴美は、もう啓介のことは何も気にするまいと、青空を見上げて深呼吸しながら誓ったのである。※23へ

(写真は、運動公園の周りの街路樹。秋には紅葉が美しいが今はまだ、寒々としている)
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2006年03月10日

樹木のオブジェ


樹木のオブジェ.jpg※21
「ねえ、蒲田さんてお子さんいらっしゃるんでしょう?」
「うん、男の子3人いるよ。6年生、4年生、2年生なんだって、3人とも剣道習っててね、とてもかわいいよ」
「お父さんが休み毎にテニスじゃ、家族孝行出来ないよね」
「おまえ、そんなよその家庭のこと、どうでもいいじゃないか。それに俺たち蒲田さんが来ないとメンバーが足りなくて困るよ」
「あ、ごめん、今ふっと思っただけなの」
 晴美は、田鶴子の存在で動揺している自分を悟られるのを避けるために、話題を変えたかっただけだった。蒲田の姿を見ていて、ホントにふと思ったことだった。

 試合が終ったのだろう。5人がベンチに戻ってきた。
「こんにちは」
 晴美は立ってお辞儀をした。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
 蒲田、慶子、麻美はにこやかに晴美を迎えた。
 啓介はけげんな面持ちの田鶴子に
「事務所に今年入った川口さん」と晴美に手を向けて紹介した。
 晴美には「栗山田鶴子さん、僕の友人」と紹介した。
「こんにちは」と、晴美はお辞儀しながら、田鶴子が自分のことをあまり歓迎していないというのを察知した。田鶴子の美しい顔が一瞬曇ったのを晴美は見逃さなかったのだ。
「こんにちは」と、形だけのあいさつをした田鶴子は、啓介に「しばらくやってなかったから、やっぱ駄目ね、ごめん」と言って、ベンチに座り、置いてある啓介のスポーツバッグからペットボトルを出して「ハイ」と差し出した。
「ありがとう」と言いながら、啓介はタオルで汗を拭き、田鶴子のいるベンチへ座った。2人が公然の仲というのを立証するものだった。
 蒲田と慶子はお手洗いにでも行くのか、コート場から出て病院の方へ立ち去っていく。麻美は自動販売機の前にいた。矢部はベンチに座り、ニヤニヤしながら晴美たちを覗っている。
 晴美は、一刻も早く、田鶴子が抱いていると思われる自分に対するカン違いを解きたかった。
 田鶴子に無視されたまま、そこに居るのもいたたまれない。
「あのぉ、東元さん、すみません」と晴美は啓介と田鶴子の所へ近づいていった。
「私、実はテニスやる気ありませんので、ラケットお返ししようと思って」とラケットを啓介に差し出した。※22へ

(写真は、運動公園の運動場の周りの樹木。枝が切り込まれているので、まるで動物のオブジェのようだった)
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2006年03月08日

運動公園の一隅


運動公園の一隅.jpg※20
 コート場に入る扉を開けて、矢部が座っているベンチへ、晴美は恐る恐る近づいていった。
「やあー」と矢部は手を揚げてにこやかに挨拶してくれた。
「おはよう」と晴美は言いながらベンチへ座り込んだ。
「なんだ、元気ないなあ、俺とペア組んで次やるかあ?俺が教えてやるよ」
「ううん、別にテニスしにきたんじゃないの」
「バカだなあ、見てるだけじゃつまんないぞぉ」
「ラケット、返しにきたの。返したらすぐ帰るから」
「へえーそっかー、……東元さんとペア組んでる人、気になるだろう。あの人東元さんの彼女、ていうか、フィアンセかな?」
 晴美はやっぱりと思った。それに、矢部が、晴美の啓介に対する思いを見透かしているような、言い方をするのが気になった。さらに、
「残念だったねえ、狙ってたんだろう?東元さんあのとおりルックスがいいから女性にもてるんだよねえ」と、晴美自身も開けたことの無い心の扉をこじ開けてくる。
「ルックスもだけど、優しいからでしょ?」
「そうかなあー、俺の方がうんと優しいと思うんだけどなあ、……どおー、俺と付き合わないか?」
「何言ってるの、それに狙ってなんかいません」
 晴美は軽く受け流しながら、矢部と啓介の違いをふっと頭の中で考えていた。
 ルックスが違うのはもちろんだが、確かに矢部だって優しくないことはない。晴美とは年齢も一緒ということもあり、最初から気を使わなくてよかった。会えば冗談ばかり言って笑わせてくれるし、男性を意識させない貴重な存在である。しかし、心からの優しさはない。今のようにデリカシーの無いことばも平気で吐く、子供っぽくて、自分よがりでむらのある優しさなのだ。

 女性たちは、男性の何気ない親切な行動や、身に付いた優しいことばやしぐさに、ハリネズミのように敏感なのだ。やっかいなことにそんな男性は、誰に対しても優しさが向けられるのである。
 啓介もご多分に漏れず、きっと誰にでも優しいのだろう。周りの女性が、彼の虜になるのは止むを得ないことだった。※21へ

(写真は、ウイークデーの静かな運動公園の池。若葉はまだまだだが空気が澄み切って綺麗だった)
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2006年03月06日

陶器のミニおひな様


陶器のミニおひな様.jpg※19
          ※
 土曜日の朝、晴美はいつも通り目が覚めた。
 学生時代から、休みの日となると、通常は、身体がリラックスモードに入り9時過ぎにならないと絶対目が覚めない。それなのに、時計を見るとまだ6時前だった。

 ―イヤだなあ、やはりラケットのことが気になって目が覚めたんだ、もったいない―
 と思い、晴美は再度目を瞑った。
 しかし、―ラケットを返すために、今日、もう1度テニスコートに行かなきゃ― という思いが頭をもたげて、もはや眠りにつくことは出来なかった。
 それでも9時頃まで、布団の中で目を瞑ったまま時間を費やした。いつもより時間が遅く流れる。ゆっくり、食事をし、外出する準備をしてもまだ10時だった。

 ラケットは、もちろん1度も振ることもなく、それどころか、ケースを開けることもなく玄関に置きっぱなしにされていた。
 母親から「このラケット、じゃまだから自分の部屋に持っていきなさい」と、しつこく言われていたのを、すぐ返す物だからと無視していた。
 啓介にさっさと返して、早くすっきりしたいと思った。
 ちょっと早すぎるとは思ったが、晴美は10時を過ぎると待ちきれずに、「このラケットを返しに行ってくるから」と母親に言い残して、家を飛び出した。

 休日の病院は、入院患者を見舞う客が時折訪ねてくるくらいでひっそり静まりかえっている。玄関前を通り過ぎ、裏側にあるコート場に着いた頃は5月とはいえ、太陽の光線は充分汗ばむ程の力強さだった。
 この紫外線の降り注ぐ中で、テニスなんか出来やしない、と晴美は改めて思った。
 コートでは、啓介、田鶴子のペアー、蒲田と慶子のペアーが麻美のジャッジの元でプレーをしていた。ベンチには矢部が1人ポツンと座っている。
 晴美は田鶴子の存在にすぐ気が付いた。初めて見る女性だった。病院関係の人ではない。花が咲いているようにそこだけ輝いて見えた。
−彼女こそ、啓介の恋人に違いないー と確信するものがあった。
 晴美は恐れていたものが現実になったことを悟った。
 身体からヘナヘナと力が抜けていくのを感じていた。※20へ

(写真は、団地内の奥様が自宅販売しておられるものを購入した、テレビの上に飾れる小さな物)
(上記小説は、カテゴリー短編小説[茜雲]で連載中)

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2006年03月04日

焼き物のミニおひな様


焼き物のおひな様.jpg※18
 啓介は、晴美を知って以来、時々想像することがある。
 もし、田鶴子と晴美に、同時に会っていたら、自分はいったいどっちを選ぶのだろうか?
 容姿は誰が見ても田鶴子の方が上だ。身長160センチ以上はあるだろう、ちょっと痩せ過ぎるきらいはあるが、坂下知里子似の美人である。
 一方、晴美は身長155センチ位で小柄なぽっちゃり型、若い頃の美空ひばり似、いわゆる啓介の実母の面影がある。
 性格はどうだろう?
 田鶴子は、情が深く面倒見が良いが、いつもキリキリと神経を尖らせている。その分、啓介にとっては気が休まることがない。
 今啓介が知っている範囲の晴美は、とても明るくて、側にいるだけで癒される雰囲気を持っている。それに若い女性にありがちな浮ついた所がなく、堅実で真面目な女性である。 啓介にとってはその分面白みがない。
 結局、心は晴美に惹かれながらも、積極的に迫ってくる田鶴子と付き合うことになるだろう。啓介は最後にはいつもそう結論づけるのだった。
 そして、これ以上、晴美とは親しくしてはいけないし、田鶴子を惑わせるようなことは避けなければならないと、自分に強く言い聞かせるのだった。※19へ

(写真は、団地内の奥さんが自宅販売しておられるものを購入したもの)
(上記小説は、カテゴリー短編小説[茜雲]で連載中)

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2006年03月02日

布で作ったミニおひな様


絹の布で作ったミニおひな様.jpg※17
        ※
 啓介は、今夜も田鶴子が部屋で待っているだろうと思った。田鶴子とはそういう仲だった。合鍵も渡してあるので自由に部屋へ出入りはしているが、2人の暗黙の了解で、いつの頃からか金曜日の夜だけを一緒に過ごすようになっていた。田鶴子は泊まっていくこともあるし、夜遅く帰ることもあった。
 田鶴子は書道教室を開いている母親と弟の3人暮らしである。父親は田鶴子が高校生の時に亡くなっているが、会社勤めをしていた父親の退職金と年金、生命保険等遺産が多額にあったため、家族はそれなりに暮らしをたてていた。
 啓介は田鶴子の家にも出入りをしていた。母親も啓介を気に入っていて全幅の信頼を寄せている。1日も早く2人が結婚することを望んでいるが口に出すことはなく、若い2人を温かく見守っているだけだった。
 啓介は、田鶴子が自分と結婚したがっていることも、母親もそれを望んでいることも分かっていた。いつかはそうすることになるだろうと思っている。むしろ、今の田鶴子との倦怠感を打破するのは、結婚するのが一番いいと考えていた。
 ただ、啓介には結婚資金がないのだ。月々給料天引きで預金しているが、それは微々たるものでまだまだである。夏冬のボーナスが頼りなのだが、それを預金に廻すことがなかなか出来なかった。籍だけ入れて田鶴子の家に曲がりする方法もあった。田鶴子の家は昔からの大きな持ち家なので、可能なことだった。しかし、それは啓介の母親が許さないだろう。

 啓介は、晴美に −明日、テニスの練習に来いよー と言ったが、田鶴子が、晴美の突然の出現をどういう風に感じるだろうかと、不安になる気持ちを禁じえなかった。田鶴子は人一倍嫉妬心の強いことを啓介はよく知っているからだった。※18へ

(写真は、友人から頂いた手作りおひな様。絹の布で出来ている。細かい作業に感心する作品)
(上記小説は、カテゴリー短編小説[茜雲]で連載中)

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2006年02月28日

2枚目のレース編み


2枚目レース編み.jpg※16
 晴美の業務の内容は、窓口での受付、受診票の整理、端末機への打ち込み、統計事務等多伎に渡っていたが、晴美は毎日充実していた。元々几帳面な性格の晴美には、その日その日に片付けていく仕事は合っているのだろう。受診者がどんなに多くても、時間さえあればいつかは片付く単純作業でもあったので、数が多いほど晴美には返って張り合いがあった。佳代が思っていた以上に晴美は、実にテキパキと仕事をこなした。

 啓介は時折事務室に入ってきては、中村や他の職員と雑談していたが、晴美とは目を合わせることはなかった。それ程晴美は忙しく、お手洗いに立つのも、もどかしい程だったのだ。
 花の金曜日、事務所の職員は三々五々帰宅していった。
 晴美は仕事のきりがつく所までと、1人残業していた。そこへ、ジャンパー姿の啓介が勢いよく部屋に入ってきた。
「まだ仕事?それにしても皆早いね、もう帰ったの。…川口さんもさっさと帰んなよ」
「ええ、もう帰りますから、どうぞ帰って下さい」
「じゃあお先に!…アッそうだ、明日、テニスの練習やってるから、出てきなよ」
「えっ、あ、ハイ」
 晴美は頭の中で ーテニス、やらないのでー と言っていたが声にはならなかった。啓介は、部屋をまた勢いよく出ていった。※17へ

(写真は、随筆の会の友人から頂いた2枚目のレース編み。鏡台に掛けるとちょっと涼しげな感じがするが部屋は一段と明るくなった)
(上記小説は、カテゴリー短編小説[茜雲]で連載中)

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2006年02月26日

川の中の鯉


川の中の鯉.jpg※15
 中村は「窓口の受付は大丈夫か」と佳代に念をおしながら、会議室に入ってきた。
「ええ、大丈夫です、秋津さんがちゃんとやってくれてますから」と佳代が応えた。
 秋津フサエは嘱託職員で56才という年齢にも関わらず、10年以上勤務している病院の主の様な存在だった。意地悪な姑のように振舞う秋津を、晴美は最初から苦手としていた。
 「そうか、じゃあさっそく始めよう」と中村は、佳代と晴美を前に対面側に座った。
「実は、藤田さんは妊娠6ヶ月なんだよ、遅かれ早かれ産休に入るんだ、そこでだ、藤田さんがやっている業務をこれからは全面的に川口さんにやってもらいたい。藤田さんが産休に入るまでに仕事を教えてもらって完全に覚えて下さい」
「ホントは1日も早く譲りたかったんだけど、いきなりじゃかわいそうだと思ってたの。川口さんならすぐ覚えられるよ。今までにも手伝ってもらっているし、川口さん、飲み込み早いもん」
 晴美は佳代が妊娠しているのではないかと薄々感じていたことだった。しかし、産休に入るまでは通常通り仕事をするものだとばかり思っていたのだ。
「ええ、それはいいのですが、藤田さんはそれでは毎日暇なんじゃないですか?」と晴美が言うと、
「それはいいのよ、雑用はたくさんあるし、私ちゃんとやるから。川口さん頑張ってね、私がいる間はちゃんとフォローするから心配しないで」と、佳代は肩の荷を降ろしたように、晴々としている。
 しばらく雑談をした後、
「それじゃ、そういうことでいいね、後は2人で引継ぎをやってくれたまえ」と言って、中村は会議室を出て行った。※16へ

(写真は、川で放し飼いにされている鯉の群れ)
(上記小説は、カテゴリー短編小説[茜雲]で連載中)

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2006年02月24日

椿盆栽展受賞者の作品


椿盆栽展受賞メの作品.jpg※14
 連休明けの5月6日朝、晴美は病院のだらだら坂を難なく歩くことが出来た。1ヶ月間、この坂を登る時に味わった憂鬱な気持ちがスーッと消えていた。
 事務所に入ると、係長の中村は既に机に座っていた。
 おはようございます、と言い終わらないうちに、晴美は「ちょっと」と、中村に手招きされた。
「何でしょうか」と晴美は中村の机の横に立った。
 中村は頬杖をついた手で眉毛をなでながら
「今日、仕事の配分をするから、9時半になったら藤田さんと一緒に、会議室で引継ぎをやろう」とおもむろに言った。
 キッチンコーナーでお茶の準備をしていた藤田佳代は、中村の言葉を聞きつけ、「よかったわ、私の仕事、全部川口さんに譲るわ」と言いながら、中村と晴美の所へ近づいてきた。
「えっ、何で全部?」と思わず晴美は聞き返した。佳代は「後でね、さあ先にお茶、出してしまいましょうよ」と言うと、微笑みながら再びキッチンコーナーに戻った。
 啓介が中村係長にちゃんと話してくれたんだ、と晴美は思った。
 いやだった朝のお茶出しも、今日は苦にならない晴美だった。やっと覚えた職員の湯呑茶碗をテキパキと机に配ってまわった。※15へ

(写真は、市民会館で開催されていた椿盆栽展で、新聞社賞に輝いていた作品)
(上記小説は、カテゴリー短編小説[茜雲]で連載中)

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