2006年08月20日

小説・喫茶店

25
 遙はその夜、茂と結ばれた。
 自分が思い描いていたことが現実になった。それは、肩の荷を降ろしたようにほっとしたことだった。
 しかし、この空しさはなぜだろう。
 2人が結ばれるということは、こんなにたんたんとしたことなの?
 お互いに抑え切れない欲情が高まり、溶け合うように1つになることだとばかり思っていたのに。
 遙は何度も「私のこと愛している?」と聞いたような気がする。
 ところが、茂の口から「愛している」ということばを聞くことは、最後までなかったのだ。
 それなのに、遙はますます茂のことを好きになっていた。そんな自分がいじらしくて、涙が出るほど切ない。
 遙はその夜、そんなブルーな気持ちを打ち消すように、最後まで思いっきり明るくふるまっていた。
 今1つ茂の心を掴みかねていたが、遙は、これから徐々に2人の仲は本物になり将来は結婚出来ると信じていた。26へ

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2006年08月18日

小説・喫茶店

24
 かわいい顔をして、相変わらず大きい声を出す女だ。
 茂はどうしてもこの大声に慣れることが出来ない。
「腹減ったね、何か食べようか」
 ホントは周りの目が気になっていた。直ぐにでもここを立ち去りたい気分だった。
 でも、場所を変えるのが、今日の茂はしんどかった。それに、お店にも悪い。今日は夕飯をここで済ませるしかなかった。
 遙は、茂が目の前にいてくれるだけで、しみじみ、幸せに感じていた。
 お腹が空いていることは確かなのだが、ちっとも食欲が沸かなかった。
 今夜こそ茂と結ばれたいとずっと願っている。
 その気持ちが重くのしかかり、気分が悪くなる程、胸がドキドキしていた。
 ホントは食事よりお酒が飲みたかった。
 そんなことはとうてい言えない。
「うん、小久保さんに任せる」と言うしかなかった。

 食事が済むと、出よう、と茂は先になりマロニエを出た。
「これからどうする?」
「この間のホテルへ行っていいよ」
 遙は、以外にすんなりと口に出すことが出来た。25へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)

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2006年08月16日

小説・喫茶店

23
 かれこれ1時間半以上待っていた。ウエートレスが何回お冷を注しにきたのだろう。
 遙の心は時間が経つに連れて穏やかでいられなくなっていた。6時を過ぎた頃、待ち切れず電話した。案の定電源が切られている。仕事中だと思った。仕事だということは疑う余地はない。でも、遙にはどうしても理解出来ないことがあった。遙が待っていると分かっているのに、連絡してこない、しかも遙から電話が来るかもしれないのに電源を切っている茂の無神経さだ。
 もし自分が逆の立場だったら、1度は連絡を入れるだろう。男と女では考え方が違うのだろうか。そんなはずはないわ。彼はやはり私にあまり関心がないのでは…。
 そんな不安が胸の中に渦を巻く。
 テーブルの上に文庫本を広げている。目は文字を追っているが、頭の中は茂の心をずっと推しはかっていた。時々、鬼のような形相になっている自分に気がつき、あわてて冷たいコーヒーを口に運んだ。気分を落ち着かせるためだ。
 腕時計を見ると7時を過ぎようとしていた。
 その時、カランカランとドアベルがなった。胸が張り裂けるほどドキドキした。
「ごめん、待たせて…」
 遙は、イライラがスーッと解消されていくのを感じた。
「ううん、お仕事お疲れ様」
 喜々とした遙の透る声に、周りの客はいっせいに2人に注目した。24へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)

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2006年08月14日

小説〔喫茶店〕

22
 俺はこんなに子供が好きだったか?
 改めて思う。
 そうではない。大人になってからは思い出すことはなかったのに、子供の頃のやり切れなかった寂しい気持ちが、翔太を見て、突然蘇ってきたのだ。
 茂の両親は、現在も紳士服の仕立て及び販売をしている。茂は子供の頃、3歳下の妹のめんどうを見ながら、両親が仕事を終えて帰って来るのを待っていたのだ。母屋とお店は別棟になっていた。
 急ぎの仕事が入ると、両親は夜遅くまで仕事をした。そんな日は、お惣菜を買ってきて、妹と2人で夕食をとることも度々あったのだ。
 それは、とても辛くて寂しい思い出だった。
 しかし、中学、高校生くらいになると、むしろなに1つ干渉されないのがとても有り難かった。
 その頃、友人たちが、親の干渉がうるさいと嘆いていたのを横で聞きながら、茂は、自分に全幅の信頼を寄せてくれている両親に、心から感謝していたのだ。
 そんな具合だったので、突然子供の頃の感傷が蘇り、翔太のことを放っておけない自分が、今ここにいることが驚きだった。
 俺、やはり子供の頃、寂しかったのだ。それを未だに忘れていなかったのだ。

「おい、翔太くん、ペットボトル空だろ?あそこの回収箱に入れてきな」
 翔太はぱっと目を覚ました。
「うん」と頷くと、走って捨てにいった。
「ママすぐに来るよ、俺一緒に待っててあげるよ」
 翔太は嬉しそうに頷いた。
「赤ちゃんいるんだろ?」
「うん、リョウちゃんだよ、藤川のオバちゃんの所に預けてるの」
「リョウっていうんだ」
「ううん、亮太」
「そう、翔太に亮太か、いい名前だね」と、茂は翔太の頭をなでながら、なかなか可愛い子供だと翔太の顔をつくづく眺めてしまった。
 眉毛がまっすぐ伸びて、1本1本の毛が曲なく行儀よく生えているのがとても凛々しい。目元がすっきりと涼しげなのは、みどりによく似ていた。それに夏なのに、ゆで卵をむいたように色が白かった。でも決して病的ではなく、清潔感が漂っているのが、男の目から見ても、なんと可愛らしい男の子なんだろう、と思えるのだ。
「赤ちゃん好きか?」
「うん、リョウちゃんが大きくなったら、サッカーやるんだ」と、ボールを蹴る真似をする。
 茂は、ふっと、俺もこんな子供が欲しいな、と思った。

「翔太ごめん、さあ帰ろう」と、言いながらみどりが階段から降りてきた。23へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)

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2006年08月12日

托鉢人形


托鉢人形.jpg21
 総務課は2階にある。
 ただいま、と言いながら部屋の中に入った茂を、「お疲れさま」とみどりが笑顔で迎えてくれた。
 総務課の中に、総務、管理、経理、振興という係りがある。総務から一番離れた奥のブロックにある経理係で、男子職員が3人残業していた。その3人が茂に気が付き「お疲れさん」と次々に声をかけてくれる。
 挨拶するのももどかしく、彼らにペコペコと頭を下げると、
「あの、保坂さん、息子さんロビーで待ちくたびれていましたよ。ここに呼んだらいいのに」と、詰め寄った。
 みどりは一瞬、困惑した様子をした。
「…他に仕事しておられる方がいるし、いいんです」
「いいじゃないですか、時間外だし」
「いいの、わたしの仕事ももうすぐ終るから。明日、県議会議員さん達が急に視察に来られるんですって、資料作りを係長に頼まれちゃったの。今日に限って夫が出張中なのよ、困ちゃって、保育園からここへ連れて来ちゃった。すみません、迷惑かけて」
「いや、迷惑じゃないけど」
 茂は、自分がいろいろ言うことで、またみどりの仕事の妨げになると思った。
 自分の仕事をさっとかたづけた。
 挨拶もそこそこに、茂はロビーへ駆け下りた。
 一刻も早く翔太の所へ行ってやりたかった。
 遙のことが頭に浮かんだ。
 遙は大人だ。待っててくれるだろう。翔太はまだ小さい。かわいそうだった。でも俺、こんなに子供好きか?
 翔太はリンゴジュースのペットボトルを持ったまま、こっくりこっくり船を漕いでいた。
 いじらしくて、愛おしかった。22へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、喜多院のみやげ品売り場で購入した人形。みやげ品を買うのが大好きです。安いと同じような物をいくつも買ってしまう)

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2006年08月10日

小僧さん人形


小僧さんの人形.jpg20
 現場を歩くことが多い茂は、公務員とはいっても帰宅時間はまちまちである。
 遙がマロニエで待っていることは分かっていた。
 しかし、茂は通常通りを崩す気持ちはない。
 事務所に戻ったのは6時を過ぎていた。茂はデスクで残務整理をするべき足早に駆け込んだ。茂のデスクがあるこの県のビルは1階は県民と直接触れる福祉や税務関係のフロアーになっている。この時間になるとカーテンが締められ、中で多少職員が残っていてもシーンと静まりかえっている。
 その1階ロビーのソファーに、5〜6才と思われる男の子が、足をブラブラさせて座っていた。
 茂は、あれっ、と思った。
「坊や、誰かを待ってるのか」と声をかけた。
「うん、ママ」
「ママはどこに?」
「ええーと、……あっち」と階段を指した。
「ママ、君がここに居ること、知っているの?」
「うん、ここで待ってろって言われたの」
 茂は、坊ちゃん刈りした元気そうなこの子供の顔に見覚えがあった。というより、総務課の保坂みどりの子供に違いないと思った。雰囲気がどことなくよく似ているのだ。
「名前は?」
「ほさかしょうた」
「しょうた君か…ジュース飲むか?」
「うん、…でもいい」
 茂は、親戚の子供は別として、本来、子供にあまり興味はない。自分から声をかけるなど考えられないことだった。誰もいないロビーだったこともあるが、何かほっとけないものがあったのだ。
 自動販売機からリンゴジュースを取り出すと、
「いいからこれ飲んで待ってろ。ママにちゃんと言っとくから心配すんな」と、翔太のかわいい手にジュースを渡した。
「ありがとう」
 翔太はペコンと頭を下げた。21へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、喜多院のみやげ品売り場で購入したもの。10cm足らずの小さなかわいい人形である)

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2006年08月08日

小説・喫茶店

19
 遙は自分が消極的な性格だとばかり思っていたが、茂に対しては、驚くほど積極的な行動をとっていることに、気が付いていた。
 あの日、まさかあんなに早々に誘われると思ってもいなかった。突然誘われ、何の心構えもなかった。いつもの癖で反射的に断ってしまったけれど、その後すぐ後悔した。
 それまでの遙は、たとえ断ったことを後悔したとしても、次に誘われるまで、決して自分からなど声をかけたことはなかったのである。
 それがあの時、2分もしないうちに彼を追いかけていた。かっこ悪かったが、断ったことを撤回した。そしてそのまま喫茶店へ行き食事をし、何もなかったがホテルまで行ってしまった。
 我ながら、あっぱれというほど、積極的な行動だった。
 ホントはわたし、消極的だなんて嘘だ。
 いや、人はせっぱつまれば、誰でも積極的に変わるんだ。

 これから先自分にどんな未来が待っているのか、ワクワクする一方で不安な気持ちも消せなかった。その夜、喫茶店マロニエで、遙は、早まる気持ちを抑えて、今か今かと、ドアを開けて茂が入ってくるのを待っていた。20へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)

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2006年08月06日

夏の田んぼ


夏の田んぼ.jpg18
 遙は六島で生まれ、高校まで地元で暮らした。ただ、大学は教師になるべく福岡の教育大学へ。4年間、親元を離れ都会暮しを経験し、再び六島に帰ってきた。
 父親は代々の船持ち漁業なのだが、一方では代々から市議会議員をしており、六島ではちょっとした名士である。 きょうだいは兄が1人いる。8歳上のその兄は福岡で教師をしていて、既に所帯を持っている。
 兄が福岡で就職した時から、「遙は六島で就職するんだよ」と、両親に言い続けられてきた。
 遙は、親の言いつけをきちんと守り、地元の小学校に就職した。
 母は、常々「好い人が出来たら、必ず家に連れて来るんだよ」と、言っている。
 両親も祖父母も、遙のことをたいへん可愛がり、ゆくゆくは跡取りにと思っているらしいのだ。
 遙は、それだけは納得出来ないでいた。

 子供の頃から、遙は、周りの大人に、別嬪さん別嬪さんと言われて育った。いつのまにか、自分でも容姿には自信を持つようになっていた。
 高校時代はけっこうラブレターももらった。
 悪い気はしなかったが、返事を書くのは、はしたないような気がして、いつも知らんぷりしていた。そのせいか、それ以上に発展することは1度もなかった。
 自分より目立たない友人に、男友達がいた。遙は自分になぜ男友達が出来ないのか、悩んだこともある。
 結局、消極的な態度が、返って高慢に見られたのかもしれない。
 大学時代にも、何回かデートはしても、気が付くといつの間にか消滅していた。
 全て、相手から言い寄られて、相手から去られるパターンだった。
 「君は喋らないと美人なのに」と、言われたこともある。
 自己紹介で名前を言っただけで、「あなた、出身は六島でしょう?」と、指摘された時はさすがにショックだった。六島独特のイントネーションのせいだ。このコンプレックスは、遙をいよいよ消極的にさせた。
 しかし、遙にとって、男の子が次々に自分の元を去って行ったことは、それほど落ち込むことではなかった。それは、彼らがそれほど好きな相手ではなかったからだった。

 しかし、茂に対しては、今まで男性に持った感情とは違っている。
 初めて、もっと親しくなりたい、と思った男性なのだ。
 茂の心が分からないのが、苦しくてたまらない。
 自分のことを、真剣に思ってくれているのか、遙には今一つ掴めないのだ。
 今までのように、また、茂の方から去っていくのでは…。
 不安な気持ちばかりが、どんどん広がっていった。19へ 

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、プールへ行く道路から撮ったもの。どこまでも続く稲の緑を見たら、なぜかホッとします。日本人はやはり米が原点です)

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2006年08月04日

横浜中華街


横浜中華街.jpg17
 茂に連絡が取れなかったのはたった1晩のことだったのに、遙にとっては長い長い時間だった。
 朝メールを開き、茂の名前が飛び込んで来た時、鉛のように重かった身体がスッコンと軽くなったのだ。
 もうこれからは意地など張らずに素直になろうと思った。
 なぜなら、連絡がとれないまま、一方的に待つことの苦しさは、何よりも耐えがたかったからだ。
 茂から誘われるのをじっと待っているより、自尊心がちょっと傷ついても、自分からどんどんアタックしよう。
 その方がうんと楽。
 そして、心身ともに恋人同士になろう。
 遙は一刻も早く茂に会って、そのことを実現したかった。
「夕方、マロニエで待ってる。必ず来て下さい」と、メールを打った。18へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は横浜中華街。埼玉旅行の帰りに横浜に寄り1泊。中華街でおいしい中華料理を食べました)

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2006年08月02日

菓子屋横丁


菓子屋横丁.jpg16
 遙に連絡をしなければと思いながら、茂はなかなか電話をする気になれないでいた。電話をすれば、必然的に会うことになるだろう。そのことが今はあまり気が進まなかったのだ。
 仕事が忙しかったせいもある。
 その週、日本海側の海岸に、韓国のものと思われる工業廃棄物が漂着していることが明らかになった。国土交通省、県、市、漁協等が連帯して事に当たることになる。
 現場に行くことはもちろん、報告業務、対策会議と昼間は仕事に追われ、それ以外のことは頭にない。
 当然、勤務も定時を越える。マンションに帰ると、シャワーを浴びて寝るだけの生活だった。
 そんなこともあり、茂はダンス教室のことも、すっかり忘れていた。ふっと思い出した時は、既に教室の開かれる火曜日が明け、水曜の朝だった。
 茂はその時、ダンス教室を止めよう、という気持ちが頭をもたげていた。当初の目的が、彼女を作るという不純なものだった。その目的も達成された今、いつまでも続ける必要はなかった。
 遙は、昨日、ダンス教室できっと俺を待っていたのではなかろうか。
 何の連絡も無しに休んだ俺のことを、心配したに違いない。
 急いでメールをチェックした。
 案の定、遙からのメールが3通入っていた。
「今、マロニエに居ます。連絡下さい」
「今日のダンス教室忘れていたの? 連絡下さい」」
「何時になってもいいです。電話下さい」
 最後のメールは午後11時だった。

 茂は、遙が自分のことを間違いなく思ってくれているのだということが分かり、ちょっと嬉しかった。
 時計を見ると8時前である。夏休みとはいえ、朝はやはり電話は、はばかられた。それに、茂自身もゆっくり話せる状況ではない。なにしろ朝は1分を争う大事な時間なのだ。

「昨日はごめん。仕事で1日忙しかった。帰ってバターンキューしたので、メール開かなかったんだ。また連絡する」
 と、取り敢えずメールを打っておいた。17へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、川越にある菓子屋横丁。想像していたより小じんまりした10数軒の通りだった。昭和初期には70余軒が連なっていたという。今では本来の問屋街ではなく、歴史を残す観光地として、観光客相手の商いをしているもの)

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2006年07月31日

蔵造りの家


蔵造りの家.jpg15
 努めて明るく楽しげに振舞っている遙だったが、実は、彼女の心は空しかったのである。
 ホテル代5,200円を自分が払ったことなのか、茂がそれに対して当たり前のような態度だったからなのか、それとも、茂がソファーで居眠りしたことなのか、初めてのキスが、思っていたのと違って全く味気なかったことなのか。
 どれもむかついているようで、そんなことはみな許せるようで……。
 しかし、何か胸につかえていて、その何かがあまりよく分からなかった。
 
 それから1週間、遙は茂に自分から連絡する気が起こらなかった。きっと、茂から電話があると思ったこともある。それに最悪、1週間すれば、ダンス教室で会うことが出来るという安心感があった。
 しかし、一向に茂から連絡は入らなかったし、待ちに待ったダンス教室に茂は現われなかった。
 遙は、とたんに気が気ではなくなった。
 ダンス教室を終えると、マロニエに直行した。もしかしたら会えるかもしれない、と思ったからだ。
 30分待っても現れる様子がない。そうなると、どんどん不安に陥っていく。電話してみる。電源が切られている。メールを入れる。
 もっと早く連絡しておけばよかった、と後悔したが後の祭りだった。その日はとうとうメールの返事は来なかったのである。
 遙のストレスはどんどん膨れ上がった。茂の存在は、既に自分になくてはならないものだと、認識せざるをえなかった。一刻も早く茂に会いたいと思った。16へ

(写真は小江戸川越の蔵造りの家。道路がアスファルトでなかったら、江戸時代にタイムスリップしたような町並みだった)

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2006年07月29日

孔雀の剥製


孔雀の剥製.jpg14
 遙は、スゴイ、スゴイといちいち喚声をあげながら、点検するようにあちこち歩き回っている。
 茂は、ソファーに座り、一服しながらテレビでナイターを見ていた。巨人、広島戦をやっている。試合を一生懸命観ようとするが、目は画面を追っているのに、気持ちが集中出来ないのだ。何もこんな所まで来てナイターを観る必要はないだろう。そう思うからなのか。
 教師をしている遙が、まるで少女みたいにはしゃいでいる姿は、何とも異様だった。それにいちいちスゴイ、スゴイと喚声を上げる声が、大き過ぎた。茂には、遙のこの大きな声が、気に触って仕方ないのだ。その度に、ふっと嫌悪感が走るのを感じていた。
 そのうちに茂はまどろんでいた。

「ねえ、コーヒー入れたよ。飲まない?」
 いつの間にか、遙がコーヒーを沸かしていた。
「俺、寝てた?」
「うん、10分くらい、疲れてるのね」
 コーヒー豆独特の香ばしい香りが部屋に漂っている。遙が茂の側に寄り添っている。テーブルの上には、モノトーンの品のいいコーヒーカップが2個、湯気を上げている。
「ありがとう。頂くよ」
 茂は、これはなかなか気が利いている、と思った。
 思わず遙の肩に手を廻し、引き寄せた。感謝の表現だ。2人は身体を寄せ合ったままコーヒーを飲んだ。
「そろそろ帰ろうか」茂はいいムードを振り払うように言った。時計は10時を廻っていた。
「そうね、ごめんね、我がまま言って」
「ううん、いいよ。また今度ね」
 茂は、ごく自然に遙の唇に自分の唇を合わせた。せめてこれくらいはエチケットだろう、と考えたのだ。遙も何の抵抗もせず、目を閉じて応じた。あっという間に、エチケット儀式は終った。キスをしたのに、それ以上何の感情も沸かないのが茂には不思議だった。

 茂が眠っている間に、自動精算機もちゃんとチェックしていた遙は「わたし、料金払うね」と言うと、手早く、玄関にある精算機の前に行き、お金を支払った。お金は私が出すから、という約束を果たしたのだ。
 茂は、この娘はちゃんと気配りも出来るんだ、と思った。そして、自分が、遙のことをあらゆる角度からチェックしているのに気がついていた。
 遙に少しだけ申訳ないと思った。15へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、川越の、食事処の床の間にあった孔雀の剥製。頭が小さいのにちょっとびっくり)

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2006年07月27日

喜多院に飾られている大きな壷


喜多院に飾られていた壷.jpg13
 ゲートをくぐるとそこには、別荘地にあるようなしょうしゃなコテージが外灯と共に奥の方へと連なって並んでいた。別荘地と違ったのは、その建物が整然としかもナンバー通りに並んでいることだ。
 1戸ごとに車庫がありポーチがあった。ポーチには植木鉢なども飾られている。隣のコテージとの間には高い塀があり、完全にプライバシーは守られていた。
 「ここ、普通のお家とちっとも変わらないね」と遙は喜々として言う。まるで我が家へ帰った時のように、先になり玄関の鍵を開けた。
 茂は男として戸惑っていた。普通、こんな所へ来るからには2人の気持ちは高揚しているはずだ。玄関を入るなり抱きしめてキスをするのが、セオリーかもしれない。女性に対するエチケットだろう。
 しかし、遙はまるでモデルハウスを見学するかのようにはしゃいでいる。これは、物件を案内する不動産屋と客のようだ、と茂は思った。これなら誰だってそんな気にならない。茂は、やれやれ、好きなようにすればいい、と成り行きに任せるしかなかった。それに、何もしないという約束も忘れてはいない。

 中の作りも普通の家となんら変わらなかった。玄関には下駄箱があり、活花が飾ってある。さらに廊下があり居間、キッチン、バス、トイレがある。居間にはテーブル、ソファーがあり、洋服収納庫、もちろん大きな液晶テレビがある。そのテレビにはカラオケの機能がついており、マイクと歌詞の本が添えてある。
 ただ、サイドテーブルの上に、表紙に《お2人の記念すべき日に心に残ることを書き残しては如何ですか?》と書かれた綺麗なノートが鉛筆と共にそっと置かれているのは、やはりラブホテルならではのことだ。
 キッチンには、飲み物が入った冷蔵庫、電子レンジ、インスタント食品、レトルト食品が並べられた食器棚が備え付けられている。コーヒー豆がセットしてあるコーヒーメーカーが、これはサービスですよ、とこれ見よがしに置いてあるのが、いかにもビジネスライクだった。
 バスルームはさすがに広い。それに、ムーディーな照明にスイッチ1つで切り替えられる。真っ白いバスローブが2枚掛けてあり、洗面用具もきっちり揃っている。
 バスルームと他の部屋とのしきりが、ガラス張りで、外からバッチリ見えるようになっているのは、そうかこれがラブホテルなのだ、と思わせることだった。
 中に入るまでは気が付かなかったが、このコテージは2階建てになっていた。
 階段を上るとデーンと広い寝室が飛び込んでくる。キングサイズの、フワフワの楕円形ベッドは、電動式になっている。寝室の色彩は全部白と黒のモノトーンで統一されて、落ち着いているように見えるが、気がつくと周りの壁と、何と天井までもが鏡だった。14へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、喜多院に飾られていた壷。喜多院は家光が江戸城を移築したとされる建物)



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2006年07月25日

ゴルフ場


ゴルフ場.jpg12
 すぐにでもUターンしてその場を離れるのかと思ったのだが、遙はなかなか車を動かそうとしない。
「どうしたの?車Uターンさせて」
「…ええ、…あのォ、お願いがあるの。わたし、この中に入ってみたい。だから何もしないって約束してくれる?ううん、約束してほしいの」
「えっ!どういうこと?」
 いったい、この女は何を言い出すのだろう。しかもこんな所で車を止めたままで。他に客が来ないとも限らない。防犯カメラの映像がホテルの事務所では廻っているだろう。
「だから社会勉強よ、いいでしょ?」とあっけらかんと言う。
「ダメ、入るだけで料金はかかるんだ」と、茂は少しいらだっていた。
「料金なら私が出すから、ね、いいでしょ」となおも言う。
 茂は、もうどうでもいいや、と思った。
「じゃあ、窓を開けて電光表示板の空き室のc{タンを押して」と、助手席に座ったまま、遙にテキパキと指図した。
 茂にとっても、所在は知っていたが初めての所だ。手探り状態だが、場所が場所だけに、モタモタしているわけにはいかなかった。内心ドキドキしていたが、ラブホテルのシステムは概ねどこも同じような物だと思ったのだ。
 遙は言われるままに、いくつか空室の表示があった中で、bVのボタンを押した。コトンと音がしてキーが出てきた。13へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、川越の国道下に広がっていたゴルフ場。グリーがあまりにも美しかったので撮ったもの)

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2006年07月23日

高層ビル


高層ビル.jpg11
 茂は六島に赴任して半年にもならないが、仕事柄島内は概ね把握していた。
 西海国立公園の1角を成す六島は海と山のコラボレーションの美しい所だ。特に湾に面する海岸は、沖縄に勝るとも劣らないきれいなベージュ色の砂浜があり、夏は海水浴に最適なのだ。良好な釣り場も点在しており、釣り客も全国から訪れている。
 島の内部には火山で出来たなだらかな芝生の山もある。
 しかし、大自然に恵まれたこの地にも奥まった所へ行くと、ラブホテルはあった。
 茂は、環境保護という立場で、何処にどういうラブホテルがあるか、よく分かっていた。
 茂が遙の車を向かわせた所は、海岸通りを過ぎて奥まった山の中にあった。
 そこはまるで小さなお伽の国のようだった。入口にゲートがありそこだけは電光表示板が派手に点滅しているので、そこがラブホテルだということは1目で分かった。
 遙は、ハンドルを握りしめ、何これ、私こんなつもりで来たのではないから、と驚いたように言った。まんざら、演技でもないようだ。ホントにドギマギしている。こんな所にラブホテルがあると、普通は分からないのが当然だった。昼間は電光表示板もつい見逃してしまうだろう。
「わたし、ここにホテルがあるなんて知らなかったから」
「そう、じゃあ、何処に行くと思ったの?」
「…そ、それは…どこか海にでも行くのかと…」
 茂は、何だそうだったのかと、ある意味ほっとした。
「ごめん、それならこれから海へ行く?」とあっさり引き下がった。茂にとって異存はなかったのだ。自分が今ベストコンディションでもないことは分かっている。飲めないビールを飲んだことで今になって眠くてたまらないのだ。12へ

(写真は、さいたま新都心のビル群。浦和と大宮の中程に位置するローカル的なこの地に、一際、高層ビルが突出しているので、箱庭のように馴染んでいない気がした)

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2006年07月21日

天海僧正の銅像


天海僧正の銅像.jpg10
 マロニエの駐車場で車に乗り込むと、茂は遙に、マンションまで送ってくれるように頼んだ。肩を抱いて駐車場へ来る間に、2人の心はますます接近していた。このまま最後まで行ってしまおうかと考えないこともなかった。が、やはりそれは気が引けた。あまりにも早すぎる。ものには順序があるのだ。茂は今夜のところはこのまま帰ろうと、きっぱりと心に決めた。
 ところが、またまた予期せぬ事態が起きたのである。

「ねえ、まだ9時前だよ…」と遙が、甘えた声で茂にせまってきたのだ。びっくりした茂は ―マジかよ― という気持ちで遙を見つめた。すると、遙は身をくねらせて上目使いでじっと茂を見つめ返してくるのだ。
「えっ!……じゃあこれからどこか静かな所へ行く?」
「……」
 遙は小首を傾げ、下唇で上唇を噛みしめながら、潤んだ眼で笑いかける。
―なんだ、この女、何を考えているんだ?とんだ食わせ者かもしれないぞ― と茂は一瞬ひるんだ。しかし、面倒臭くなくていいや、とすぐ思い直したのである。
 茂は何もなかった顔で、海岸通りに向かって、と遙に指図した。そしてギアを入れる遙の左手の上に自分の右手を軽く載せた。11へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、喜多院にある天台宗の名僧天海の銅像。ゆかりの地全国至る所で見ることが出来る天海像。徳川家康の顧問的存在だったと言われ108歳の長寿だったことから、いろいろな伝説が残っている)

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2006年07月19日

ガラスのオブジェ


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 用事があるといいながら、結局その日、遙はマロニエでコーヒーを飲み、ある程度時間が過ぎても帰るとは言わなかった。
 「俺たちこれから付き合おう、落ち合う場所をここに決めるよ、いい?」と、茂はおもむろに遙に確かめた。遙は「うん」と大きく頷いただけだったが、はにかんだ笑みは喜びに溢れていた。
 茂には分かっていた。遙はもう十分自分に好意を持っている。遅かれ早かれ男女の関係になることを、茂自身も望んでいることだった。とはいえ、こんなにスムーズに行くと、かえって引いてしまうところもあったのだ。
 しかし、この女性と付き合うと決めた以上、最初に自分の意思を伝えるのが、女性と付き合う時の、茂の流儀だった。そして女性と落ち合う喫茶店を決めるのも茂の流儀だった。

「そろそろ帰ろうか」と茂は遙を促した。「ええ、…でもお腹すかない?」と、さも帰りたくなさそうにする。
 そんな彼女を邪険に帰すことも出来ない。
 デートの1日目から夜遅くまで女性を連れ回すのは本意ではなかった。先立つお金もない。茂の月給では、1月もたせるのがやっとで、度々飲み屋等に行き、散財することは許されないのだ。
 茂は、付けが利く飲み屋に行くしかなかった。
 そこで茂は中瓶のビールを1本飲んだ。もともとお酒はあまり強くない。コップ1杯で真っ赤になった。遙は車の運転をするため、もっぱら食べるだけで、お酒は1口も飲まなかった。にもかかわらず、小料理屋を出ると、まるで酔っているように、馴れ馴れしく茂に寄り添ってきた。茂は流れに従い自然に遙のしなだれた肩を抱いた。10へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、さいたま新都心のホテルロビーに飾ってあったもの)

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2006年07月17日

透明な椅子


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 喫茶店マロニエは飲み屋街の入口にある。
 茂がこの六島に赴任してきてすぐにしたことは、自分の好みに合った喫茶店を探すことだった。
 仕事柄、公用車を自分で運転して現場へ出向くことが多い。込み入った仕事が終ったりすると、どうしても、一服したいのだ。そのためには、行きつけの喫茶店が必要だった。
 コーヒーが美味しくて、駐車場がなければならない。マロニエは概ね茂の望みにかなっていた。
 ウエートレスが無愛想な所も気に入っている。妙に馴れ馴れしくされるのは、苦手なのだ。かえって居心地を悪くする。喫茶店は、気持ちをリセットさせ、さらに気持ちをリフレッシュさせる所だと、茂はかたくなに信じていた。 そのためには、ほのかな明かりでよい。何より静かで落ち着けることが第一なのだ。
 そこに、女性を同伴することは、既に彼女と決めた時に限った。
 
 後をついて来ていた遙が、わたし車で来ているんだけど、と茂の背中に向かって呼びかけた。
 「ああそう、じゃあ君の車に乗せてもらおうかな」茂は振り返ってそう言った。
「わたし車取ってきますからここで待ってて」と言うと、遙は、顔を上げていつもの快活さを取り戻していた。そして、勢いよくダンス教室の駐車場へ引き返した。
 間もなく、赤い軽自動車に乗って、茂の元へ帰ってきた。
「運転、俺替わるよ。その方が行く先を口で説明するより早いから」と、遙を助手席へ移らせ、茂がハンドルを握った。
 この日から、遙のこの赤い軽自動車ホンダライフが、2人のデートの足になったのである。9へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、埼玉新都心のホテル内レストラン入口にあった涼しげな椅子)

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2006年07月14日

五百羅漢


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 茂と遙が、彼氏彼女として付き合うのに、さして時間はかからなかった。
 若い男女が、同じ目的を持って出会った場合、相手がどうしても好きになれない容姿でない限り、だいたい最初のつかみはうまくいくだろう。
 ましてや、ダンスという媒体があるのだ。
 茂はワルツ、タンゴ、ルンバ、サンバ、チャチャチャ等、一通りのステップをこなした。
 インストラクターから、2〜3時間マンツーマンで指導を受けた遙は、瞬く間にある程度のステップを踏めるようになった。
 それからというものは、茂とペアを組むことにより、さながら手取り足取り教わることが出来、めきめき上達していったのである。
 
 ダンス教室で遙に初めて出会った時、茂は、まあこの子なら彼女にしてもいいか、と及第点を出していた。しかし、初回は挨拶をしただけで終った。2回目は自己紹介だけで止めておいた。3回目で初めてペアを組んだ。遙は身長もあり、スタイルもいい。ダンスの勘もなかなかだった。
 遙自身も、ダンスが上達する毎に、身体全体を上気させ、心から楽しんでいる風だった。
 3回目のその日、茂はおもむろに「終ったら、コーヒー飲みに行かないか?」と遙を誘った。「…今日は用事があるから」と以外にもあっさり言う。
 何、俺を断るの!と内心穏やかでない茂だったが、「そう、じゃあまた今度…」と何食わぬ顔で引き下がった。

 ダンス教室を出た茂は、胸のポケットからタバコを出すと、空に向かって大きく一服ふかした。こういうこともあるさ、と思ったのもつかの間、何と、そこへ、遙が息を弾ませながら追いかけてきたのだ。
「あのー、ちょっとだけならお付き合い出来るので…」と言う。
 ―何をかっこつけているんだ。別に用事なんてないんだろう?― と茂はすぐ察しがついた。―しかし、まあ教師なんて、そんなものだろう― 茂は、目を丸くして、遙をマジマジと見つめた。
「いいの?じゃあちょっとだけ行こうか」と、ズボンのポケットに左手をつっこみ、右手でタバコを吸いながら、早足で喫茶店のある飲み屋街へと歩いていった。
 遙は照れくさそうに、真っ赤にした顔をうつむき加減に、茂の後をついていった。8へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、川越、喜多院の境内にある石像。全部で538体あり、夫々が人間味あふれる表情をしている)

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2006年07月12日

爬虫類のオブジェ


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 遊びに関することは、出来ないものはないと自負している茂である。特にダンスは大学時代にダンス愛好会に所属し、暇があればホールで踊っていた。彼女との出会いは殆んどこのダンスを通じてのことである。
 しかし、大学を卒業すると同時にダンス熱も冷めていった。その頃から、マージャン、囲碁、将棋、ビリヤード等に目が行き、全てにおいて熱中した。それらはある水準までは上達している。
 本土勤務の時は、仕事帰りに1人でぶらりとマージャンクラブに立ち寄ることもしばしばだった。負けることは殆んどなかった。マージャンは今でも本土に帰ると、必ずクラブに顔を出している。今ではマイナーな遊びだが、愛好家の間では根強く浸透しているのだ。
 
 茂は、単独行動が好きな、けっこう人見知りするタイプの男性なのだ。
 そんな茂が久しぶりにダンスをしようと試みたのは、やはり、女性の肌が恋しくなったからに他ならなかった。なぜなら、付き合う女性を見つけるには、ダンス教室に行けばほぼ間違いないと、茂は自信を持っていたからである。7へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)
(写真は、さいたま新都心で見た、大トカゲらしきブリキのオブジェ。何の意味があるのか分からなかったが)
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