2015年10月17日

NHK朝ドラ“あさが来た”

 早いもので朝ドラ「あさが来た」は、3周目を終わった。
 今回のドラマは、幕末から明治大正の時代を駆け抜けた女性実業家の物語である。
 実在した広岡浅子さんという方がモデルということ。
 初めて聞くお名前、さっそくウイキペディアを見ると、ほんとうに驚いた。
 婦人選挙権もない時代に、銀行経営、炭坑事業等をその豪気さと英明さで見事に成功させた女傑中の女傑だったから。
 朝ドラは、やはり実在の人物の物語がいい。しかもサクセスストーリー、夢があるのに、奥があり、しかもそれは本当にあったことなのだ。「花子とアン」を思い起こさせる。そういえば、浅子さんの晩年に、村岡花子さんとの接点もあったとか。同じ時代を生きたみたい。
 とにかく、私はこの時代の物語が好き。服装も文化も興味がある。
 主役は波瑠さん、脇役の寺島しのぶさんが大好き。
 今日本の女優さんで、私の中では5本の指に数えられる実力派女優の1人である。今1人は、田中裕子さん、前回の「まれ」では、この夏のドラマ部門で、助演女優賞に輝いた。それもそのはず、「まれ」で、彼女が発する何気ないひとことに、私は涙したもの。なんて上手いんだろうと思った。それは、まれのパテシエの師匠が、行き詰っているまれを訪ねて来た時、挨拶がわりに発したひとことだった。
 「ありがとね…」
 たったそれだけのことばに、彼女のまれを思う気持ちが全て入っていた。
 もちろんそれだけでなく、彼女は存在だけで、自然な演技があちこちに、にじみ出ていた。
 今回の寺島しのぶさんにも、すばらしい演技を期待しているところである。
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2015年09月06日

NHKTV“歴史ヒストリア”桂小五郎

 サブタイトル「逃げの小五郎」
 
 長州藩士、明治維新の立役者の一人桂小五郎、よく知っている人物である。萩へ旅行した時、生家も見学した。
 今まさに「花燃ゆ」では、薩長同盟を結ぶ場面で東山紀之さんが扮して活躍している。
 桂小五郎といえば、薩長同盟と、明治新政府を創建した人として頭の中にインプットされていた。
 今回、歴史ヒストリアを観て、彼の若かりし頃も鮮やかになったし、明治維新ではリーダー的存在の政治家だったことも改めて知った。
 チョンマゲを廃止するに当たって、こんな苦労があったなんて知らなかったし、これを桂小五郎が行ったことも初めて知った。
 幾多の戦争や弾圧の中で、生き延びられた数少ない有名な長州藩士の中に、彼もいたのだ。
 逃げの小五郎と呼ばれたくらいだから、要領がよかったのかもしれないが、やはり運がよかったのだろう。後世のために生かされたのかもしれない。
 私が思ったことは、人の上に立った人は、必ず慈愛の精神の持ち主であったということ。リーダーは尊敬されなければ人は従わない。彼は、万人に対して優しかった。戊辰戦争で敵対した会津藩の人たちにも慈愛を施したという。
 運が悪かったのは、薩摩藩士西郷隆盛、長州とは敵になったり味方になったり、最後は自らも加わって創った新政府に対して反乱を起こし、無念な戦死を遂げた。
 桂小五郎はちょうどその頃、病で亡くなるが、死の床で、西郷を思いやり、「戦争など無益なこと、いいかげん止めにせよ」と、言ったとか。
 時代は変わっても戦争ほど無益なものはない。
 人間同志は決していがみ合わないのに、なぜ国になるといがみあうの?
 思うこと、日本国の総理大臣安倍さんに慈愛の気持ちはあるの?
 慈愛の気持ちがなければ、総理大臣の資格はない。
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2015年09月02日

NHKドキュメンタリー“歴史秘話ヒストリア”

 「米外交官グルー」「鈴木貫太郎」「伊藤博文」
 この3週間でたて続けに観た番組である。
 「鈴木貫太郎」の副題は天皇のそばにいた男、彼は太平洋戦争最後の首相である。天皇に請われて戦争を終結するために尽力した。終戦になると同時に総辞職する。
 その後政界を引退し、晩年を故郷で農業をして暮らす。
 最近「NHK放送90年ドラマ経世民の男、高橋是清」も、同時に観た。
 2.26事件で、高橋是清と同じく鈴木も軍部に命を狙われていた。
 そして、外交官グルーとは2人とも親交があったという。
 「外交官グルー」を観て知った。
 映画「日本でいちばん長い日」も最近観た映画。
 それらは全部リンクしていた。それで、歴史がより鮮明になり、よく理解できたのである。
 「伊藤博文」は、正に今「花燃ゆ」に登場している。配役は劇団ひとりさん、彼がまだ若かりし頃なので、この後2〜3年でどんどん出世していくんだろう。
 この頃まさか、仲間の誰もが成し得ていない総理大臣にまで上り詰めるとは、本人も思っていないだろうなあ。
 一生懸命国のため頑張っていた同志たちは、全部死んでしまい、結局残ったのは、小田村伊之助と伊藤博文だけ?
 運がよかったとしか言いようがない。
 でも結局彼も満州で朝鮮民族主義活動家に暗殺された。68歳まで生き延びられたのは、やはり幸運だったと私は思った。
 ただ、小田村伊之助は83歳まで生きたという。もっと運がよかったのだ。
 優秀な人材が次々に暗殺されたり処刑されたりした中、あの時代を生き残れたのは、運だけだったような、私にはそうとしか思えない。
 次回の「歴史秘話ヒストリア」は、桂小五郎、これも楽しみにしている次第である。
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2015年08月16日

映画“日本でいちばん長い日”

 1967年 日本(東宝)映画  岡本喜八監督  原作 半藤一利(大宅壮一編集)
 キャスト  三船敏郎 笠智衆 宮口精二 山村聰 黒沢年男 佐藤充 他
 

 1945年8月14日正午〜15日正午までの24時間の話しである。
 私は、玉音放送のことは、幼いころから、母からよく聞かされた。
 この放送が流れるまで、裏側でこんなすごい激闘があったことは知らなかった。
 実は戦争映画は過去たくさん観てきた。
 まさにこの「日本でいちばん…」も、既に観たような気もする。
 ただ、内容はすっかり忘れていたので、今回新たな気持ちで鑑賞することができた。
 玉音放送を国民が聞かされる場面は、これまでにも事あるごとに、映し出されている。
 この24時間に陸軍の若手将校が起こしたクーデター宮城事件、たとえ日本が滅亡することになっても、本土決戦すべし、という考えを、国民は誰一人として望んでいなかったはず。
 私の両親は満州奉天でこの放送を聞いた。
 父は泣いた。母は喜んだ。それで「戦争終わったんだ、よかった」と声に出すと、父は「負けたんだぞ、よかったとは何ごとだ」と、戒めた。
 しかし、母だけでなく国民の大多数は、勝ったとか、負けたとかというより、終ってホッとしたということが、本音だったのではなかったのか。
 この映画を観て思ったこと。
 7月26日にポツダム宣言が発表されているにも関わらず、広島に原爆が投下されるまで、それが無視されたこと。残念でたまらない。
 その後、連日連夜閣議が開かれ、議論に議論が重ねられた様子が描かれていた。
 その内容は、降伏か本土決戦か。
 今考えれば馬鹿げている。
 本土決戦等あり得ない話し。
 軍部は、自分たちの命令で、国のために命を失った多くの兵士たちに申し訳がたたない、報いるためには1億総玉砕もやむを得ない、という大義だったと考えられる。
 クレージーである。戦争というマインドコントロールにかかっていたとしか、思えない。
 天皇を始め軍部に置いても幹部は、戦争はもはや敗北である。ということは認めていた。
 にもかかわらず、早々に決断出来なかったことに、やはり、我々国民は深い憤りを感じるのである。
 先頃、御前会議が行われたという、皇居内にある防空壕の中の会議室が公開された。
 戦争を始めるのも、終えるのも、時の政府の一部の幹部が成せることなのだ。
 政府の要人には、いかに高い見識と良識が必要か、今更ながら考えさせられる。
 戦後70年の今、今の政府の要人は、果たしてどうなのか?

※現在劇場で、本木雅弘が昭和天皇を演じて、再映画化されている。そのうちにテレビでも放映されるだろう。その時はぜひ観たいと思っている。
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2015年07月25日

読後感“トットひとり”

 黒柳徹子著  2015年 新潮社
 新聞の図書紹介欄で知った本。
 トットちゃんの著者黒柳徹子さんが、また本を書かれたのだと思いとても興味があった。
 図書館に予約を入れていたのが順番が回ってきた。
 部厚い本だが、とても読みやすい。それもそのはず、これは小説ではなく、エッセイ集。
 小説新潮等で発表されたものを、今回改稿、加筆して単行本にして発行されたものということ。
 内容は、いわゆる彼女の交友録、ただ単なる交友録ではない。その彼女の親しい友人、同志、恩師という人たちは、全て多才で人間的にも優れた一流の方々ばかり。
 今回、その方々自身の人間性、生き様まで深く掘り下げて書いておられる。これほど、彼らの内面に入りこんで書けたのは、今は亡き方々(久米宏さんだけは違うが)だからではないだろうか。
 タイトルの「トットひとり」は、彼女の周りから一人また一人と去っていく親しい人たちとの別れの寂寥感の表れのような気がしてならない。
 彼女自身はお元気で何もそんなことには触れておられないが、心のどかにはご自身の暮れゆく人生も考えておられるのではないだろうか。
 この本の中には、ご自分の人間形成についても書いておられる。
 ターニングポイントは38歳、自分を見つめ直すため、仕事を一切辞め、渡米。
 ニューヨークでの充電期間を持ったことは、彼女のその後の人生を大きく変えたという。
 それが、徹子の部屋、舞台女優、ユニセフ等に、身を捧げること、自分の意に沿わぬことはやらない、という信念だという。
 私は「徹子の部屋」が大好きで、毎日観ている。
 彼女を見て、感じることは、
 思慮深い人、心根の優しい人、尊敬できる人、ということ。
 それに毎日の衣裳もとてもセンスがいい。というか、出場者に合わせて、バランスよく相手を引き立たせるよう気を配っておられるのを感じる。
 そこに飾ってある生け花も、出場者に合わせてあるとか。
 「徹子の部屋」にかける、並々ならぬ思い入れを、毎回感ぜずにはいられない。
 どうか100歳まで頑張って欲しい、と、この本を読んで、改めて思ったことだった。
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2015年07月20日

映画“グッドナイト・ムーン”

 1998年 アメリカ映画
 監督 クリス・コロンバス  
 キャスト ジュリア・ロバーツ  スーザン・サランドン  エド・ハリス

 キャストとタイトルを見て、私の好きなジャンルだと思って録画した映画。
 でだしは、ニューヨークのセレブな世界のホームドラマかな、と思った。
 ただその家族の生活が普通とは異なっていたが、今の時代、特にアメリカではありえることで、何もその物語には興味を感じなかった。
 離婚した夫婦に子供がいる場合、子供は一番の被害者。子供たちはパパもママも大好き。だから仕方なく、両方の家をいったりきたりする生活を余儀なくされる。
 その上パパには新しいパートナーがいて、同棲している。いわゆる子供たちにとっては継母になる存在である。ちなみに、この映画の原題は「継母」。
 子供たちがその大人たちの愛憎の中で、どたばた劇を繰り返すというストーリー。
 最初は元妻ジャッキーの立場に同情しながらも、新しいパートナーに嫌がらせばかりしているようで、見苦しいと思っていた。
 その点、ジュリア・ロバーツ演じるイザベルが、いじらしいほど子育てを頑張っているので、なんとなく肩入れしたいような。
 こんなつまらないだらだらしたストーリー、退屈だなあと思っていると、とってつけたような展開に…。
 ジャッキーが余命いくばくもない癌の病に侵されているということが分かる。
 ということで、子供たちのために、元妻も含めて家族が一つになるというお決まりの話しで終わる。
 後半、話が一転して、今度はきれい事のはなしが長たらしくて、ちょっと飽き飽き!
 さて、感想だが、2人の妻、どちらが幸せ? と思うに、もちろんまだ幼い子供を残して逝く元妻が、うんと不幸には違いない。
 でも、継母は継母でまた大変である。子育ては仕事の片手間で出来るほど簡単なものではない。彼女もそれが痛いほど分かって、ついに仕事を辞めた。そしてその後は元妻が辿った道を歩むのである。当然そこには仕事人間の夫がいる。元妻が味わったストレスもあるだろう。
 そこを、乗り越えて、子育てを成功した時、初めて継母の方が幸せだったといえるのでは、と思ったことだった。
 子供たちの過去と未来、やはり未来かな!
 なぜなら、未来がうんと長いから。

 日本タイトルの「グッドナイト・ムーン」を考えてみる。
 雪の降る夜なかに、ジャッキーと娘のアンナが、乗馬しながら思い出作りをした場面があったが、あれからきているのかなあ?
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2015年06月23日

読後感“それを愛とは呼ばず”

 桜木紫乃著  2015年 幻冬舎
 
 著者は1965年生まれ、2013年に「ホテルローヤル」で直木賞をとっている女性作家。 
 私は話題になった「ホテルローヤル」を読んだ。それは短編集で、主人公が何人もいた。
 今回の「それを愛とは呼ばず」は、主人公は、亮介54歳と紗希29歳の2人。
 2人が、交互に主人公の立場となって、2人の物語が展開される。
 1章は亮介の生活から始まる。亮介の妻は、10歳年上の女性経営者、つまり彼の雇い主である。結婚生活10年になるが、妻をサポートして幸せな生活を送っていた。
 そんな時、妻が事故で昏睡状態に陥り再起不能となる。
 そこから始まる物語は後継者争いの形相が…。
 で、その文章にあまり惹きつけられず、わたしの癖で最後の章を読むことに…。
 何と、亮介は紗希なる若い女性に殺害されていたではないか。
 そこは取調室で、検察官が紗希に尋問している場面だった。
 私の読み方は、刑事コロンボパターンで、まず犯人ありき、徐々に殺害に至るまでの経緯を明かしていくという方法である。
 他人には勧めないが、早く読み終えるには、手っ取り早い方法だと思っている。
 
 私の感想だが、まず一貫して暗くて重い、退廃的な物語だったこと。
 次に、人生は生まれながらにして幸不幸が決まっているのか?という疑問。
 とはいえ、実はどんな幸福だった人でも、死ぬ時は、不幸のどん底ではないかということ。
 主人公紗希は、自分を含めて周りに不幸な人ばかりを見ていた。人間関係においても、仕事においても、家族においても、未来に何の希望も見いだせないで、ただ惰性で生きていくだけの人を見て、何とか力になりたいと願っていた。
 そして、彼女は自分の妄想と思い込みで大きな間違いを犯してしまう。しかし、彼女はそれを罪とは決して思っていない。なぜならそれを愛と思っているから。
 彼女が犯した罪とは、不幸だった人たちが、ちょっとでも幸せを感じている時、彼らにそれ以上の幸せがこの世にはもう存在しないことが分かっているから、今幸せを感じている間に、あの世に送ることだった。
 彼女には彼らを殺害する動機はないが、愛という理由はあったのだ。それはもはや狂気以外なにものでもない。
 しかし、彼女が最後に殺害した亮介は、まだまともだったはず。将来また幸せが訪れたかもしれない。なのに彼女はなぜ、彼まで殺害したか。それは、彼が言ったひとことだったのでは。
「あなたにだけ出来る仕事があるはず」
 彼女はこの仕事を「不幸な人が少しでも幸せを感じている間にあの世に送ること」と、都合のいいように解釈したのだろう。
 で、亮介は、今召されるのが1番幸福と思ったのではないか。
 で、愛を持って殺害したのだと信じ込んだ。
 不幸な人生を送った人は、せめて最期くらい幸せでなければ、この世の中不公平だと…。
 私、少し分かるところがあるかも。
 検察官が最後に言い放ったことばが、
 「それを愛とは呼ばず」…… これがタイトルです。
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2015年06月01日

映画“ショコラ”

 2000年 アメリカ映画 ジョアン・ハリス原作
 監督 ラッセ・ハルストレム
 キャスト ジュイエット・ビノシュ  ジョニー・デップ  ジュディー・デンチ

 当時、というと、もう15年前になるが、話題になった映画と覚えている。チョコレートのことをなぜショコラというのだろう、と無知な私は思っていた。もちろんフランス発音ということは、後で分かったことである。
 物語は、
 北風とともに、フランスのある村にやってきた赤いコスチュームを身に付けた親娘。いかにもその村には不釣り合いだった。なぜならそこは敬虔なクリスチャンの村だったし、しかも断食中だったから。そんな村で、この主人公ヴィアンヌ(母親)は大胆にもチョコレート店を開く。
 当然村長が中心になって追い出しにかかる。そんな弾圧にもめげず、明るく優しい彼女は、美味しいチョコを振る舞うことで、村人に溶け込もうとする。彼女に傾倒していく村人も出てくる。ということは、こちらもひとつの宗教のようなものである。
 さて、私の感想だが、宗教とは、断食とは何ぞや、ということだった。
 この村の宗教は、単なる慣習で、上からの押し付けのような気がした。人は寄りどころがないと生きていけない人もいる。宗教を信じるのは、自分のためで、断食は自分を戒めるためのものだろう。
 また、チョコレートの効能を広めるため世界中を巡っているヴィアンヌも宗教を広めるのに似ている。娘のアヌークは否応なく母親についてまわらなければならない。
 しかし、ヴィアンヌがこの地を訪れた青年ジプシーに恋をすることで、事態は変わる。娘アヌークが切望したひとつ所に定着することを暗示する。いわゆるハッピーエンド。
 愛は宗教に勝ったということか。
 この映画には原作があるという。
 それは、童話のような優しさと美しさに包まれたストーリーだった。「アルプスの少女ハイジ」とか、「秘密の花園」とかを思い出させた。私の大好きなジャンルである。
 特記すべきは、主人公を演じたジュリエット・ビッシュの優しい笑顔の美しさと、青年ジプシー、ルー役の精悍な美青年ジョニー・デップの魅力だろう。
 余談だが、私はチョコレートが大好き、毎日食べないと気がすまない。
 これって、精神安定剤になるのかなあ。
 でも、ヘモグロビンの数値が少し高いのは、…どうなんだろう?
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2015年05月27日

映画“アンナカレーニナ”

 2012年 イギリス映画  原作 トルストイ「アンナカレーニナ」
 監督 ジョー ライト 
 キャスト  キーラー ナイトレイ  ジュード ロウ  アーロン テイラー=ジョンソン

 この映画がテレビ放映された時、私は迷わず録画した。
 なぜなら、この手の物語、いわゆる19C西洋の貴族社会の物語が好きなこともあるが、アンナカレーニナはあまりにも有名、社会人になって毎月配付される文学全集を購入していたのだが、その中に含まれていて、で、原作を読んでいたこともある。
 しかも私には思い出深い映画だったから。
 そう、過去に1度劇場で観たことがあるのだ。
 しかも、私が初めて異性とデートした時である。19歳だった。
 その時のアンナ役はヴィヴィアン・リー、美しかった。
 今回のキーラー・ナイトレイはどちらかというと個性的な美人で正統派美人ではない。その点ヴィヴィアン・リーは、気品がありそれでいて妖艶で、役ぴったりだったような。
 前場面を通してその1948年の作品は、もっと重厚で暗いイメージだったような。
 当時の私はこの映画の内容があまり理解できなかった。そして、デートに選ぶ映画ではなかった、と思ったことを覚えている。
 それは気持ちが滅入るばかりだったから。しかもデートの相手は、私の片思いの男性で、私から大胆にも無理に誘ったこともあり、彼がつまらなそうにしていたことが、さらに気持ちを落ち込ませた。
 そんな苦い思い出の映画だが、私の好きなジャンルであることには間違いない。

 「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」
 原作の冒頭のことばである。
 この物語は2人の女性、いわゆるアンナとキティー(兄嫁の妹)の生き方を対比させることで、このことばを示唆しているのではないだろうか。
 アンナは美人で聡明、裕福で地位のある夫と可愛い息子がいて、何の不満もない幸せなセレブ生活を送っていた。
 そこに突然現れた若くてハンサムな貴族将校から、熱い愛の告白を受けたとしたら。
 アンナは夫と子供がある身、他の男性に恋愛感情など持つはずはないと自分に何の疑いも持っていなかった。……ところが男の度重なる熱い想いに触れた時、プツンと恋愛感情の鍵が解放されてしまった。 その時、女はどんな行動に走るのか。 アンナは真の自分の気持ちを知る。いかに自分が満たされていなかったかを。それからは、恥も外聞も捨てて男に溺れていく。
 夫には触られるのも虫唾が走るほど、本来の恋愛体質になっていくが、ただ母性は増すばかりだった。息子は失いたくないが、ヴロンスキーとは一緒になりたい。何かを得るためには、何かを捨てなければならない、という掟が守れない。両方とも欲しいアンナ。それがために離婚がままならない。当然ヴロンスキーもストレスがたまる。外でうさをはらすこともある。アンナは男を独占したいあまり、彼の愛を信じられなくなる時も。
 不倫愛の行く末は、破滅か心中しかないのがお決まり。
 アンナの場合、アンナは自殺し、ヴロンスキーは志願して戦地へ赴く。原作はどうだったか忘れたが、きっと、戦死するのだろう。
 映画では、後年、夫のカレーニンが、息子とアンナとヴロンスキーの間に生まれた娘を引き取って育てている姿があった。
 結局だれが1番幸せで、だれが1番不幸だったかを考えてみた。
 アンナはヴロンスキーと出会ったことが、幸福と不幸の始まりだった。
 彼との間に娘が生まれるまでは、紆余曲折はあったが、アンナが1番幸せだったのではないだろうか。その後は愛が強ければ強いほど、不安が増え、モルヒネがないと眠れないほどボロボロになっていった。そして死。そこではアンナが1番可哀そうで不幸だった。
 私の感想は、結局アンナが1番幸せで、1番不幸だったということ。
 それに対比して義妹のキティーは、ヴロンスキーにふられたが、禍転じて福となる、で心優しい地主のリョーヴィンに乞われて結婚し、平穏な生活を送る。
 人間の一生、太く短く生きるのか、細く長く生きるのか。
 そしてどちらが幸福といえるのか。
 それは誰にもわからないことである。
 ただ、私は、細く長く生きるのがいいかなあ。
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2015年04月29日

大河ドラマ“花燃ゆ”第17回

 今年の大河は視聴率が低いといわれるが、私はけっこうおもしろいと思っている。毎度のことだが私のように録画して観る人が多いのではないかと。で、視聴率はあてにならないのでは…。
 さて今回のタイトルは「松陰最期のことば」だった。
 明治維新のヒーローはたくさんいて、過去の大河ドラマでもいろいろな人にスポットが当てられた。
 今回、吉田松陰の生涯を詳しく知ることができたのは、ほんとうに興味深いことだった。
 私が抱いていた彼の印象は、常に獄中にいて、髭もじゃの姿で読み書きをしている姿である。
 彼が、なぜ投獄の身になったか、彼を師と仰ぐ優秀な仲間たちのその後、安政の大獄へのいきさつ、はたまた彼の業績、何より彼がいかに家族から愛されていたかを、この「花燃ゆ」を観て、私ははっきり認識した次第である。
 また、教科書等に載っている松陰の人物画を塾生が描いている場面もあった。「へえ〜、こんな風にして描かれたんだ」と思った。
 今回で吉田松陰は画面から消えるだろう。
 処刑されたことを知った両親と兄の悲しむ姿を観て、私も貰い泣きした。
 彼の辞世の歌はあまりにも有名だが、はずかしながら吉田松陰の歌とは知らなかった。
 さすがに上手いと思うが、家族に大事にされていた彼の素直な心の表れだと思った。
 「親思う心に勝る親心 けふの音づれ 何ときくらん」
 いまひとつは彼が座右の銘にしていたという孟子のことば、
 「至誠にして動かざるものは未だ有らざるなり」→「誠を尽くせば何人も心動かされない者はいない」
 でも彼は、結局、井伊直弼の心を動かすことはできなかった。
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2015年04月15日

映画“はじまりの道”

 2013年  日本映画(松竹)
 監督 原 恵一
 出演者 加瀬 亮  田中裕子  ユースケ・サンタマリア  濱田 岳

 この映画は、木下恵介監督の生誕100年を記念して作られたもので、戦時中における木下家の生き様と、家族愛の物語だった。
 木下恵介は子供の頃からの夢だった映画監督になることが出来、映画を撮ることも出来た。
 しかし、その時世が、自分の信じる映画を撮ることが許されないと分かった時、彼は辞表を提出した。そして郷里の浜松市に戻る。
 そこには、病に伏している慈母がいた。
 その慈母をリヤカーに乗せ、兄弟と便利屋人で、疎開させる1泊2日の道のり。
 いかに戦時中とはいえ、真夏の炎天下だったり、にわか雨だったり、坂道だったり、食べるものがなかったり、それは過酷なものだった。
 リヤカーを曳く方もたいへんだが、乗っている母親も辛いものだった。
 それなのに、この母親、兄弟は何一つ愚痴を言わず、ただお互いを思いやった。その姿をずっと側で見ていた便利屋は、その親想いに心を打たれる。
 そして、これはきっと、親が崇高だからだと認識する。
 そういう親に育てられれば、自ずと子供も崇高な心が培われるのだと、便利屋は確信した。
 私もそう実感した。
 幸いにも、私も人の親になることができている。
 でも、とうてい、この木下恵介の両親には及ばない。
 で、きっと子供らに孝行はしてもらえないだろう。
 この映画を見て、原恵一監督の思いを感じる。
 彼はきっと、木下監督を心から崇拝しておられるのだ。
 この映画も、木下映画によく似ていた。
 優しさと、穏やかさが、しみじみと心に沁み入った次第である。
 ちなみに、木下映画で私が好きな作品は、「24の瞳」「野菊の如き君なりき」「楢山節考」である。彼の人格が象徴されているステキな映画だった。
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2015年03月28日

朝ドラ“マッサン”最終回

 今日をもって、マッサンともエリーともお別れ。
 もう会えないと思うととても寂しい。
 3月は別れの季節。こんな別れもあるのだ。
 お2人から毎朝愛を頂いた。
 世界一美味しいウイスキーを作るまでのサクセスストーリーというより、真の夫婦のラブストーリーだったような気がする。
 マッサンはほんもののウイスキーを作るのが夢だったが、それは取りも直さずエリーの夢でもあった。エリーは夢を実現させようと頑張っているマッサンを支えるのが生きがいだったのだ。マッサンはその彼女をがっかりさせないために頑張ったのではなかろうか。
 最初から最後まで2人はお互いを思いやる愛でいっぱいだった。
 長年連れ添うと、愛も浮き沈みがあるもの。それがこの2人にはなかった。世界大戦の時でさえ、ずっと揺るぎない愛が貫かれた。これが実話というから、感動としか言いようがない。
 こんな深い絆の夫婦にも別れは容赦なくやってくる。
 昨日の放送でエリーが亡くなった。
 悲しみに暮れていたマッサン、立ち直れたのはエリーが遺したマッサンへのラブレターだった。
 最後まで、エリーはマッサンの気持ちを察し、思いやってくれた。
 涙、涙のマッサン、わたしも貰い泣きする。
 みんないつかは死んでいく。これは世の習い。仕方ないことと諦めるしかない。
 特筆すべきは、エリー役シャーロット・ケイト・フォックスの可憐さだった。しかも演技は抜群、彼女の人柄も反映されて、とても好感がもてるものだった。
 実際の竹鶴リタさんもこのようにステキな人だったのだろうなあ。もちろん竹鶴政孝さんも…。
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2015年03月17日

映画“マイ・ルーム”

 1996年 アメリカ映画
 監督 ジェリー・ザックス
 キャスト メリル・ストリーブ  ダイアン・キートン  レオナルド・ディカプリオ  
 
 19年前のアメリカ映画、なのに内容は、まさに今日本が抱えている社会問題そのものだった。
 人種や住む国が違っても、人間の営みは何ら変わらず、従って家族の確執や絆は、世界中が共通していることだと、つくづく思ったことだった。
 物語は長年交流が途絶えていた姉妹が、20年ぶりに一緒に暮らすようになって、過去にあったわだかまりを払拭し、絆を新たに構築するという話しである。
 心優しい姉ベッシ―は、自分の人生を犠牲にして、実家に残り両親のめんどうを見ていた。今では母が亡くなり、一人で認知症の父と叔母の世話で明け暮れている。
 自由奔放だった妹リ―、美容師をしながら2人の息子を育てるシングルマザーである。
 ベッシーは、自分の白血病というのっぴきならない状態を知り、ここにきて初めて妹リーに助けを求めた。
 リーは、問題を抱えている長男ハンクと二男を連れて、とりあえず実家にかけつける。
 実家には、ベッドに寝た切りの憐れな父親の姿があった。
 その父親を、献身的に介護するベッシー、しかも自身は白血病、何とか姉を助けたいという気持ちが湧いてくる。少年院へ入っているほど、心が荒んでいるハンクも、ベッシ―の溢れる肉親愛に触れて、徐々に心を解かしていく。
 最終的には、当初の目的であった骨髄移植、その適合性を検査した結果が、3人とも不適合というアンラッキーな結末に。
 でも、そこには、家族に、思いやる愛と深い絆が芽生える始まりがあった。
 この映画を観ての感想だが、家族とは何ぞや。
 それは、たとえ、長年会わなくても、一たび会って心を開けば、心は必ず通じるということ。
 なぜなら、家族には元々繋がっている絆が存在しているから。
 ダイアン・キートンがキュートで魅力的だった。
 レオナルド・ディカプリオが若くてハンサムなのにはびっくりした。
 メリル・ストリーブ、あれから20年たっているんだ。それにしては、今もあまり変わってないような…。
 タイトルの「マイルーム」だが、原題は、「マーヴィンルーム」ということ。マーヴィンとは、父親の名前だとか。
 あの部屋で、父親を囲んで鏡で遊ぶ家族の姿が象徴的だった。
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2015年03月12日

読後感“火花”

 又吉直樹 文学界2月号 文藝春秋

 又吉直樹さんはテレビでよく見る芸人さんである。
 彼は、芸人でありながら、どこか控えめで、内気で、私には、とうてい芸人には向かない性格に見えていた。ただ、服装、身なりは独特で、実は目立ちたがり屋な面もあるので、やはり芸人が好きなのかもしれないと、思ったりもしていた。
 今回、初めて彼の小説を読んだ。
 そして彼は、今は芸人が好きで職業としているが、実はあまり自分には芸人が向いていないと感じているのかもしれないと、思ったことだった。
 この小説のタイトル「火花」は、どこからきているのか。
 でだしが花火大会から始まっている。てっきりタイトルは「花火」と勘違いしていた私。
 ふつうは「花火」にするだろう。
 そこからして、彼は素人離れしていると思った。
 物語にドラマ性はない。フィクションかノンフィクションかといえば、自身の体験や複数のモデルがあるものの、きっとフィクションなのだろう。
 芸人のマニアックな世界の、ある期間の日常を描いたものだった。
 だから私は、話しの内容にあまり興味はなかった。
 決して万人受けする内容ではない。
 ただ、文章の書き方が熟練されていた。もはやプロだった。
 文章は人なり、というが、まさにこの小説は、又吉さんの人間性が顕著だった。
 優しさ、常識、謙虚さが滲み出ていたような…。
 たけしさんの映画も、普段の彼からは伺い知れぬ彼の豊かな人間性が随所に垣間見られる。
 だから、本を読みながら、たけしさんと同じように才能がある人と思った。
 この「火花」を読んで、率直に思ったことは、小説というものも、結局作家の人柄の善し悪しで、作品も良し悪しが決まるのだなあ、ということだった。もちろん、自分の考えを書き切る筆力があってのことだが。
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2015年03月09日

映画“戦場のピアニスト”

2002年 フランス、ドイツ、イギリス、ポーランド合作映画
監督 ロマンボランスキー
キャスト エイドリアン・ブロディー  トーマス・クレッチマン

 1939年〜の第2次世界大戦中、ユダヤ系ポーランド人ピアニスト、ウワディスクワ・シュビルマンが、ドイツ軍から実際に受けた迫害の体験記である。
 殺人鬼とも思えるドイツ軍が理不尽に行う虐待の嵐の中を、抵抗することもなく、ただただ逃げるだけで生き延びられたことは、奇跡としかいいようがない。
 彼の周りの親、兄弟、支援してくれた友人、ことごとく殺された。彼だって、ちょっと気を抜けば死という世界だった。
 人間あれほどの窮地に立たされれば、諦めて投げやりな気持ちにもなるだろう。まさに片道だけの燃料しか積んでない飛行機で逃げているようなもの。たとえその場を逃げおおせても所詮待っているのは死しかない逃亡生活だった。
 ただ、終戦直前に彼に食べ物を与えてかくまってくれたドイツ軍大佐は、彼を見逃したのは自分の意志ではなく「全て神の思し召し」と言った。
 実際には、彼が大佐の前でショパンをピアノ演奏したことだった。
 もちろん大佐のもともとの人格もあっただろうが、ピアノ演奏のすばらしさに感動して、生きてまた演奏して欲しいと思ってのことだったのでは。これが、神の思し召しということか。

 期せずして今ドイツのメルケル首相が訪日されている。
 安倍首相との会談の中で、「ドイツは過去ときちんと向き合って、関係国に謝罪してきた。相手国の寛容さもあって、今は友好状態にある。日本も東アジア諸国との和解が不可欠なのでは」というようなことを言っておられる。
 でもナチスドイツの仕打ちと日本の立場はちょっと違うのでは、今日の映画をみて思ったことだった。
ただ、ユダヤ系というだけで、何の罪もない市民が、虫けら以下の扱いを受けたことが、実際にこの世で行われていたなんて…… 人間の出来ることではない!
 また、ドイツ側にも助けてくれた大佐のような軍人がいた…… 人間の心があったことに救われる!
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2015年02月24日

ドラマ“渡る世間は鬼ばかり”2時間スペシャル 前・後編

 私ばかりでなく視聴者が待ち望んでいるのだろう、“渡る世間…”の続々編が2週に渡って放映された。
 岡倉大吉役の宇津井健さんが亡くなられて、どうなるのだろうと思ったが、ドラマの中でも大吉さんが、急逝されたという設定で、今回物語は始まった。
 橋田さんの一般社会のかかえる悩みにおける着眼点は衰えてはいない。
 今回のテーマは親の遺産相続問題。
 岡倉家に限らず、人は皆、一度は、それが負の財産であれ遺産相続に直面する時期がやってくる。
 その時、子供たちは夫々どんな対処をするのだろうか。
 人生で大金が入ってくる機会があるとすれば、それは退職金と親の遺産といわれる。特に親の遺産は個人に夫々与えられるもので、配偶者等何の権利も有さない。ほんとうに嬉しいプレゼントなのだ。
 私たち3姉妹も、大金ではないけれど、まとまったものを頂いた。ほんとうに親に感謝している。
 幸い私たちには親の遺言状があったため、スムーズに事が運んだ。至れり尽くせりで、これもほんとうに親に感謝していることである。
 私も親に見習って、子供たちにいくらかでも遺してやりたいし、その時は、スムーズに事が運ぶように準備したいと思っている。でも、遺すものあるかなあ。
 さて、岡倉家には大吉の遺言状がなかった。
 「おかくら」を支えていた5女の長子以外の娘4人は、相続放棄するつもりでいたのに、当の長子はおかくらを続ける意志がなかった。
 おかくらを処分して、資産を5等分すると宣言する。
 それを聞いた娘4人は、予期せぬプレゼントにときめかないはずはない。夫々使いみちに夢をはせる。当然のことである。
 しかし、事態は、そう簡単にはいかなかった。
 長子の長女日名子の反発。おかくらを継ぐことを目標にお店を手伝っていた彼女は、家を出て料理の修行をするという。
 長子は日名子の熱意にほだされて、おかくらを存続させることを決意する。
 そこで取った長子のアイディアがすばらしかった。
 遺産相続は5人で当分し、ただしその分はおかくらに投資してもらう。すなわち株主になってもらうということ。将来利益が出たら配当をもらえるという夢がある。姉妹でお店を支えるという責任もうまれる。
 橋田さんはすごいと思った。
 まず1人が相続するという話は、リアル社会ではありえない。そこを踏まえてこのようなストーリーになったのだろう。
 他に、真の舅の介護問題もあった。
 これは、あまりにも出来過ぎという感じはした。
 でも、お金さえあれば、ちゃんと介護してくれる施設があるんだ、と思った。
 となれば、我々は、これからそのお金を貯めなければならないのだ。
 こちらはまだ問題が残りそう。
 また、来年も続編をお願いします。橋田壽賀子様。
 あと、今回勉強になったこと。
 遺産相続税の改正。
 基礎控除が5,000万円から3,000万円に
 改正前:5000万円+1000万円×法定相続人の数
 改正後:3000万円+600万円×法定相続人の数
 ゆえに、子供2人が法定相続人の場合、4,200万円までが非課税ということ。
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2015年02月07日

読後感“私の男”

 桜庭一樹著  2007年文藝春秋社  2008年直木賞受賞作品

 私の財布の中にこの本の名前をメモった紙が昨年の暮れから入っていた。年が明けて暇になったら図書館で借りて読もうと思っていたのだ。で、先々週金曜日に図書館に出向いたら、一発で借りることができた。
 何か映画にもなっていたらしいが、私は何の評判も知らなかった。ただ、直木賞受賞作品ということと、「私の男」という怪しいタイトルに興味を持っただけである。著者名を見て驚いた。男名だったから。受賞時、テレビや写真で、確か女性だったような。
 読んでみて、はっきり作者は女性だと認識した次第である。
 さて、読後感であるが、
 まず、この作品のジャンルは、恋愛小説なのか、サスペンスなのか、あるいはドキュメンタリーなのか、はたまたヒューマンものなのか、単なるエロ小説なのか?
 どれにもあてはまらない。人間としてのタブーの世界に踏み込んだ現実を、赤裸々に描くことが文学なのか、何か意図はあるのか。でもこれが直木賞を受賞したわけで…。
 
 この小説には、テーマがいくつかある。
 実際にあった奥尻島大地震・つなみ、 船員家族の不倫による不義の子誕生、近親相姦、性的虐待、殺人等である。
 物語は震災孤児の女の子が大人になるまでの壮絶というべき生き様である。
 それはおぞましいというか、へどが出るようなものだった。でも読者は恐いもの見たさというか、半分目隠しながらも、つい覘いてしまうような、非人間つまり獣のような生活だったのである。
 主人公花は、心地良く生きるためにはこうした方がいいという本能を常にかぎわけていたのだろう。そのために殺人まで犯してしまう。圧巻は娘をかばうため、父親まで殺人を犯す。
 当然親子の行く先は、破滅か死しか考えられないこと。
 なのに、物語は、娘は普通の結婚をして、父親は失踪というかたちで終わった。
 えっ!これって、ありなの? いけないでしょう? それこそ世の破滅になるのでは。
 この前の東日本大震災でも、人生を狂わされた人たちが数多くいるだろう。皆健気に生きているはず。
 花の心の根底に常にあったのは、家族に取り残された悲しみ、疎外感だったのではなかろうか。肉親愛を乞い続けた結果がこうなってしまったのでは。悲劇だった。
 もうひとつこの小説で特記すべきは、時間的に過去に遡って書いてあること。
 私は当然1章から読み始めた。
 2章に入った時、あれっ!これ、1章の前段ではと感づいた。
 で、6章から逆に読んでいった。
 結末が分かって、読むのもありかな。いろいろ吟味しながら読めるから。

 ちなみに映画のキャスティング、観てはいないが、あっているような。
 二階堂ふみさん、童顔ながら身も心も長けている役、上手い。
 「官兵衛」での淀殿役、最初はどうかな、と思ったが、だんだんはまってきたのには驚いたもの。
posted by hidamari at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 読後感・映画の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月30日

新春ドラマ“我が家”

 2015年1月4日  TBS特別企画ドラマ
 作 井沢 満  
 キャスト 向井 理  田中裕子  村川絵梨  長塚京三

 録画していたのを、最近観た。
 向井 理さんはこのお正月、国仲涼子さんと結婚された。美男美女カップルである。なんだかなあ、という感じで、正直なところ、もうファンではない。自分でもこの気持ち不思議である。
 田中裕子さんが好き。それだけで、録画していた。
 本当に田中裕子さんは、このような自然体の普通のおばさん役が上手い。
 向井理演じる主人公一歩は、現代社会ならではの人材レンタル会社に勤務するスタッフである。私はまず、この職業にも興味があった。頼まれれば、恋人役も父親役もどんなシュチエーションでも演技でこなしていく。言い換えれば、ここに頼めばどんな役でもやってくれるということである。これがまさに今の社会に受け入れられていて、けっこう需要があるみたいなのだ。
 物語は、一歩の妹が結婚するにあたり、久しぶりに家族が揃うことに。しかし父親は蒸発して行方知れず。そこで、父親役を自分の会社のスタッフに頼む。
 うまくいくはずだったが、そこに何と実の父親が帰ってくる。一歩は家族を捨てて蒸発した父親を許していなかった。ところがずっと苦労して子供を育て上げた母親はその極悪非道ともいえる父親を迎え入れるどころか、心から喜んでいる様子。
 解せない一歩、父親に対する憎しみと恋慕が交差し、とっくみあいの喧嘩までする。
 死を覚悟して再び家を出る父親。
 ところが最後は、なぜか妻の元に戻り、家族の絆を取り戻してハッピーエンド。
 感想だが、どこにでもいる普通の家族思いの母親も、一皮むけば、人間の女性のどろどろした部分も持っているというか、持っていたのだということ。人間そうそう聖人ではいられない。船員である夫の家庭を顧みない奔放な素行にふと寂しさを覚え、不倫に走ってしまった妻。
 夫はそれを知って、家を出る。妻は罪の意識にさいなまされ、何も言えず、ただ帰りを待ち続ける。
 この場合、男の方が、度量がなさすぎる、と私は思ったが。女は責められない。彼女は普通の女性より少し気が強く、プライドが高かっただけ。やったらやりかえす、それを実行した。だからこそ、男はようやく気がついたのだ。妻や家族が大事だったことを。
 それでもやはり妻を許せなかった。だから出ていった。…のだと私は思った。
 こんな夫婦の機微を、子供たちは理解できない。
 そして長い年月が全てを洗い流してくれる。
 これは夫婦にとって、さけて通れなかった道のりだったと思ったことだった。
 でも、最後ハッピーエンドになってこそいえたことではある。
posted by hidamari at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 読後感・映画の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月27日

映画“1枚のはがき”

 2011年 日本映画
 新藤兼人監督  キャスト 豊川悦司 大竹しのぶ

 テレビで広告画面を見ていたせいか、見た映画のような気がしてならなかった。ただ、劇場で観た記憶がないのはやはり観ていないと思い、今回録画した次第である。で、やはり観ていなかった。
 
 99歳新藤兼人監督の遺作である。
 彼の奥様は故音羽信子さん、彼女が最後に出演した映画、“午後の遺言状”が新藤監督最後の作品になると思っていたら、その後も何本か力作を撮っておられることに驚き。
 でも彼が、本当に遺言としたかったのは、戦争体験者として、戦争の悲惨さ、理不尽さを、後世に伝えることだったのではなかろうか。
 戦争に翻弄された庶民の苦闘と諦め。
 そこには泥沼のような光のない生活しかなかった。
 主人公大竹しのぶ演じる友子は、戦争で次々に家族を失くしてしまい、もはや自身が死ぬことしか残されていなかった。
 そこへこれまた戦争により人生を狂わされた生き残り中年兵士、豊川悦司演じる裕太が、友子の戦死した夫から託された1枚のハガキを持って現れる。
 そこで奇蹟が起こる。傷ついた者同しが心を通わせ、人間らしさを取り戻すのである。
 2人は素直気持ちで再生の道を歩き始めた。
 この映画は戦争映画ではない。
 戦場での画面は私の記憶にはない。
 いわゆる戦争にまつわる人間ドラマである。
 私が小さい頃は、まだまだ戦後の混乱期だった。
 身の周りにも、この映画のようなケースはいくらでもあった。
 現に義兄は両親が再婚して生まれた長男である。母親は父親の戦死した兄の妻だった。義兄は長男だが、戦死した兄の子供、いわゆるお兄ちゃんも既にいたのである。
 こんな話しはたくさんあった。
 また、裕太のような妻と父親が再婚していたというケースは稀だろうが、妻が友人と再婚していたり、見ず知らずの人と再婚していたりするケースはよく聞く話しだった。
 戦争さえなければ、何もこんなむごいことはあり得なかっただろう。
 ただこの映画はハッピーエンドに終わった。
 新藤兼人監督の優しさだろう。それが救いだった。 
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2015年01月08日

大河ドラマ“花燃ゆ”

 第1回を今日録画で観た。
 吉田松陰の妹、杉文の生き様を通して見る幕末、明治維新の激動の時代が描かれる。
 幕末のヒーローはたくさんいるので、誰を主人公にするかで物語はいくらでも出来るし、そのどれも外れがないだろう。
 今回は、長州藩の吉田松陰を軸として、それも妹の文が主人公だから、特に女性の私としては興味がある。脚本が若手の女性2人、歴史ドラマとして史実を基本にしながらも、ホームドラマ的要素も入れてもらいたいなあ。
 今日画面を見ていて、覚えのある箇所が随所にあって嬉しかった。
 長崎の興福寺や出島も出た。現地ロケしたのかなあ。
 萩には観光旅行で行ったことがある。
 松下村塾が意外と小さかったことや、高杉晋作の生家、桂小五郎の生家等も意外とこじんまりした家だったことを思い出したが、今日見た画面では吉田松陰の家大きかったなあ。きっと今あるのは、遺跡とするため、コンパクトにしたのかもしれない。
 とにかく萩の町はきれいだった。
 ここで、文はのびのびと気高く生きていくのだろうか。
 タイトルの「花燃ゆ」の字は、英漢字書道家の國重友美さん、俳優西村和彦さんの奥様である。
 花がflowerなのかなあ?よく分からない。でもりっぱな字。
 語りが池田秀一さん。懐かしい。子役だった人。
 それに今日は野々村真さんのお嬢さん香音ちゃんも出ていた。かわいかった。
 見どころ満載、楽しみである。
※花⇒fℓℴwℯr  関係サイトで教えてもらい分かりました。
posted by hidamari at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 読後感・映画の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする