2016年11月14日

海外ドラマ“戦争と平和”

 2015年 イギリス作品  原作トルストイ
 キャスト
 ピエール――ポール・ダノ  アンドレイ――ジェームズ・ノートン  ナターシャ――リリー・ジェームズ

 あまりにも有名な原作、私は世界文学全集をストックしていた時代もあり、読んでいたとばかり思っていたが、どうしても筋を思い出せない。登場人物何と500人以上いるとのこと、しかもロシア名やフランス名、きっと途中でとん挫して読むのを諦めたのかもしれない。で、このドラマを知った時、待ってました、という喜びで全8回を観た。

 19C初頭、ナポレオン戦争下のロシアの貴族社会での若者たちの愛と葛藤の物語である。
 主人公ピエール、親友アンドレイ、美少女ナターシャは、フランスとの戦争に夫々の形で巻き込まれ、それまでの平和な生活は一変、人生を翻弄された。
 ピエールは過酷な捕虜になりながらも運よく生き残る。
 帰還した時、自分がすっかり浄化されているのに気付き、清々しささえ感じるのであった。
 「戦争と平和」は戦争の悲劇ばかりでなく、そこで培われる人間の強さ、逞しさ、優しさの発見だった。
 主人公ピエールは、トルストイの分身だと言われる。
 戦前は、貴族社会でぬくぬくと暮らす御曹司のピエール、過酷な戦争を体験しながら帰還した時、彼は成長し、すっかり人生観を変えていた。
 結果、彼は最高のハッピーを得ることが出来たのだ。
 私の感想だが、トルストイは、戦争は悲劇と言いながらも、その後の平和は、戦争のお陰という気持ちが見えるのに疑問を持った。それはあくまで、彼が貴族であったという特殊なものだったからではなかろうか。大方の人たちは、戦争で人間の弱さ、醜さ、あさましさを見て、傷つき絶望し、立ち直れなかったのではなかろうか。
 あのナポレオンでさえ、冬将軍にたじたじになり撤退した。
 戦争のあとに平和がくることは、あり得ない、と、私は個人的に思ったことだった。
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2016年10月16日

大河“真田丸”第40回「幸村」

 欠かさず観ているが、録画で見るので、1週間遅れで今日観たのは第40回分。
 信繁という名前が幸村に替わるいきさつが分かるのだが、ウイキペディアで史実を読むと、実際は本人在命中はずっと信繁を名乗っていたという。
 後年子孫の時代に幸村の方が相応しいということで、系図や書籍などで替えたということ。
 今回は、蟄居している信繁が、豊臣方から徳川と戦うため大阪城に入るようにという誘いを受けて、動揺するというものだった。
 結局は、きりの後押しで、入城を決意する。
 実は幸村の活躍は第41回から始まる。
 今までは前段で、彼の人と成りと周りの武将の活躍など、布石のストーリーだったのだ。
 彼が主役として輝き出すのは大阪冬の陣、夏の陣、ほんの1年余りのこと。
 それもきっかけはそれほど大義があった訳ではない。
 元々戦があまり好きでなかった。
 家康がそれほど憎かったわけではない。
 ただ恩のある人から頼まれれば嫌といえず、しかも側室のきりから「何の功績もなく朽ち果てていいの」と罵倒されて、なりゆきで豊臣方を応援せざるをえなくなったのでは、と思ったことだった。
 ただ、この戦いは彼の人生で1番輝き、花開いた時ではなかったのか。
 結局彼は、そこを舞台に自分の名誉のために戦ったのではなかろうか。
 蛇足だが、ウイキペディアで、彼には数多くの側室がいて子供もたくさんいることを知った。
 きりの存在は史実にもあり、子供も2人いるとのこと、併せてびっくりした次第である。
 まだ、あと10回残っている、これからがクライマックス、楽しみである。

※夫は今日町内囲碁同好会例会に出席 ―― 成績 6段でして4勝1敗
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2016年10月08日

朝ドラ“べっぴんさん”

 朝ドラが「べっぴんさん」に代わって、あっという間に1週間が終わった。
 このドラマも時代背景は昭和の初期〜で、実在のモデルがいて、しかも女性実業家のサクセスストーリーとあっては、「とと姉ちゃん」に似ていると言わざるをえない。
 なんといっても事実は小説より奇なりというとおり、実在の人物の物語は外れなくおもしろいだろう。多いに期待しているところである。
 1週間観ての感想だが、すみれ役の女の子が、お芝居はたどたどしいが、初々しくてとてもかわいかったこと。
 執事のおじさんがこれみよがしにボケるのが、非現実的でなんか浮いていたこと。
 でも、作家としては、あれがひとつの売りだったのかなあ。
 また、戦前の神戸には、こんなセレブ生活をしていた家庭があったことに、ちょっと驚いた。
 現在のセレブ生活はどんなものかよく知らないが、この時代のセレブはとことん洋風だったんだね。
 現在は格差社会と言われているが、この時代ほどではないかも。
 この1週間は、その裕福な家庭の娘すみれが、病身だが美しくて優しい母親との絆を深め、そして別れがやってくる、という展開だった。
 ちなみに、すみれのお父上はレナウンの創業者なんだって。これも驚き。

※今日は雨の中だったが、本野温泉へ行った。
 炭酸泉の屋根ポンポンで雨がザーザー状態。ちょっとしたスペクタルものだった。
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2016年10月01日

“とと姉ちゃん”最終回

 毎朝欠かさず見てきた「とと姉ちゃん」が終った。
 このドラマはいわゆるノンフィクション(脚色したところや幾分事実と異なるところもあるだろうが)なので、常子さん一家の昭和な生活が私にはとてもリアルで懐かしかった。
 常子さんは結局最後まで独身で「暮らしの手帖」を作り続けた。
 彼女がここまで頑張れたのはやはり独身だったからではなかろうか。
 今注目を浴びている小池都知事もやはり独身。
 全身全霊で職務を遂行しておられるが、何も男勝りという訳ではない。十分女子力も供えておられるようにお見受けする。でももし彼女に家庭があったら都知事という激務を遂行出来るだろうか。まず身体がもたないだろう。独身だからこそやれる仕事なのだ。
 常子さんも、人々の役に立つ良い本を作り続けるために、結婚を諦めたのでは。ちなみに花山さんには家庭があった。男と女は違うのだ。女は家庭を顧みずに仕事に没頭することは許されないし、自身がそれは出来ないだろう。ゆえに、良い仕事をするためには結婚は出来ないのだ。
 ちなみに、民進党の蓮舫さんは2人のお子さんのお母さん、もちろん旦那さんもおられる。
 だからなのか、いつも肩に力が入っていて、余裕がないようにみえるし、どちらかというと男勝りな感じがする。男性の2倍頑張らないといけない彼女には、笑顔もなく悲壮感さえ漂っている。
 「とと姉ちゃん」を観て、思ったことは、仕事をするということは、その仕事に愛情を持って、全力であたらなければならないということ。
 生半可な気持ちですると、それだけの仕事しか出来ないんだよね。
 常子さんはいつも一生懸命で、周りの人には愛をいっぱい与えた。
 忘れてならないのは、宇多田ヒカルさんの主題歌「花束を君に」。
 詩は亡き母上藤圭子さんを思って作られたとか。
 泣けます。
 ちなみに母親役の木村多江さんの絶やさない笑顔、ステキでした。
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2016年08月07日

読後感“羊と鋼の森”

 2015年 文藝春秋社発行
 宮下奈都著

 2016年本屋大賞受賞作品。
 新聞等でとても評価が高かったので、ミーハーな私はすぐに図書館に予約した。順番待ちが長かったがやっと回ってきた。
 手にとって見るまで、タイトルの字はかろうじて読めたものの、内容は全く知らなかった。
 私は本を読む時、はじめにタイトルに興味を持つ。
 意味が分からない時、それを頭に置きながら読み進み、その意味が分かった時、その本を読んだという満足感を味わうのである。
 最初の1行目にいきなり「森の匂いがした」で始まった。なるほど森の話しかと思った。
 ところが読み進めても、物語性はない。どう見てもピアノ調律師のマニアックな世界のドキュメンタリーにしか思えなかった。
 私は読書する場合、ストーリーの展開を追って読むので、文章の美しさとか、格調高さとかあまり頭に残らない。
 で、この小説がおもしろいとは思わなかった。
 ただ、この調律師というプロフェッショナルを通して、いかなる仕事も愛情を持って真摯に立ち向かえば、道は開けるし、幸せなことなんだと思った。
 さてタイトルの意味だが、文章の中で、何回となく出てきたハンマー、これに付いているのが、羊毛を圧縮したフェルトだということ。これが「羊」。
 「鋼(はがね)」はピアノの弦。
 「森」はピアノの材質そのもの。森については、1番重きを置いて記述してあった。主人公、外村の生い立ち、出身、家族とそこはかとない触れ合い等。
 まあ、人生は、この森によっておおかたは培われるのだなあ、ということが私の読後感である。
 私はピアノのことを全く知らない。で、このピアノの話しは目新しいことばかりで、勉強になったことは確かである。
 音楽に造詣がある人にとっては、とてもおもしろいのでは、と思ったことだった。
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2016年07月29日

今週の“とと姉ちゃん”

 最近「とと姉ちゃん」を観る楽しみは、3姉妹がきているお洋服を見ること。
 史実はお母さんの手作りだろうが、ドラマで着ている服は、手作り感はあるものの、生地は上質で、仕立ても上手でとてもかっこよい。
 手編みのカーディガンも、しっかりしていてとてもステキ。
 ということは、ドラマで着ている服は、どれもプロが仕立てたものだろう。
 とはいえ、私にはただ懐かしく、そして、彼女たちが着ているその洋服がとても好き。
 昭和20年代後半は、私は小学校低学年、私たち3姉妹は洋服、セーター、下着まで全て母の手作りだった。
 母は戦後落ち着いたら真っ先にミシンを購入したのだ。
 そして私たち3姉妹に、お揃いの服を作って着せた。
 小学校の女先生から、「貴方たち、いいね、いつもお揃いのお洋服で、いいお母さんね」と褒められていた。
 セーターは色違いで作ってくれた。
 その毛糸は古いセーターをほどき、時には染め直したりした。
 私たち子供は、その毛糸の巻き戻しを手伝った。
 その作業の合間に母は「どんな形のセーターにしようか?」と私たちに相談した。
 その時間は、私たち3姉妹はワクワクする嬉しいひとときだった。
 先週のドラマの中で、きものから作り替えられた洋服を見て、ふと思い出したことがある。
 その当時、ある夏のお盆前、母が私を呉服屋さんにつれていった。
 そして浴衣地でワンピースを作ってくれるという。
 私はチューリップの花の絵の生地を選んだ。
 そして母は、今まさに「とと姉ちゃん」で話題になった直線裁ちで、チャッチャッとその日のうちに作りあげた。
 覚えているのは、上から下まで前開きで、ウエストはプリンセスラインだったような。
 私はそれがとても気に入った。自慢だった。前はボタンホールだったかスナップだったか覚えていないが、その頃ワンピースはウエストで切り替えたものばかりだったので、とても斬新だったように覚えている。
 確か小学校1〜2年生の頃だと思うが、このドラマを見て思い出したことである。
 あの頃の母は1番輝いていたし、母も1番幸せな時期だったのではないだろうか。
 そんな母の姿を思い出せるのも、このドラマのお陰かな!
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2016年06月05日

読後感“女坂”

 昭和36年  新潮社発行
 円地文子著

 この作品は昭和32年に角川書店より刊行されたということ。
 今回図書館から借りたのは、もちろん文庫本。
 私の認識では、円地文子さんといえば、少女雑誌に連載されていた少女小説である。かわいい挿絵がついていた。リアルタイムにとても楽しみに読んでいた記憶がある。
 彼女がその頃、一方ではこんなに重い文学的な作品を書いておられたことを初めて知った。
 今回私がこの本を読んでみたいと思ったのは、新聞の文庫本紹介欄をみて、その内容に興味を持ったから。
 物語は、明治維新直後、武家社会から近代社会に変わった時代。ただ、女の社会はそんなにいっきに変わるものではなかった。
 主人公、倫は、その時代の世にときめく地方官吏(県令の補佐役)白川行友の妻として、一家を切り盛りしている。
 私がこの本を読みだして頭に浮かんだのが、朝ドラ「朝がきた」の広岡アサさん、「花子とアン」の村岡花子さん、大河「花燃ゆ」の杉文さん、「八重の桜」の新島八重さん等、皆同じ時代背景に生きていた女傑たちである。
 彼女たちも、妻としての立場は、倫と同じく封建的なものであったはず。ところが、彼女たちは、その理不尽な妻の立場をそんなに深刻に考えていない。甲斐性のある男はお妾さんを持つのは当たり前と心得、むしろそれを上手に利用していたような。
 私はそれがとても不思議だった。広岡アサさんに至っては、お妾さんと同じ屋根の下で暮らし、その間に出来た子供たちを全部りっぱに育て上げ、夫々出世させている。
 女心は神代の昔から、なんら変わるものではないだろう。お妾さんに対しての嫉妬や、夫に対する憎悪があったはず。
 彼女たちにそれが一応に感じられないのは、彼女たちが夫々自立していたからだろうか。自らの社会的地位を確立し、経済的にも稼げる力を持っていた人たちだったからだろうか。
 だから、夫の行動にまで心が回らなかったのかも。できればお妾さんなど持って欲しくなかったのだろうけど、夫にかまってやれない自分もいけないと思って、きっと諦めていたのかもしれない。
 しかし、このような女傑は一握りで、この時代の上流社会では、倫のような人生を送った女性も少なくはないだろう。
 資料によれば、倫は、円地文子さんの母方の祖母がモデルだという。
 倫自身、自分のことを、側から見たらお金持ちで家族にも恵まれた幸せな奥さんに見えるだろう、と思っていた。
 でも彼女は死ぬ時、「そうではなかった」ということを、夫に言い残すことで、溜飲を下げるのである。
 「お葬式は出してくれるな。死骸は海へざんぶりと捨ててくれ」と言ったということは、「死んでからまで、夫の家にかかわりたくない。夫の家のお墓に決して入りたくない」という叫びではなかったのか。
 これを聞いた夫は、少しは堪えたのだろうか。
 妻がどんなに夫を忌み嫌い、不幸せな人生を送ってきたかを、分かったのだろうか。
 今の時代なら、白川行友の行動は決して許されることではない。
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2016年04月10日

読後感“天才”

 2016年1月  幻冬舎発行
 石原慎太郎著

 先頃テレビ番組金スマで、石原慎太郎氏が登場して、この本の内容を紹介した。
 MCの中居君が、気難しい石原氏にどれだけ食いつけるか、実はとても心配だった。
 ベテランの司会者であっても、石原氏の機嫌を損なわぬように切りこんだ質問をするのは、並大抵のことではなかろう。しかも石原氏は83歳という高齢、相当頑固になっていると思われる。
 案の定、石原氏は中居君と目を合わせようとしない。端から彼を相手にしていないことが見てとれた。中居君はあながち的外れな質問はしていなかった。にもかかわらず、石原氏は「貴方の言うことは分からないなあ」と、答えようとはしなかった。しかし、中居君は大人の対応をした。常に笑顔でめげずに聞きたいことはしっかりと聞いていた。きっと最後には、石原氏も中居君を認めたのではなかろうか。
 とても良い番組になったことは間違いない。
 さて、「天才」の感想だが、本を開いてすぐに目に入ったのは、活字の大きさと行間隔の広さだった。石原氏の本にしてはめずらしく、もしかして小説ではないのでは、と思ったほど。
 それが功を奏しているのか、読みやすく、すぐに内容に溶け込んでいけた。
 私はリアルタイムに、田中角栄さんの政治家としての歴史(栄光と転落)を、見てきた世代である。
 当時我々は、コンピューター付きブルドーザーの総理大臣が誕生したと、多いに期待した。私は、戦国時代の豊臣秀吉に似ていると思ったことだった。
 彼がたった2年余りで退任していたことはすっかり忘れていた。
 それはなぜかと考えると、退任後も闇将軍として政界に強い影響を及ぼしていたせいだろう、歴代のどの総理大臣より、私の中ではインパクトがある。
 また、この本の内容が事実なら、彼の人生の基礎は全て彼の生い立ちにあると思った。
 第1に彼が頭脳明晰であったこと。これは、六法全書を全て覚えるほどの記憶力、また先見の明があったこと等で証明される。第2は貧乏だったこと。これが金権政治に繋がったと思われる。彼は子供の頃既に、人はお金がないと人格まで否定されることを知った。第3は母親が愛情深く、見識者だったこと。彼の師は生涯で母親だけではなかったかとさえ私は思った。それは彼がとても人情家だったこと、家族をとても愛していたこと等でうかがえる。第4は身体が丈夫だったこと。このことは自ら身体を動かしブルドーザーの如く実行していったことでうかがえる。
 私が、今回この本で1番興味を持ったのは、彼のプライベートの人生だった。
 人間味あふれる生き方と言えば聞こえはいいが、あまりにも自由奔放で、相当古い考えの人だったのでは。家族は彼のやんちゃに振り回され、そうとう迷惑な人生だったのではと思われる。
 今安倍さんにこれほどのスキャンダルがあったら、どうなんだろう?
 確実に失脚するのでは。
 田中角栄は結局、金で権力を得、金で失脚した。
 5憶円の受託収賄罪は成立した。
 今ではよく聞く、秘書がやったことに間違いはなかった訳で。
 彼は、当時の参議選の費用として300億円もの金を調達した。その中の5億円だったという。
 有名なロッキード事件に端を発したものだった。
 田中角栄はそんな込み入ったお金だとは知らなかったようだ。
 お金が大事だと知りながら、最後お金を軽くみたことが命取りになったことは、皮肉だった。
 最後に思ったことは、どんなに偉かった人でも、長い年月が過ぎると、人は衰え過去の栄光さえ忘れてしまい、無になって、ついには消えてしまうという現実。
 いったい、田中角栄さんは、幸せな人生だったのだろうか。
 私が思うに、彼の人生はプラスマイナス0の人生だったのではと…
 ただ、日本国にとっては彼の功績は、マイナスも多いが、やはりプラスの方がだんぜん多かったような…
 素直に歴史に残る偉大な政治家だったと思ったのである。
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2016年04月07日

朝ドラ“とと姉ちゃん”

 前回の「あさが来た」の興奮は過去のものとなり、あっという間に「とと姉ちゃん」今日は4回目。
 さて、最初「とと姉ちゃん」とは何のことだろう、と思った。ととはお父さん、すなわち父親の役割を持ったお姉ちゃんということ。 
 生活総合誌「暮しの手帖」の創業者である大橋鎮子さんがモデルらしい。事実が小説よりおもしろいのは間違いない。
 また、宇多田ヒカルさんが、このドラマのために特別に作詞作曲し、歌唱までしている主題歌がすごいと思った。
 初回、耳を澄まして聴いた。沁み入るようにソフトな歌い方が心地よかった。曲もクォリィティーが高いと思った。ただ、耳が悪い私は歌詞がいまいち分からなかった。ところがスタジオパークで歌詞が画面に出ているのを見ながら、彼女の歌を聴いた時、涙が出るほど感動した。これから毎日この歌が聴けると思うと、楽しみが倍増するような。
 さて、感想だが、ただただ私は懐かしかった。
 時代は少し後になるが、我が家も同じ父、母、3姉妹の5人家族だった。父は隣町の郵便局へ下駄ばきで自転車通勤していた。母は専業主婦だった。
 家族は父を中心に生活していた。私は末っ子で特に父に可愛がられた記憶がある。父が家に居たらいつも父の膝の上に乗っていた。
 このドラマを見てふと思い出したのは、父の職場の慰安花見会に連れていってもらった時のこと。子供同志で遊んでいた私だが、なぜか、宴座でお酒を飲んでいた父の元へ走って行き、父の膝の中に入っていったのだ。父はいつものように笑顔で私を膝の上に乗せてくれた。
 私の父もこのドラマの西島さんのように優しかった。考えてみたらあの頃が1番幸せだったなあ。
 私の父は幸いにも79歳まで生きて、家族を見守ってくれた。
 しかし、このドラマは、多分早くに(もしかしたら今週中に)亡くなるのだろう。
 で、長女の常子さんが父親代わりになって一家を支えていくのだろうか。
 この時代の家族の生活が、私にはとても懐かしく、毎日朝がくるのが楽しみでたまらない。
 無理だろうが、西島さんにもっともっと出ていてもらいたいな〜。
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2016年04月02日

朝ドラ“あさが来た”― 最終回

 毎日欠かすことなく観続けたドラマだった。
 今日は感動の最終回。
 今回のドラマは実在した広岡浅子さんの生涯を描いたものだった。
 彼女は、江戸後期から明治維新を経て大正まで、まさに激動のど真ん中を走り抜けていった女性だった。
 時代背景もさながら日本の歴史そのもので興味深かったし、教科書に出てくるような有名人が次々登場して大河ドラマのような深さもあった。
 私は、あらかじめネット等で広岡浅子さんのことをチェックしていた。そこでは偉大な女傑としての姿があった。さぞや、つけ込むスキを与えない、傲慢な女性だと想像していた。
 ところが、このドラマを観終わって、改めて思うのは、彼女は、頭脳明晰なのは言うまでもないが、なんと心根の優しい、温かい心の持ち主だったかということである。誰に対してもとても優しかった。
 広岡浅子さんのことをドラマにして作者は何を言いたかったのか、私は最終章を観て分かったことがある。
 それは、女性が如何にあれば社会貢献出来る優秀な人材になり得るか、ということ。
 それを、彼女が身を持って教えてくれた。
 それは、考える能力と女性としての柔らかい心を持つこと。
 最終章のタイトルがまさに「柔らかい心」だった。
 最後は最愛の夫の元へ行った浅。
 浅役の波瑠さん、はまり役だった。
 「おしん」のはまり役だった田中裕子さんを彷彿とさせるように、めきめきと上手くなり、輝かんばかりの美人になられた。
 蛇足だが、史実では、新次郎さんと側室との間に4人の子供を儲けられているが、ドラマでは、そのことには何も触れられなかった。浅さんは、それも柔らかい心で受け止められたのだろうか。夫婦愛が大きな軸になっていたので、時代が違うとはいえ、現代ではとうてい受け入れられなかっただろうから、作者はこれを省かれたのだろうか。
 なにはともあれ、みごとなハッピーエンドで良かった〜。
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2016年03月24日

読後感“異類婚姻譚”

 2016年1月  講談社発行
 本谷有希子著

 2016年1月第154回芥川賞受賞作品である。
 私が読後感としてすぐ思ったことは、芥川賞に相応しい作品だということ。
 まずこれが4編からなる短編集であること。
 内容が人間(夫)を、逆擬人化(比喩)にして表していること。
 人間の内面を描いていること。
 動物が頻繁に出ていること。
 以上のことは、古典の説話集「宇治拾遺物語」からなぞった、芥川の多くの短編作品にも似ていると思った。
 さて、内容だが「異類婚姻譚」「犬たち」「トモ子のバウムクーヘン」「藁の夫」の4篇。
 それぞれ独立して昨年発表されたもの。
 ただ、4編とも夫婦の機微(女性目線)、動物を擬人化して思いやったもの、である。
 著者はまだ36歳という若さなのに、夫婦に関する内面の葛藤がよく分かるなあと思った。よしんば分かるとしても、普通はこのことをなかなかことばに言い表せない。この手法の巧さに感心した。
 夫を藁に比喩するなんて、ほんとうに的を得たもので、目の前のもやがすっきりする快感だった。
 また、夫が、本当は山芍薬のように可愛い人だったんだと理解しながら、最後はやはり寒気がするほど気味悪がったりする女心は、ひょっとしたら誰にも覚えがあるのでは。
 何しろ、夫婦は他人、いくら顔が似てきても、分かりあえるはずはないのだから。
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2016年03月02日

新聞小説“我らがパラダイス”

 林真理子作 横尾智子画
 
 林真理子さんの小説は実におもしろい。というか、私、大好きである。
 今回の「我らがパラダイス」も、最初から食いついた。
 いつの間にか、回は進み今日は早くも51回。
 彼女の小説には珍しくオムニバス形式で、主人公が3人。それも全て中年の女性、しかも3人とも老人介護に携わっている人たち。
 まさに今の日本が直面している辛い社会を反映した小説なのだ。
 林真理子さんは、相当リサーチされたのだろう。
 こんな家庭あるあると、思い当たることばかりで身につまされる人も多いだろう。
 昨日の認知症事故訴訟は、家族には賠償責任は問わない、という最高裁の判決が下された。
 今日の参議院予算委員会でも、高齢化社会の福祉政策が議論されていた。
 今、私たちが1番悩ましいと思っていることをテーマに、むしろ面白おかしく描いていくのは、かってないことだと思うのである。老人問題をとりあげた小説は有吉佐和子さんの「恍惚の人」をはじめ、たいてい重くて切ないものだったから。
 
 さて題名の「我らがパラダイス」。今のところ真意が分からない。
 登場人物やその相関も、頭の中でぐちゃぐちゃになりつつある。
 今日は相関図を書いてみた。
 田代朝子さんと、丹羽さつきさんは職場のつながりがあるみたい。
 最終的には3人はリンクするのかなあ。
 今のところの感想は、朝子さんの弟の態度が、朝子さんではないがいちいち腹立つ。でも、こういうバカ息子よく居るなあ。
 とにかく、毎日、新聞を読むのが楽しみ。でも挿絵はあまり好きではない。今日の那子さん、相当ブスですよね。
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2016年02月15日

NHK土曜ドラマ“逃げる女”

 1/9〜2/13  22:00〜22:44  
 脚本 鎌田敏夫   出演 水野美紀 仲里依紗
 
リアルタイムではなく録画したものを全回観た。
 これぞNHKというドラマだった。
 ジャンルはヒューマンサスペンスドラマなのか。
 ドラマを観る場合、大河と朝ドラは別として、まずキャストや脚本を見て、興味が沸いた時だけ観ることにしている。
 で、最近若者向けの物ばかりなので、殆ど観ることはない。
 今回、このドラマにはまったのは、ロケ地が我が長崎県だったこと。行ったことがある佐世保、平戸、松浦の素朴な町並みや、海や畑の景色がとても美しく、何といっても私には臨場感があった。
 今一つは、仲里依紗の迫力ある演技だった。彼女は長崎県出身、前にNHKドラマ「つるかめ助産院」で初めて見た時も、容姿だけでなく演技も上手いなあと思ってはいたが、こんなに迫真の演技をするとは驚きだった。演技に定評のある水野美紀をも上回っていたような。
 さて、ドラマの内容だが、ある種エリートだった養護施設美人教員が、冤罪を受けて8年もの長い間服役したあと、冤罪がとけて晴れて戻ってきたものの、そこからまた始まる逃亡劇のお話である。
 中学からずっと信頼していた親友(あずみ)からの裏切りで、冤罪を受ける羽目になった主人公梨江子。梨江子は、あずみの真意を確かめたい一心で彼女を探す。その途中で、あずみは、梨江子につきまとう仲里依紗演じる謎の若い女性、美緒に殺される。
 そこから梨江子もなぜか彼女と共に逃亡を続けることに。
 そこで分かっていく人間夫々の育ちの違い。育った環境で人間はそれなりに構成されていく。それが劣悪であった場合、大人になってしまったらそう簡単に更正されるものではないのだ。
 思ったことは、罪を犯す人は愛情をかけてもらっていない人。どんなに貧乏でも不遇でも誰かに、愛情さえ、かけてもらっていたら、こんな悲惨なことにはならなかっただろう。
 梨江子は美緒を通して、あずみの真意も知ることになる。
 一貫して梨江子は、崇高で優しい。
 ここはちょっと現実離れしているかなあ。
 感想としては、子供を産んで育てるということは、どんなに重大なことかということ。
 生まれる時は誰も同じように純で無垢な者。
 その子供を社会に役立つ人間に育てるか、犯罪者に育てるか、全て親の責任なのだ。
 今まさに話題になっている宮崎元国会議員は真剣に育児のことを考えていないのでは。
 遊びながら育児をしたら、それなりの人間にしか育ちませんよ。
 今後は、しっかりと本腰を据えて、本業として育児をしたらどうかと提案したい。
 このドラマを観て、こんなことも考えてしまったのです。
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2016年02月14日

読後感“追いかけるな”―大人の流儀5

 伊集院 静著  2015年11月講談社発行

 伊集院氏のシリーズエッセイ集第5段である。
 先頃、テレビ対談でマッチ(近藤真彦)と彼の対談を観た。
 昨年マッチに頼まれて、「おとなの流儀」の作詞をされている。
 その歌に私は感動した。
 流行ればいいなあ、と思っていたが、今の時代に合っていないのか、あまり聞こえてこないような… 残念でたまらない。
 今回のテーマは「追いかけるな」である。
 それはさておき、読んでみてそんな説教じみたものではなかった。
 日頃の彼の思いとまわりに起きている出来事をたんたんと述べることで、彼の人柄と、彼の哲学を垣間見ることが出来たというところか。
 私が思うに彼はかなりのナルシストで、自由奔放に生きている人。根底には家族、特に両親への思いを強く持っている人。今回はペット(犬)に対する愛情も満載だった。全てがクールに見えていたので、これは意外な一面だった。意外と愛情豊かな人かな。
 ただ、ひとつだけ腑に落ちなかったことは、毎年大晦日には奥様とではなく、母上と過ごされるということ。なぜ奥様を同伴されないの? 奥様は寂しくないの? 犬がいるからと言われるかもしれない。
 でも、これも「追いかけるな」、大人の流儀ということかなあ。
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2016年01月10日

読後感“マチネの終りに”

 平野啓一郎作
 新聞小説「マチネの終りに」が、今日307回をもって最終回となった。
 予め、1月10日が最終回と記してあったので、心の準備は出来ていたが、やはり最後はあっけなかった。
 ただタイトルの意味が、ここではっきり分かったと同時に、作者は当初からエンディングをここにしようと決めておられたことが察せられた。
 「マチネ」とは、フランス語で昼間の公演のこと。ちなみに夜の公演は「ソワレ」。
 蒔野はコンサート会場で、洋子の存在を確認した時、公演が終わったらセントラルパークを散歩すると公言した。明らかに、洋子に向けて言ったことばだったし、洋子が来てくれることをなぜか疑わなかった。
 最後に作者は、蒔野の心情と将来をリルケの詩(幸福の硬貨)に託した。ずるいよ、と思った。
 童話の中の男女なら、めでたしめでたし、で終わるのだろうが、現実は生活があるわけで。
 さて、この小説にはモデルがいるということ。
 実際はこのあと2人はどうなったのだろうか?
 ベッキーさんのこともしかり、不倫愛で幸せになるということはないのですから。

※夫は今日元職地区囲碁例会に出席した。
 成績 ―― 7段でして4勝1敗 優勝 商品券2,000円get
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2016年01月06日

映画の感想“母と暮らせば”

 2015年12月 日本(松竹)映画
 監督 山田洋次  製作 井上麻矢
 キャスト 吉永小百合 二宮和也 黒木華

 一種、鳴り物入り的な感じで作られた映画だった。というのは、井上ひさしが晩年構想していたもので、被爆地広島を舞台にした「父と暮らせば」に対峙させて、被爆地長崎を舞台にした母と息子の物語だったから。
 井上ひさしの意志を受け継いで山田監督が脚本を書き、メガホンを持った。
 さて、感想だが、正直反戦映画の感じはしなかった。
 単純に、母息子の愛情物語というところか。 
 
 ただ、原爆投下の一瞬で、人生が突然にジ・エンドになった現実。しかも彼らには何の落ち度も、しかも前触れもなく。こんな理不尽なことが起こるのが戦争なのだと知らされる。
 主人公福原伸子の一人息子、医学生浩二はその日突然この世から姿を消した。
 現実を受け入れながらも、諦め切れない伸子は、幻で浩二と暮らすようになる。いわゆるファンタジーの世界である。
 最初の頃、これがばかばかしく眠ってしまった。
 そのうちに、リアルな生活が描かれる。
 浩二には、伸子も認めたかわいい婚約者(町子)がいた。
 彼女は生身の人間、浩二を思いながらも新しいパートナーを考えるようになる。しかし伸子に義理だてしてなかなか前に進めない。
 伸子は彼女の気持ちを察して、彼女が幸せを掴むことを納得し後押しする。
 しかし、それは本心ではない。彼女の幸せを喜ぶことはできない。嫉妬しながら生き長らえることが出来るだろうか。
 幻の世界へと逃げるしかない。
 最後は愛する息子と連れだってファンタジーの世界へ。
 切ないけど、私もこれが1番いい方法だと思った。一種のハッピーエンドだったような。
 この映画を観てすぐに思ったことは、「人間、生きてるだけで丸もうけ」ということば。
 町子の新しいお婿さんは、戦争で片足を失くしたものの生き残った。で、幸せを掴むことができた。
 町子共々まさに「生きてるだけで丸もうけ」だった。
 一方伸子は「生きてても何の意味がない」のではないか。
 生きてても何の意味がないなら、早く幻の世界へ行くべし、と思わざるをえない。
 間違っているかなあ。
 最後に、これが大作だとは思えなかったが、町子役の黒木華さんは、自然な演技が際立っていた。小百合さん、長崎弁、長崎人が聞くとやはり不自然だったかな。
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2015年12月24日

読後感“家族という病”

 下重暁子著  2015年3月発行  幻冬舎
 
 下重さんが作家という認識は私にはあまりなかった。
 今回この本を読もうという気になったのは、「徹子の部屋」に下重さんが出演された折、話題になっていたことと、この本がベストセラーになっているということを知ったからである。
 ウイキペディアで調べると、彼女にはたくさんの著書があることにびっくり。
 そこで、ちゃんとした作家なんだと認識した次第である。
 「家族という病」というタイトルにも興味があった。
 で、図書館に予約を入れた次第である。
 読後感だが、まずこの本のジャンルは何だろう、と考えた。
 エッセイか評論か…
 評論というには、あまりにも論理性がないのでおそらくエッセイなのだろう。
 要するに、下重さんは家族というものをあまりにも型にはめようとして、うまくいかず、仕方なく投げ出してしまい、あげくの果てに病気になってしまったという話しなのだ。
 家族の形は千差万別、もし著者が無名だったら取り上げるべき内容の本ではない。ただ、下重さんの家族だから読者は興味を持ったに過ぎない。まあ、タレントさんの道楽本というレベルのものだった。
 内容だが、下重さんが家族を疎まれるのは、おそらく幼少の頃、家族にあまり愛されておられなかったのではなかろうか。大事にされると、愛されるのとは違う。小児結核にかかり、隔離された生活をされたり、近寄りがたい父親の存在だったり、彼女の人間形成の過程に問題があったように思えてならない。だから、彼女に同情はしても、共感するところは、残念ながらなかった。
 つい先ごろ読んだ、寂聴さんの「わかれ」という本に、少しがっかりしたのだが、今回この下重さんの本に比べると、寂聴さんは改めて次元が違うハイレベルな作家なんだと思ったことだった。
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2015年12月16日

大河ドラマ“花燃ゆ”最終回

 全50回全て観た。ただし全て録画して観た。
 タイトルの「花燃ゆ」が、結局何のことか、私には理解出来なかった。
 想像するに、主人公美和のことだろうが、ということは、最後に鹿鳴館で夫の楫取と華麗に踊ったことだろうか。
 私は世間が酷評するほど、おもしろくないとは思わなかった。
 ただ、前半は、確かに彼女の存在は薄かったというより、普通の家族思いの優しい女の子というだけの出番だった。兄が吉田松陰という逸材だったゆえ、ちやほやされていただけのような。
 彼女が主人公として活躍したのは、群馬県令夫人になってからの後半ちょっとだった。
 むしろ、主人公は全体を通して楫取素彦ではなかったろうか。
 井上真央さんは、それなりに一生懸命にやっていた。
 しかし、なにせ楫取素彦さんが、歴史上でそれほど有名ではない。その奥さんの内助の功のお話なので、あまり盛り上がりがなかったのは否めない。
 特記すべきは、三田佳子の演技のすばらしさだった。
 あらためてベテランの価値が分かった次第である。
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2015年12月13日

読後感“わかれ”

 瀬戸内寂聴著  2015.10発行  新潮社

 久しぶりに寂聴さんの本を読んだ。
 なぜかというと最近とみにマスコミに露出されていて、特に「徹子の部屋」でいろいろなご活躍の様子を知ったからである。
 この夏には安保法案反対デモに参加されたり、SEALDsの活動に共感されて、活動家の女性を主人公にした小説を発表されたりしている。
 今年御年93歳、どんだけお元気なの、と老体の私にはとても考えられないし、勇気をもらうし、この際、ぜひその生態を知りたかった。
 「わかれ」という本は、過去10年間、新潮に掲載された短編を編集されたものだった。
 なるほど、と思った。しっかりした長編小説だとばかり思っていたのでちょっと肩すかしな感じがした。
 読んでまた、ちょっとびっくりした。彼女の作品をさほど読んでいる訳ではないが、作風が以前と全く違っていたから。
 まあ、これが年齢を重ねる上での過程なのだろう。
 9話のうち、私小説が4話。あと5話がフィクションだった。
 私が1番おもしろかったのは、フィクションの「山姥」。
 身につまされる話しで、しみじみと身にしみた。
 人はみな、他人の優しさに触れると、自身がもっと優しくなるんだなあと、改めて思ったことだった。
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2015年10月30日

読後感“日々の光”

 2015 ジェイ・ルービン著  柴田元幸 平塚隼介訳
 
 ジェイ・ルービン氏は1941年生まれ 現在74歳 アメリカの日本文学研究者である。日本へは度々訪れて講演活動などもしておられるとか。
 メディアでも取り上げられていたのか、定かではないが、私がこの本を知ったのは、やはりテレビか新聞ではなかったか。
 図書館へ貸し出し申込みをしたら順番待ちだった。新刊だったせいもあろうが、人気があるんだ、と思った。
 物語は、日系米国人の強制収容を元に、主人公ビリーの人生と思いを描いたもの。
 ビリーは生粋のアメリカ人であるが、母親は父の再婚相手で日本人(光子)。
 彼は、光子になついていて、戦時中、なぜか母親と一緒に、いっときミネドカ強制収容所で過ごす。その後時代の波に流され、親子は離ればなれになるが、ビリーは追憶の母を探し続け、ついには日本へ留学した。そこで、運命の糸は繋がれ、光子の実子である美しい娘と出会い恋をする。しかもその娘の父親は、アメリカで親しくしている日系米国人男性ときている。あまりにもこれは出来過ぎと思うが、さらには、原爆で亡くなっていると思っていた光子も生きていたり。複雑ではあるが家族4人が感動の再会を果たしてハッピーエンド。ほんとうに救われる思いの結末で、とても読み応えがあったのである。おもしろかった。
 ビリーは著者自身なのかなあ、と思ったが、著者がその理不尽で劣悪な収容所の存在を知ったのは、大学へ入ってからだという。(だから全くのフィクション)
 その後著者は、ますます日本に関心を持ち、日系人の社会学者ゴートン・ヒラバヤシ氏との出会い等から、この小説が出来上がったという。
 彼は日米を同じ目線で捉えて、悪いものは悪い、良いものは良い、としている。
 私が何より彼の思いに真実味を感じるには、奥様が日本人であること。
 真の親日家であることは間違いないかも。
posted by hidamari at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 読後感・映画の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする