2006年07月05日

小説〔喫茶店〕

5
 受付には髪をきりっとポニーテールにした、いかにもインストラクターと分かるコスチュームの女性が座っていた。
「いらっしゃいませ」と、言いながら、初めての方みたいですけど今日は何か…?というように、目で遙に語りかけた。
「あのおー、今日は見学だけしたいのですけど…」
「ああー、ハイ、分かりました。どうぞ中に長椅子がありますので。それからこれご案内のパンフレットです」と、冊子になったパンフレットを差し出した。
 ガラス戸のドアを開けて部屋に入ると、思ったより広くて明るかった。
 色とりどりのコスチュームで既にステップを練習している人々を見て、遙は愕然とした。
 男女とも中高年ばかりだったのだ。場違いの所に来てしまった、一時も早くこの場を立ち去りたかった。が、今来て直ぐに変えるというのは、やはり気が引ける。しばらく彼らのステップを見るともなしに見ていると、若い人も中にチラホラと居るのが分かってきた。
 なんだ、若い人もいるんだ、ちょっとほっとしながら、さらに1組のペアに目が行った瞬間、遙はそのペアに釘付けになった。
 中年の女性と軽やかにワルツを踊っているその男性が、どう見ても20代にしか見えない背の高いステキな男性だったのだ。
 この六島全体を探しても居そうにもない都会的な男性。しかも、遠目からは俳優の風間トオルをほうふつとさせるような面差しなのである。もともとこの六島に若い男性はめったにいないのに、この中高年の中に溶け込んでいる事態が不思議な光景だった。
 
 もらったパンフレットを慌てて開いて、教師一覧をチェックした。教師ではない。だとすれば、生徒か客に違いなかった。
 再びパンフレットに目を通した。入会金5千円、レッスンはチケット制とある。
 やはり入会の手続きをしようと、遙は思った。6へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)

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2006年07月03日

田植え


小学生の田植え.jpg4
 茂が遙と出会ったのは、この夏である。

 仕事には何も不満はなかったが、仕事を終えると何もない離島は退屈すぎる。
 そんな時、偶然ダンス教室の看板を目にしたのである。

大学時代から彼女がいることが当たり前だった茂は、六島に赴任すると決って、それまで付き合っていた彼女とはきっぱり別れた。女性と付き合う時は、必ず別れることを前提に考える。常に長居は無用と思っているのだ。一生を共にしたい、という女性に巡り合っていないせいかもしれない。
 今までに付き合った女性の中には、美人で、家柄、職業も文句のつけようがない女性もいた。その女性は結婚を望んだし、茂も彼女を愛していた。しかし、結婚しよう、とは思わないのだ。時々、自分は結婚にはむかないのかなあ、と思ったりしたが、決して、独身主義というのでもない。
 26歳の茂はそんな自分を、まだまだ俺は若い、自由でいたいだけのことだ、と認識していた。

 遙は大学を出てすぐ教師になり2年、小学校4年生の担任をしている。やんちゃ盛りの子供たちとの生活は緊張の連続なのだ。唯一その緊張から、身も心も開放されるのは夏休みくらいだろう。
 やっと夏休みになったある日、遙はアバンチュールを求めて六島に1軒あるダンス教室の扉を思い切ってたたいたのである。5へ

(写真は、プールの帰りに見かけた小学生の田植え風景)
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2006年07月01日

小説〔喫茶店〕

3
 茂の住まいは、職場から10分もかからない所のマンションである。しかし、その日も真直ぐ帰らず、繁華街に向かった。裏通りに入る。飲み屋街の1隅にあるマロニエという小さな喫茶店のドアを迷わず開けた。カランカランとドアベルが鳴る。コーヒーの香りがプーンと鼻をつく。中にいる客が必ずドアの方を見る。茂はこの視線になかなか慣れない。
 カウンターとテーブルが6卓あり、内2卓は奥の1段下がった場所にある。そこは入口から直ぐに目に付くことはないが、茂は真直ぐそこに向かった。
 ウエートレスが茂の背中で「いらっしゃいませ」と、紋切り型に声をかけた。
 薄暗い照明の下で、山路遙は熱心に文庫本を読んでいた。テーブルの上のコーヒーはすっかり冷めていて半分も残っていない。
「ごめん、遅くなって」
「ううん、忙しいんでしょう」相変わらず声高に話す女だと、茂はちょっとひいた。
「うん、ちょっと今忙しい」もともと、低音な茂だが、暗に遙に、己の声高を悟らせるため、ますます声を潜めて言った。
「何になさいますか?」いつの間にきたのかさっきのウエートレスが、紋切り型に注文を取る。
「どうする?」茂は、遙の方を見た。遙は、茂が諭したのはやはり分かっていなかった。声のボリュームを下げるでもなく、「どうするって?」と図りかねるように聞き返した。
「いや、もう7時だろう、食事の方がいいかと」と、時計を見た。
「そうねえ、でもオムライスかカレーでしょ?」
「パスタもありますけど」横から、ウエートレスが声を挟んだ。
「すいません、ちょっとだけ待って下さい」と茂はいったん注文を断った。
「じゃあお決まりになりましたら、そこのベルを押して下さい」と言って、ウエートレスはそそくさとそこを立ち去った。 4へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)

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2006年06月29日

小説〔喫茶店〕

2
 茂の事務所内での立場は、全く組織外のよそ者で、家庭に置き換えれば下宿人である。ただ、席を同じくするものとして、親睦会だけには、仲間に入れてもらっていた。
 茂のデスクは、事務所ビルの2階、管理部総務課の端っこにある。
その日、2時間ほど残業をした後、茂は帰ろうと席をたった。
 所内には通常2課20名ほどが働いているが、退所時間が過ぎているその時刻、4〜5人がもくもくと残業をしているだけである。
「お先に失礼します」と茂は、大声で挨拶をした。
 いっせいに、顔があがり、「お疲れ様」と返事が返ってきた。
 その中に、総務課の保坂みどりがいた。茂と同じブロックのデスクなのに、全く気付かなかったのは、その席が斜向かいのせいだった。
「おや、今日は残業?」
「ええー、ずっと産休だったでしょう、仕事の勘がなかなか戻らなくて…、手間取ってるのよ。もう少ししたら帰ります」
「そう、お子さん、待ってるんじゃ?」
「いえ、今日は主人に頼んであるから」
「…じゃあ、僕、失礼します」
「さようなら」

 保坂みどり29歳。6歳と生まれたばかりの男児2人の母親である。2歳年上の夫は同じ島内にある県の事務所に勤めている。
 茂は、今までみどりと個人的に話したことは殆んどなかった。これが、初めての会話だったかもしれない。 
 みどりは昨年4月に本土から異動してきており、六島勤務は2年目になる。しかし実際は着任早々産休に入りその後は育児休暇を取った。そして今年7月に復職したばかりだった。茂が六島に赴任してきた時、みどりはちょうど育休中だった。そのため、彼女と会ったのはみどりが復職後のことだった。
 茂にとっては、みどりのことは全く知らない人だった。当然みどりにとっても茂の存在は分からないことだった。
ただ、茂が赴任してすぐ職員間を挨拶に廻った時、おせっかいな職員が、「ここにはもう1人女子職員がいるんだけど、育休中なんだよ。全く困るよ、オバちゃんは」と、耳打ちしてくれていた。てっきりオバちゃんだと思っていた茂は、遙を初めて見た時少し驚いた。「何だ、まだ若いじゃん。それにまあまあ美人だ」と内心ちょっとワクワクしたことも事実だった。3へ

(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載中)

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2006年06月27日

小説〔喫茶店〕

 bP
  小久保茂、26歳は、この日本の西の果てにある離島暮しに何の不足もなかった。
 青い空と青い海、それに緑の山と草原が仕事の相手で、身分はれっきとした国家公務員、環境省の技師である。
 西海国立公園の一部に位置するこの六島に赴任してやっと4ヵ月を終えた。職員は立った1人であるが、県の地方事務所にデスク1個で駐留している。席は本土にある九州地方環境事務所にあるので、逐一指令はそこから来るようになっている。 業務は国立公園の維持管理、その他公園内の情報収集、調査、相談等、全てを網羅したものである。
 上司は海の向こうで、顔を合わせることはめったにない。その代わり、地元の関係組合等とは常に密着した関係にある。
 たいへんなこともあるが、自然相手の自由な仕事であることは、茂にとってはこの上もない幸せなことであろう。
 問題がない時は、決った調査をして報告するだけの場合もある。パソコンのオンライン化で報告等のデスク上の仕事は、何ということはない。
 しかし、この六島は市町村合併で新生むしま市として1つになったことにより、県や市の組織改正が大幅に変わった。それに伴い茂もこのところデスクワークにおわれて忙しかった。bQへ
 
(上記小説は、カテゴリー短編小説〔喫茶店〕で連載します)

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