2014年04月06日

朝ドラ“花子とアン”

 第1回を観た時、「おしん」を思い出した。
 時代背景や主人公の環境がよく似ていると思った。
 ただ、「おしん」が月としたら、「花子とアン」は太陽だろう。
 どこが違うのだろう?
 根本的に違うのは、「花子とアン」の主人公は実在の人物ということ。
 それが何より興味深い。
 しかも私が今でも大好きな本「赤毛のアン」「小公女」「秘密の花園」「ふしぎな国のアリス」等を翻訳した人の物語だなんて、なんと素晴らしいこと!ワクワクしてしまう。
 さて、今週は花が幼少の頃の話し。
 「おしん」と違うのは、家族の存在、特に父親が子供の才能を見抜き、教育を受けさせようと必死になるのが特筆すべきである。
 最近、発表されたことに、親が裕福だと子供の学力も高い、親が貧乏だと子供の学力も低い、ということだった。ということは、人は生まれながらにしてその人の歩む人生は決まっているようなもの、だということである。
 しかし、今の時代でも、花子の父のような親がいたら、貧乏でもきっと花子のような偉人になりえるのではなかろうか。
 それにはまず子供の才能を見抜くこと、これはおおいにDNAが関係する。花はきっと母親と父親のいいところを受け継いだのだろう。次に、家族総出で花を応援するというのは誰にも真似出来ることではない(しかし現代でもアスリートの世界でよく見られる光景ではあるが)。祖父も最終的には、花を大きな愛で包み応援するのではなかろうか。
 結局花は、周りの人に恵まれ、またその人たちに助けらて成長していくのではなかろうか。
 今回感じたことは、親の役目ということだった。
 親はいかに早く、子供の才能を見抜き、それを延ばすべく、努力をしなければならないか、ということだった。
 とにかく、幼少時代の子役さんが、必死にこなしているのがかわいい。隣の朝市君の人間性がすばらしい。あんな子、実際には見たことない、花子はいっぱいの愛情の中で、心豊かに育まれていった第1週間だった。
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2014年03月27日

今週の「ごちそうさん」

 土曜日で終わってしまう「ごちそうさん」
 願うのは、悠太郎さんが帰還して、その顔を画面に見せてくれること。足音だけとか意地悪をしないで!
 さて、今週は甲子園球場で開催される予定だった高校野球が、GHQのお家騒動で、開催が危ぶまれる話から始まって、それをめ以子の力で打破して成功させるという話しであった。
 私が感じたことは、アメリカでも日本同様、組織というのは、管轄間の面子や、上下関係に縛られているのだなあ、ということ。
 甲子園で開催することを、米軍の神戸軍政部は許可したのに、学生野球を管轄している民間情報教育局が、親方である当局を無視したと、いちゃもんをつけたというのだ。いかにも日本的だと驚いた。
 もっと驚いたのは、関係者が情報局モリス大佐に直訴した結果、それがいかにも日本的な情状的方法で解決したこと。
 親が子供を思う気持ちや、胃袋を満たされる喜びは、敵とか味方とか関係なく、皆同じだということ。
 もっといえば、敵国であれ、個人個人は誰も悪くないということが、リアルに分かった今日のドラマの展開だった。
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2014年03月18日

映画“しこふんじゃった”


1992年 日本映画  第35回ブルーリボン賞作品賞 第16回日本アカデミー賞優秀作品
監督 周防正行  出演者 本木雅弘 竹中直人 清水美沙

 この映画は、当時、いろいろな賞をとって相当話題になったことを覚えている。だからテレビに放映された時、遅まきながらこれは観る価値あり、と思って録画した。ところが、なかなか観る機会がなかった。それが、今日やっと観ることが出来た。
 ひとことで言うと、相撲を通してのスポ根ものといっても、終始笑いの絶えないコメディーであった。
 廃部寸前弱小相撲部のかき集めメンバーが、個性がありすぎて面白すぎる。
 特に、唯一の正部員である、竹中直人の面白キャラクターが際立っていた。
 ただ相撲は素人だったとはいえ、主人公の本木雅弘の均整のとれた美しい肉体は、最初から魅了された。
 物語としては、就職が決まっているのに、単位が取れていない本木演じる秋平が、単位を貰えるという条件で相撲部に入り、何回となく試合に挑戦するが、ちびっこにも劣るという醜態から、徐々に根性をつけ、優勝するまでに成長するという、ありふれたはなしである。
 特記すべきは、劇中で、オオタカ静流の曲「悲しくてやりきれない」と「りんごの木の下で」が流れること。ほのぼのとした気持ちになり、心が和んだ。
 実は、私が唯一ダウンロードしている曲が、オオタカ静流の「悲しくてやりきれない」と「みんな夢の中」なのだ。
 だから、この曲が流れた時は、周防監督をとても身近に感じた次第である。
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2014年03月08日

読後感“色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年”

著者 村上春樹  2013年4月書き下ろし 文芸春秋社

 ずっと前に図書館に予約していたのが、先頃、順番が回ってきた。
 私が読みたいと思った訳は、やはり作者のネームバリューと、その本の評判だった。
 まず、このタイトル、副題かと思えるほどの長さだが、かえってインパクトがある。しかも、難しくて意味が分からない。それが作者の意図するところかもしれない。なぜなら、その意味を早く知りたいという課題を持って読むことが出来るから。
 取りつきの登場人物が仲良し高校生5人組みのから始まったので、青春群像もの?と思った。 石原慎太郎の「太陽の季節」を思い出した。
 しかし、会話がいちいち小難しい。ロシアの文豪トルストイの作品を思い出した。
 と、思いきや、突然、サスペンスのような展開になり、どうしても先が読みたくなる感情が湧いてくる。
 で、なんと1日で読了することが出来た。
 作者が、読者を意識した構成だと思った。短編に区切ってあるのが、より読みやすい。
 ストーリーは、ごく平凡なことだが、読み方によっては、深いものがあるのかもしれない。
 私が読み始めてすぐに心を動かされたのは、自分に身に覚えのない所で、周りの人や或いはある人に無視されだしたり、嫌われだしたりすることが、人には心当たりがあると思ったからだ。その原因を知りたいと思う一方、知るのが恐い、なぜなら、自分には何か致命的な欠陥があるのかもしれないと思うからだ。ところが、この物語では、それはごくありふれた原因だった。当然誤解だったのだが、彼がレイプ犯罪者と思われたからだった。
 彼に何の落ち度も欠陥もなかったことは、私にとって肩すかしのものだった。
 
 つくるはこれが知りたくて、4人の友人を1人ずつ訪ねる。読者もそれが知りたくて、ただひたすら先を先をと読み進んだ次第である。それなのに、原因が1人の女友だちの妄想から出た嘘だったとは。
 それからつくるは被害者として、なぜそんな嘘をつかれたかを知るため、4人を訪ね歩く。最後、女友だちクロを訪ねてフィンランドまで辿りつく。フィンランドの設定に何の意味があるのかよく分からないが、いかにも村上さんらしく洒落ているといえばそうである。
 そこで、つくるは、実は自分が被害者ばかりでなく加害者であったかもしれないということに気が付いた。
 そこが深いといえば深い。私も共感するところがある。
 さて、タイトルの意味だが、1年をかけて自分が仲間外れにされた原因を探る巡礼にでるのだが、実は「巡礼の年」というリストのピアノ独奏曲(シロがよく奏でていた)にかけてあったという話。色彩を持たないつくる、の意味は名前からきていることが読み出しの所ですぐわかる。
 最後、結論だが、またもやうやむやに終わった。はたして沙羅と結婚できるのか? 
 続編があるのかなあ。
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2014年03月01日

今週の「ごちそうさん」

 戦時中の苦労話や悲しい話のドラマや映画は数多くある。
 私が真っ先に思い出す映画は、「二十四の瞳」である。
 小豆島の子供たちの戦前、戦中、戦後の辛いさだめ人生を、涙なしでは見られなかった。全体を通して切なくて悲しい物語だった。
 最近の朝ドラでは、「お日さま」が、戦前、戦中、戦後を生き抜いた女性の物語だった。
 これらの物語は戦争という時代の固定観念を、だいたい満たすものだった。

 「ごちそうさん」は、ごく一般的な家族の、昭和を駆け抜ける話しである。
 決して反戦的な視点で描かれている訳ではない。
 それだけにリアリティーがある。
 当時庶民が、戦争というものをどんな気持ちで受け止めていたかがよく分かる。
 日常がだんだん変わっていく様、否応なしに戦争に巻き込まれていく様が、たんたんと描かれていく。
 まだ中学生の我が子が志願して戦地へ行ったり、戦地に赴く男性の子孫をただ残したくて結婚する娘がいたり。
 それは、普通では考えられない悲惨な出来事の連続である。
 しかも、今日は、夫の悠太郎が満州へ赴くシーンだった。
 それでもめ以子はいつもと変わらぬ笑顔で、明るく元気に送りだす。
 明るければ明るいほど、なぜか哀しい。
 当時の庶民生活は、たいていがこんな風だったのだろう。
 日常が壊されていく不条理、大切な家族が何の意味もなく亡くなってしまう不条理。
 今回改めて戦争の悲惨さを思ったことだった。
 そして、ふと私の頭の中をよぎったこと。
 「集団的自衛権」て何!

※今日夫は元職地区囲碁例会に出席。
 成績――9段でして2勝3敗――次回から降段
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2014年01月30日

映画“ママの遺したラブソング”

2004年 アメリカ映画  シェイニー・ゲイベル監督  
キャスト ジョン・トラボルタ  スカーレット・ヨハンソン  ガブリエル・マット

 母親に捨てられていた娘が、その母親の死によってもたらされた、新たな人間関係とその絆がテーマのヒューマンドラマである。
 子供は何も望んでその人の子供になるわけではない。しかし、生まれたからには、子供はただひたすら親の愛を求めて生きていく。たとえ捨てられても愛を乞い続ける。
 主人公ルーシーは、憎んでさえいた母親が、実は生前周りの人たちからいかに愛されていたかを知り、少し驚く。
 母親の住んでいた故郷ニューオーリンズの実家に帰ってきたルーシーは、その母親の恩恵で、見知らぬ同居人や近所の人に愛され大事にされる。
 最初は、訳の分からない、初老の男性(ボビー)と作家志望の若い男性(ローソン)2人の同居人をうざいと思っていた。しかし、この2人の真の優しさや思いやり、それにのどかなゆったりとしたニューオーリンズの町に癒されて、やさくれた気持ちが浄化されていく。
 しかし、現実は現実、あかの他人を家に住まわせていくわけにはいかない。家を売り払おうと決心した時、亡き母親の手紙を見つける。そこで知った実の父親の存在。それは同居人ボビ―だった。それは、早々に観客側には想像できたことだ。
 エンディングでルーシーとローソンが手を繋ぎ、ボビーと母親のお墓参りをしていた。ということは、ボビーが亡くなり、きっとローソンとルーシーが父親の最期を看取ったのだろう。
 いわゆるハッピーエンド。めでたしめでたし、で終りほっとする。
 
 この映画を観ての感想だが、内容的には、盛り上がりのない普通のドラマだった。
 ただ、ルーシーを演じたスカーレット・ヨハンソンがかわいかった。鱈子唇は日本人好みと思ったが、アメリカでも好まれるのか。
 ジョン・トラボルタが劇中で歌っていた曲に聴き覚えがあると思ったら、かつて日本でヒットした菅原洋一のあの「知りたくないの」の原曲だった。他の、ジョン・トラボルタのカントリー曲、歌がステキだったということ。
 
 蛇足だが、実家の父親が亡くなった後、いろいろな所で父の生前の話しを聞いた。みんなお誉めのことばだった。父が私たちの知らない所でいかに慕われていたかを知ったことだった。この映画を観て、ふとそんなことを思い出した次第である。

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2014年01月08日

映画“永遠の0”

2013年12月 日本映画  百田尚樹原作
監督 山崎貴  出演 岡田准一  三浦春馬  井上真央

 元旦に劇場で観た映画である。
 実はこの映画がどんな映画か知らなかった。
 ただ、お正月映画を物色したところ、その中でこれが1番いいだろうと思った。
 それで、少し下調べすると、原作が百田尚樹さんだということが分かった。
 百田尚樹さんについては、昨年「海賊と呼ばれた男」という本がベストセラーになり、さらには本屋大賞を受賞されたことで大ブレイクされたということだけ知っていた。
 この「永遠の0」は2006年に発表され、2012年にベストセラーになったとのこと。
 映画化するに当たっては、原作者百田氏のこだわりが相当あったとか。
 物語は第2次世界大戦、いわゆる戦争ものである。
 この手の映画は、過去にも数多く製作されている。
 よくある話しでさして目新しさは感じなかった。
 ただ、海軍航空隊、しかも終戦間際に行われた神風特攻隊に的を絞り、その人間模様が描かれていたのが、分かりやすかった。
 岡田准一さんが演じる主人公が、今からみると至極当たりまえな正しい感覚の持ち主だったのにも関わらず、臆病者扱いにされていたこと。
 しかし彼も、最後には無益なことと分かっていながら、国の方針に従わざるを得なかったこと。
 私が思ったことは、今一歩勇気を出して、出撃することを拒否出来なかったのだろうか、ということだった。
 これは、百田氏が親戚の特攻隊あがりの方から聞いた話しに基づいたものということ。
 私は一種の反戦映画だと理解したが…。
 しかし、このところの情報によると、百田氏は安倍総理に靖国参拝を進言したとか。戦争責任者が祀ってある所なのにどうして?と思ってしまうのは私だけ…。

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2014年01月06日

大河ドラマ「軍師 官兵衛」第1回

 いよいよ始まった「官兵衛」。
 今年になって、岡田准一君の顔をあちこちで見るようになった。
 私は元旦に映画でも見た。
 今までジャニーズの1人として知らなかったわけではない。
 ただ、黒田官兵衛より知らなかったかも。
 でも今回、いろんなところで彼がトークしているのを見て、彼がとても素敵な男性であることを知った。
 彼はちゃんとした役者になるために、日夜努力しているという。彼は元々歌手である。だから歌、ダンスはもちろん、ピアノも弾ける。さらに武術や馬術、歴史の勉強と、向上心が半端でない。
 今回の官兵衛に対する意気込みも、ひしひしと我々に伝わってくる。
 当然ながら、大ファンになってしまった。どうか成功してほしいと願わずにはいられない。

 満を持して幕をあげた第1回。
 脇役にあまり大物がいないきらいがあるが、それを彼が1人でどうもりあげていくのか。そして新たなスターを作っていくか、それが今後このドラマがおもしろいものになるか否かの鍵ではなかろうか。
 ストーリーは、人気のある戦国時代、しかも官兵衛に関するいろいろな資料が、ここにきてにわかに流布しているので、筋道は周知のことである。
 脚本や、役者の演じ方が重要視されるところだろう。
 さて、第1回を観ての感想だが、主に子供時代の官兵衛の様子だったが、つかみはOKではなかったか。次回も見ようという気になったから。
 出だしは、官兵衛が小田原城へ説得に行くシーン。
 あれは必要だったの?
 あまりインパクトがなかった。
 それにしても、視聴率が低いのはなぜ!
 ちなみに私は録画して観た。
 毎回言うようだが、録画はカウントされないのかなあ。
 視聴率モニターもきっと録画して観ていると思うけど。

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2013年12月17日

大河ドラマ「八重の桜―最終回」

 1年間早かった。おもしろかった。特に後半は毎回感動させられた。
 八重さん、ハンサムウーマン、とはよく言ったものだと感心する。
 幕末のジャンヌダルクというキャッチフレーズだったが、彼女の生き様はそんなものをはるかに超えた素晴らしいものだった。
 彼女は元々頭のいい人なのだ。
 その上彼女を取り巻く環境は全て、クォリティーが高い。
 中でも、兄の覚馬の存在は大きい。
 知識と逞しさは兄から、博愛精神は夫の新島襄から、受け継がれたのでは。
 彼女は、必然的に、世のため人のため、という献身的な行いに労を惜しまなかった。
 今の日本にこれほど優秀な女性がいるだろうか。
 たとえ、いたとしても、このような人は、リアルタイムに世に出てこない。
 さて、後世で有名になる女偉人がいるとしたら、果たして現在の誰なのか?

 視聴率が低かったという話しだが、ほんとうだろうか?
 綾瀬はるかさんの演技も、本物だと思ったのは私だけではないはず…。  

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2013年10月16日

NHK朝ドラ「ごちそうさん」

 始まって早くも3週目である。
 あっという間で、もう「あまちゃん」のことは忘れそう。
 今回は始まる前から楽しみだった。
 なぜなら、私は大正〜昭和初期の風俗が好きだから。
 亡き母は大正初期に生まれ、女学校を出て満州大連に渡りデパートに就職し、父と結婚した。
 その後、大東亜戦争になり、戦後命からがら引揚げてきた。
 その母の昔話しは、晩年、母の女学校時代の話しや、戦争前の満州での楽しい生活ばかりだった。
 その頃の母の写真は、きものにはかまや、長いスカート、ふんわりした髪にリボン、たまには帽子と、とても大人びている。そして今観ても見てもモダンである。私の憧れだった。

 「ごちそうさん」の主人公め以子は、ことのほか背が高い。当時これは相当コンプレックスではなかったか。ゲゲゲの女房では、さほどでもなかったのに、あんなに気にしていたのだから。
 しかし、め以子はそれを補うほどの美人である。
 これは作者がすでに杏さんを初めから主人公に考えていたのだろうか。
 だから、相手役にあんなにイケメンの長身、悠太郎さんを持ってきたのだ。
 これは作り話だからであって、事実はこう都合よくいかなかったのでは、と思ってしまう。

 そんなことはさておき、大正時代の風俗とお料理、ストーリーとは別に楽しめる。
 もちろん、ストーリーも明るくて平和で、朝ドラにぴったり。
 自然とめ以子に応援したくなる。
 杏さん、頑張って!

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2013年10月10日

読後感“ホテルローヤル”

著者 桜木紫乃(さくらぎしの)  2013年集英社発行  第149回直木賞受賞作品

 桜木紫乃さんは1965年生まれだから、今年48歳。 彼女は作家であるが、主婦でありお母さんでもある。直木賞を受賞されてから一躍有名になられた。
 「笑っていいとも」に出られたのを見て、私はこの本を読んでみたくなった。 図書館に予約を入れたら意外と早く順番が回ってきた。

 7編の短編からなる小説だが、7編は全てどこかにホテルローヤルをモチーフにしたストーリーだった。またこれは「小説すばる」に連載されたものらしいが、今回単行本にするにあたり、「本日開店」の章を書き下ろしされたことで、互いの章がリンクされ、繋がったかたちになっている。ただ、現在から過去へと遡っていく形。
 それが分かったのは、最後の章「ギフト」を読んでからだった。
 その中で、田中大吉、ホテルローヤルの社長、亡くなる間際に言ったことばが、「本日開店」だったのだ。
 
 さて、私の率直な読後感だが、ストーリー的には、何も目新しいものではなく、ラブホテルで繰り広げられているよくある話を書きあげたものだった。かといって、性愛描写が過激という訳でもない。むしろうら哀しいものばかりだった。   
 実際、この手のラブホテルを利用する人たちに、きらびやかさや幸福感などあるはずはない。ここにある世界は、ある種の人生の縮図かもしれない。作者は、第三者の目でたんたんとその様子を描きたかったのだろう。
 お寺さんの坊守さんの話は、さすがに驚いたが、あり得る話しではある。
 我が町にもラブホテルは点在しているが、殺人事件もあるし、パート従業員として働いている近所の主婦たちは、してはいけない噂話もしているとか。

 こんな小説が直木賞を取るなんてどうして……
 それは、筆力! 表現力! の、みごとさ、なのだろう。
 よくよく考えてみると、私はただただストーリーの展開だけを追って読んでいる。文章の言い回しや、美しい表現や、景色の描写など、むしろ飛ばして読んでいる。なので、その素晴らしさが分かっていないのだ。
 だから今回も、あっという間に読んでしまった。
 でも、あっという間に読んでしまったということが、とりもなおさず、優れているということかなあ。
 少なくとも心に残る小説ではなかった。
 でも、今まで、ありそうでなかった、ユニークな小説だったのかもしれない。

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2013年09月24日

NHK木曜時代劇“あさきゆめみし”

作 ジェームス三木  演出 岡崎栄 他
出演 前田敦子 池松壮亮 他

 TBSドラマ「半沢直樹」の評判がすこぶるよく、視聴率が平成になっての1位という快挙を打ち出したことで、今話題沸騰である。
 残念なことに私は観ていない。
 私は社会派ドラマがあまり好きではない。しかし山崎豊子さんの作品はスケールが大きいので、これまで数々観ている。とても面白かった。
 今回、舞台が銀行というせまい世界のようだったし、リアル性があればあるほど、結末はハッピーではないだろうと推測出来た。
 民主主義のこの社会、決して正義が1番というものではない。私が思うには強いもの(権力)が1番なのだ。 人はそれが正義ではないと分かっていても、自分を守るため、強い人の味方をするのだ。それを誰が非難できようか。
 私はそんな理不尽な社会の現実を、いやというほど見ているので、ドラマ等なるだけなら見たくない。
 だから、「八百屋お七の初恋―禁じられた恋―実らぬ恋」、私の大好きなジャンルの物語、“あさきゆめみし”みたいなドラマが好き。
 この物語には「八百屋お七の放火事件―1683年」の実話があるそうだ。
 我々は井原西鶴の小説で、昔から馴染んでいるストーリーの展開は知っている訳だが、実は、あくまでも小説であるので、今回ジェームス三木さんのストーリーがどうなっているかは、定かではない。
 私としては、お七が生きていた間だけでも、2人がしっかりと情を結び、幸せであったような、展開に仕上げてもらいたいなあ、と願っている。
 お七と吉三、前田敦子と池松壮亮、年の頃もぴったりで、初々しくて、こちらまで胸キュンとなる。
 全10回とても楽しみである。

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2013年09月18日

TBS金曜ドラマ“なるようになるさ”

 作 橋田壽賀子  キャスト 舘ひろし 浅野温子

 橋田さんの久々の連続ホームドラマ、毎週楽しみに観ているところだが、次回(11回)をもって最終話となる。 
 終わるの、早くない?ちょっと不満に思っている私である。
 橋田さんのホームドラマは、嫁と姑の話しが定番だったが、今回のは、夫が定年間近の熟年夫婦が、現代家族の多様な生き方をコミカルに描くもの。
 橋田さんは、ほんとうに時代の流行りを察知されるのがすごいと思う。
 家族ドラマといえば一昔前までは嫁姑問題が主流だったが、今や嫁姑で悩んでいる人はめったにいない。
 悩みは、子育て、介護、夫婦間DV、若者の引きこもり等、実に多種多様である。
 橋田さんはこれらの問題を提供して、明るく解決されている。
 ドラマでは、今まで専業主婦だった浅野温子さんが、3人の子供が独立してしまってから、今度は自分のしたいことをしようと一念発起して、自宅レストランを始める。
 そこで織りなす人間模様なのだが、問題提起する登場人物が何人か出てきていて、話はこれから膨らむとばっかり思っていたが、またたくまに解決してしまった。

 このドラマを観て感じたことは、人間は生きている以上、何か人の役にたちたい願望を持っているのではないか、ということ。それが生きる糧になっているということ。ひいてはそれが幸せということ。
 定年後、お金があったら遊んで暮らせるかもしれない、でも決してそれは幸せとはいえない。人の役にたってこそ、人は幸せなんだと、つくづく思ったことだった。
 主人公のご夫婦のような、良い人たちは実際にはいないのでは、と思われがちだが、居るのです、良い人たちが。
 橋田さんも、きっとこういう良い人たちをよく知っておられるのだろう。
 彼らは人の役にたつことが楽しいのだ。だから、自分たちの楽しみのために良いことをするのだろう。
 ただ、普通の人たちは、家族のために尽くすがずっと続くわけで、そこで生きる糧、幸せを見出しているに他ならない。
 ちなみに自宅レストランが舞台というのも、今風だった。
 …あっ、次回最終話があったっけ!

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2013年09月12日

映画“すべて彼女のために”

2008年 フランス映画  フレッド・カヴァイエ監督
キャスト ヴァンサン・ランドン  ダイアン・クルーガー

 ベタなタイトルだけで、単なるラブストーリーだと思って観た映画だった。
 いきなりの強烈な濡れ場シーン、その手の映画かな、と思いきや、突然身に覚えのない殺人罪で警察に連行される、美人若妻。
 そこからストーリーが始まった。
 フランス映画特有のセリフの少ない淡々とした画面の流れだったが、後半(ストーリーでは3年後)からは、ハラハラドキドキ固唾をのんでの観賞だった。
 アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」のように、主役が悪と分かっていて警察から逃れる展開のハラハラドキドキとは違う。
 主役は善良な一介の教師、しかし彼は、愛する妻が冤罪で禁固20年の刑が確定した時、人格を変えるしかなかった。彼女を救うために、脱獄させるという方法を取る。それしかなかった。そのために3年という歳月をかけて綿密に計画をたてる。そして決行の時。そこから始まる警察とのせめぎ合いの果ての逃亡劇。
 何とか逃げおおして欲しい。必死で応援する観客(私)。
 そして親子3人、他国への逃亡はぎりぎり成功。ここで映画は終わる。
 しかし、この親子3人の人生はここで終わるわけではない。
 むしろこれからが始まり。しかも、これからは夫婦2人とも犯罪者として。
 この映画の私の感想は、冤罪がもたらす恐ろしさである。
 警察は何と罪深いしろものだろうか。容疑者(妻)は否認し続けているのに、いとも簡単に罪を確定してしまう無能さ。しかし、この映画は、そこはテーマではない。
 妻を助けるために全てを投げ打って闘う夫、その年老いた両親の息子を思う優しさ、弟の心情等、ヒューマンストーリーそのものだった。
 全体的には娯楽映画の域を出ていないが、救う手立てのない冤罪については深く考えさせられたのである。 

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2013年08月29日

ドラマ“Woman”第9話

2013年 日本テレビ水曜ドラマ
脚本 坂元祐二  演出 水田伸生
キャスト 浦島ひかり 田中裕子 鈴木梨央

 私が今観ているいるドラマは、「八重の桜」「あまちゃん」「なるようになるさ」と、「Womann」である。
 Womanを観るきっかけは、田中裕子さんが出演していたこと。
 私の中では、彼女が出るドラマに外れはないような気がする。なぜかというと、彼女は作品を選んで出ておられるような気がするからだ。
 ストーリーは親子の愛憎を描いたヒューマンドラマである。
 あらすじは現実にはありえないほど込み入ったもので、韓国ドラマを思わせるものがないではないが、親が子を思う気持ちと、子が親を思う気持ち、その複雑で屈折した微妙な表現は、やはり日本ドラマ独特のものだった。
 娘は母親を求め続けているものの、そんな自分を認めたくない。
 幼子だった自分を捨てた母、しかもあろうことか最愛の夫の死に、母が関わっていたこと、その母の娘が直接の原因だったことは、どう考えても許すことは出来ない。
 どんなに謝られても、憎んでも憎みきれない存在なのだ。
 母親の気持ちも複雑である。
 娘を捨てた罪も償えないのに、図らずも彼女の新たな幸せをも奪ってしまった罪、二重の罪におののくしかない。さらにその後に授かった娘への偏愛にも動揺する姿があった。
 母親と娘、娘を愛したいがそれは許されない、母親に甘えたいがそれは許されない、2人の微妙な心の表現が狭い台所で繰り広げられた。
 ストーリーはこれだけには留まらない。
 娘は命にかかわる重い病に。
 作者に、これほど不幸を重ねさせなくとも、と言いたいほど。
 また、娘の長女が健気で泣ける。

 このドラマ、あと1ヵ月、続くよう。
 どうか最後はハッピーエンドになりますように!

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2013年08月21日

映画“あなたへ”

2012年 日本映画  降旗康夫監督
出演者 高倉健 田中裕子 佐藤浩市 草なぎ剛 綾瀬はるか ビートたけし

 話題になったのはつい昨年だったが、早くもテレビで放映された。
 ミーハーな私は見ないわけにはいかない。
 まずストーリー性。
 ありきたりのもので感動的なものではない。
 メッセージ性、これはそれなりに奥が深かった…かな。
 主人公(高倉健)の妻(田中裕子)は、自分が死んだら故郷の海に散骨してくれという遺言を残していた。
 これによって、主人公倉島は振り回される。
  しかし、これは妻洋子の思いやりだったような。
 洋子は、きっと夫にお墓の心配などかけたくなかったのだろう。死にゆく者は、後に残る者に迷惑をかけたくないのだ。それをはっきりと遺言として意思表示することで、残る人の心を慰めることが出来るのである。
 偶然だが昨晩BSプライムニュースで「少子化時代のお墓事情」というのをやっていた。
 現代はお葬式やお墓の事情が多様化しているということ。
 倉島もご多分にもれず晩婚で妻の他に家族はいない。妻は自分が亡きあと、夫は、自分を弔うことと仕事に明け暮れる人生を送るだろうと思っただろう。
 そこで、謎解きのような絵手紙を出して、彼を旅に引き出す。 世間にはいろいろな人がいていろいろな人生を送っている。 そういう出会いを提供したのではなかろうか。 その旅先々で会う個性的な人々との触れ合いが、この映画の重要なポイントになっていた。
 この映画は80歳高倉健が堂々の主役という触れ込みで作られたもの、脇役には名のある実力者を並べない訳にはいかなかった。
 友情出演という感じがしない訳ではなかったが、ラストシーンは、ストーリーにおいて、主役を超えていたのが佐藤浩市の存在だった。
 船着き場の食堂の娘さん(綾瀬はるか)が、何と佐藤浩市の実の娘だったとは、強引といえば強引だが。
 漁師だった佐藤浩市は漁船転覆事故で死亡と認定され、保険金が家族に支払われていた。
 そのことを彼は自ら望んでいたのだ。
 それが偶然、倉島を通して、秘かに明かされていった。
 「あなたへ」というストーリーには何の関係もないが、綾瀬はるか、佐藤浩市に花をもたせてあったような…。
 でも、原作があるというから、何か倉島の生き様に関係があるのかなあ。
 無理やり考えれば、倉島が旅の途中いろいろな人との出会いの中で、他人の心の優しさ、痛みが分かるようになったことで、感受性が豊かになった。それにより、漁師とその家族の絆を気付くことが出来た。
 それもこれも妻が導いてくれたのだと、考えれば納得がいくかも。
 感想としては、映画はいい本が第一、次に登場人物にぴったり合ったキャストであって、無理にどちらかを合わせても感動は生まれないということ。
 脇役でもいい、本がよければ、健さんに合った役を、無理せずのびのびとやって欲しいと思ったことだった。

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2013年08月20日

映画“イン・ハー・シューズ”

2005年  アメリカ映画  監督 カーティス・ハンソン
出演者 キャメロン・ディアス トン・フレッド 

 対照的な2人姉妹のハートフル・ヒューマンストーリー
 アメリカ映画はアクション、サスペンス、スペクタル等のジャンルが圧倒的に多い。この映画のように、家族愛やその周囲の人間模様等日常的なことを映画にしたものは、私の中では珍しい作品だった。
 前半、日本とはかけ離れた家族文化として、理解出来ないのではと思いながら、ストーリーの流れを観ていた。
 しかし、そのうちに、姉妹の絆や、家族に対する考え方等、アメリカも日本も変わりないのだということがよく分かった次第である。
 また、この映画には現代の社会問題も折り込まれていて、それについてもアメリカも日本も同じなんだ、と思ったことだった。
 
 まずこの映画のテーマは、2人姉妹の切っても切れない絆である。
 それは紛れもなく同じ両親から生まれているということ。
 姉は頭がよくしっかり者だが、容姿にコンプレックスがあり、恋愛にも不器用。
 一方妹は容姿スタイルに恵まれていて、恋愛も上手にこなすが、社会生活不適合者で難読症という障害を持っている。
 同じ両親から生まれてなぜこんなに違ってしまったのか。
 意地悪な継母と自分勝手な父親に育てられた姉妹。
 私が思うにそれは、しっかり分別が出来ていた姉に対して、妹はまだものごころもついてない年齢だったこと。
 愛する母親が自分たち子供を置いて自殺してしまう。まだ幼かった妹を守りながら、共に育ってきた姉。
 妹は奔放なならず者に育ってしまった。
 そんな妹をかばいきれずとうとう見離してしまった姉。
 ある時妹は、孫を心から愛してくれる祖母がいることを知り、訪ねる。
 そこは祖母が経営する老人施設だった。
 そこで妹は本来の人間的な心を取り戻す。それは老人介護という労働から得たものだった。
 そこには祖母の深い愛と家族の絆もあった。
 
 ある時、姉も祖母の計らいで合流する。
 妹の悪行に一度は切り離した姉だったが、心から憎むことが出来なかった。
 いつかは夫々1人立ちしなければならない姉妹だが、根底には同じ血が流れている。
 血族の絆は、深くて尊い。
 私が印象に残ったのは、祖母が運営しているケアハウスでは、様々な人生を送ってきた老人たちが、夫々に幸せそうだったこと。ここが舞台にされていることに、今社会を感じた。日本も同じだ、と思ったことだった。
 また妹の難読症という病気も、彼女の生い立ちではさもありなんと、よりリアリティーがあった。
 それで、何より私はこの妹に同情した。
 人間形成は幼児時代が大切なのだ。彼女が悪くなったのは、彼女のせいではなかった。
 しかし、祖母の真の愛によって、この姉妹が夫々に幸せになっていく。
 …その予感が、私の心を和ませてくれたし、この映画がおもしろかったと思った所以でもある。

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2013年08月12日

“八重の桜”―32回―

 今回から舞台は京都に移った。
 歴史ドラマはどうしても史述に基づかなければならない。時代背景は重要である。
 いつの世も多かれ少なかれ時代は変化していく。
 しかし私が生きている今の時代と比べると、八重の生きた時代は余りにもその変化が急激だった。
 武士の時代から近代国家へと変貌していく時代、八重たち一家は一早く順応していく。というより、兄、山本覚馬はその先駆者的存在であった。

 私が今回注目したのは、元会津藩国家老の末娘山川捨松である。
 ドラマでは兄の山川弘、健次郎が戊辰戦争で苦悩する場面が描かれていた。
 そんな中で育った捨松さんが、新政府が送った米国女子留学生の中にいて、12歳から10年間米国で過ごしたということ。ちょっとした驚きだった。
 しかも帰国してからは、新政府の要人だった元薩摩藩大山巌さんと結婚、その後は鹿鳴館文化の中でご主人を補佐し、さらには留学生仲間津田梅子さんが行った女子教育を支援したという。
 津田梅子さんや、捨松さんの活躍は、以前にもドラマで見たことがあるが、彼女たちの生きていた時代背景が今回鮮やかに浮かび上がってきたのが、何より興味をそそられたのであった。

 さて主役の八重さん一家のこと。
 八重は兄の仕打ちに憤りを感じながらも、なお深く兄を敬愛している。
 兄の覚馬も妹を信頼している。
 私はこの兄妹が夫々離婚してしまうことを、筋書きで知っていたが、そのいきさつや真の心を知らなかった。
 序々に明かされていくが、この時代止むをえないことなのだ、と思いつつある。
 今回、覚馬、母佐久、時栄、娘ミネ、八重の夫々の心情が切なかった。
 覚馬のぶれない態度がかっこよかった。
 彼が、何より未来の日本のことを1番に考えていることに、ほんとうに偉い人だったのだなと、単純に感心した次第である。
 45分があっという間だったのは、それほどおもしろかったということ。

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2013年07月06日

大河ドラマ“八重の桜”―26回―

 先週分を今日ビデオで観た。
 前半のクライマックスシーンだった。
 日本版ジャンヌダルクと称されていた彼女のことを、ボンヤリと知ってはいたが、今回このドラマで初めてはっきりとその活躍を知った次第である。
 恥ずかしながらこのドラマを観るまでは、会津藩のこと、白虎隊のこと、戊辰戦争のこと、ほんとうに何一つ把握していなかった。
 私には、明治維新といえど、絵空事の出来事ではない。祖父母は明治生まれで、そのうち祖母とはしばらくの間、私(幼少の頃)も交流があったのだから、ほんとうに身近な歴史の出来事としてとらえたのである。
 戦争といえば、太平洋戦争の悲惨さをすぐ思い浮かべる。
 敵はアメリカ、外国である。
 沖縄地上戦がどんなに惨いものだったかは、私たちはよく知っている。
 しかし、会津戦争はどうだろう。
 事の流れで、応戦せざるを得なかったのではなかろうか。
 敵は薩長藩といえど同じ日本人、しかも薩長の戦争の正義は王政復古である。会津に、朝廷に敵対心などあるはずはなかった。 
 女、子供まで巻きこんで、こんな悲惨な戦争をする必要があったのだろうか。
 いかなる正義を持って、会津藩は戦ったのだろうか。
 それこそ、会津藩独特の「什 の掟」であった。
 これは、藩士の子供たちへの教育の基礎だったのだ。
 これが、行き届いていて、大人になっても、藩のため藩主のために尽くす精神が頑なだったことが覗い知れる。
 教育とは恐いものである。
 八重もこの一途さで、ジャンヌダルクを作り上げていったのだろう。

 この回で、家老西郷頼母一族の悲劇に涙せずにはいられなかった。
 他にも200人位の人が自刃したとのこと。
 最近、NHK歴史ヒストリーで、西郷頼母のことを取り上げていた。
 偶然観たのだが、こんなに不運な人がいたことに驚いた。
 今歴史を振り返って、人々が彼のことを正しく評価してくれていることを、彼はきっと知らないだろう。
 などと思って観た、「八重の桜」第26回だった。


※今日の夫の囲碁(OB例会)成績  7段でして3勝2敗 1,000円ゲット 次回はまた昇段?

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2013年07月01日

読後感“わりなき恋”

著者 岸恵子  発行者 見城 徹   幻冬舎 2013年3月発行

 先頃「徹子の部屋」に岸恵子さんが登場された。
 まず、年齢が80歳というのに驚いた。 お元気で今尚お美しい。ちなみに徹子さんは79歳ということ。
 話題になったのは、当然ベストセラーになった彼女の書きおろし小説「わりなき恋」のこと。
 フィクションだと彼女は言っておられた。
 まずこの本を書くことになったきっかけは、やはり幻冬舎の見城社長に持ち掛けられたことだったとか。
 見城社長は、これぞと思う芸能人に本を書かせて、ベストセラーに作り上げる凄腕の持ち主であることで知られている人物である。
 その彼から、きれいごとを書いても売れませんよ、と釘をさされて、彼女の作家魂に火がついたことは否めないだろう。
 
 この本は、発売と同時に話題になっていたので、ミーハーな私、さっそく図書館に予約しておいた。
 それが、この「徹子の部屋」をみた直後に順番が回ってきた。
 誰がみても私小説であるこの「わりなき恋」。
 私が最初に思ったのはこのタイトル、わりなき、って何だ? ということだった。
 古語だった。古語辞典をひくと、「道理にあわず、どうにも解決できない不満のある感じ」とあった。 
 なるほど、当人はやはり、苦しかったんだ、と思った。
 それでも、のめりこんでいくしかなかったのはなぜなのか、とても興味のあるところだった。
 次に思ったのが、私小説である以上実在のモデルがいるわけで、「相手の男性は誰だろう?」ということだった。
 それはすぐ分かった。
 インターネットのウェブサイトや個人のブログで、周知の事実として既に話題になっていた。
 その男性は、元トヨタ自動車の役員、当時はデンソー副社長の岩月伸郎氏という方だった。
 ということは、作者は、この小説を書くことに、きっと彼の承諾を得ておられるのだろう。
 すごいと思った。
 彼女は、わりなき恋をして、只では起きなかった、したたかな女性だったということか。
 彼の方はどうだろう。 彼自身は、有名女優、しかも高齢の女性を身も心も虜にした男の中の男、…勲章ものである。世の男性はさぞや羨ましいことだろう。気分のいいことに違いない。でも、彼の家族はどうだろう。 怒り心頭ではなかろうか。
 それらをものともせず、こんなに堂々と不倫小説を発表出来るのだから、やはり岸恵子さんはすごいと思った。
 さて、作者は自分の恋を「マディソン郡の橋」にたとえておられた。
 わりなき恋は、いかにスマートに別れるか、がテーマであると。
 笙子は、男の自分に対する愛がまだ少し残っている間に、男を、自らすぱっと妻の元に返してやった。
 これは、普通の女性には、出来そうで、なかなか出来ないことである。
 彼女は自然消滅という道を選ばなかった。
 自然消滅は時間の問題だったが、彼女のプライドがそれを許さなかったのかも。
 この本を読んで私が思い出したのが、吉永小百合、渡哲也主演の映画、「時雨の記」である。
 それは、熟年の不倫は不倫でも、死を間近にして、ただ魂の触れ合いだけを望む男(渡哲也)を受け入れる、しなやかな女性(吉永小百合)のプラトニックラブストーリー、だった。
 いったい、どちらが幸せなのだろうか。
 結論は、どちらもノー。
 人間の幸せは、年相応にそれぞれ似合ったものがある。
 老年期の幸せは、恋愛等ではない。
 家族の絆がしっかりしている幸せである。
 配偶者共々元気で、社会人の子供がいて、孫たちが周りにうろちょろしている、その何気ない普通のことが、この上ない絶対の幸せなのである。
 この本を読んでつくづく思ったことだったが、作者も、その相手の男性も、きっとその思いだったことは、間違いない。
 これも最近テレビのトーク番組で観たのだが、女優高橋恵子さんの幸せそうな姿だった。
 お母上、御主人、娘さん家族の総勢8人が、同居しておられるのだそうだ。
 私は、岸恵子さんのことを羨ましいとは思わなかったが、高橋恵子さんは、とても羨ましかったのである。
 読後感としては、老婦人の切ない恋愛が、とてもインパクトのある興味深いものだった、ということである。

posted by hidamari at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 読後感・映画の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする